書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

幸田露伴 『蒲生氏郷』

2011年01月25日 | 伝記
▲「青空文庫」より
 〈http://www.aozora.gr.jp/cards/000051/card2709.html

 蒲生氏郷が秀吉のことを「猿」と呼んだ話の出所が気になって、先ず(多分)定石通りに、露伴の史伝に当たってみる。
 出てこない。
 それよりである、当初は伊達政宗のことがその若年の砌から延々と語られて、いったい何時になったら本題になるのやらと半ば呆れた。露伴という人は心の赴くまま、流れるように文章を綴った人なのだなと思った。理屈で構成を組み立てる人ではない。たしかに、蒲生氏郷の生涯の後半部の山は、会津移封後、その地の旧領主で秀吉に取り上げられた故地回復の機会を虎視眈々とねらう政宗との確執となるので、政宗というのは蒲生氏郷伝を書く上で書くことのできない重要人物なのだが、それにしても、ここまで政宗の生まれ育ちや人となりを長々と語り重量をかける必要はない。題を見ずにひもといたら、政宗伝かと思うほどである。露伴という人は、何かを話しだしたらどんどん話題が縦横斜めに膨らんで、しまいには何を話そうとしていたのか本人もわからなるくらいだったというが(たしか山本夏彦氏の仄聞)、たしかに、この作品を見ると、さもありなんと思える。テーマに関連する話柄を、興趣の湧くがままに脳裏から取り出し筆を運んでいることが、行文からよく伺えるからだ。

ジュリボイ・エルタザロフ著 藤家洋昭監訳 『ソヴィエト後の中央アジア 文化、歴史、言語の諸問題』

2011年01月25日 | 人文科学
 小松格/吉村大樹翻訳。大阪大学世界言語研究センター監修。

 アフガニスタン北部も、「南トルキスタン」としてトルキスタンに含まれることを知る(あとは中央アジア=西トルキスタン、中国新疆ウイグル自治区=東トルキスタン)。
 『ソヴィエト後の中央アジアを知るための~~章』といった感じの作り。記述がよく整理されていて簡潔でわかりやすい。そのうえに記述のもととなった資料の提示が大量詳細で、とても便利(特にロシア語のそれが)。
 ただ、「第2章 中央アジア民族間における文化・言語の対立の根源」における「『民族・共和国境界策定』の実施」の部分に(123-135頁)、セルゲイ・マローフの名は見えず、彼が「ウイグル人」の名を提唱した事実にも言及がないのはどういうことなのだろう。専門家の間では、今ウイグル人と呼ばれている民族はその呼称共々1921年まで存在しなかった事は、たいして重要な問題ではないということだろうか。それともマローフ云々の事実自体が捏造もしくは虚偽として学界では否定されているのだろうか。スルタンガリエフの名がまったく出てこないのもそういうことなのだろうか。わからない。

(大阪大学出版会 2010年10月) 

安里進ほか 『沖縄県の歴史』

2011年01月25日 | 東洋史
 著者:安里進/田名真之/豊見山和行/真栄平房昭/西里喜行/高良倉吉。

 「琉球処分」の「処分」の意味について何か言及があるかと思ったが、特になし。明治13・1980年10月の『琉球処分条約』を“(以下、『琉球分割条約』という)”と言い換えてあるのは内容を汲んだ意訳だろう(「8章 琉球国から沖縄県へ」「1 琉球処分と琉球救国運動」、本書236頁)。本書で内容の概略は紹介されているが、原文を探して見てみることにする。

 文禄・慶長の役前後の琉球は、明への公文書のなかで豊臣秀吉を「倭奴関白」と呼んでいたことを教えられる(「5章 東アジアの変動と琉球」「1 豊臣政権の朝鮮侵略と琉球」、本書127-129頁)。
 蒲生氏郷は秀吉が太閤になったあとでも内々では「猿」と呼んでいたそうだ。いちどは名護屋城だか伏見城だかの殿中で放言したことがあるともいう。どちらも何に基づく逸話か知らないが、真偽いずれにしても、これなどは個人的な嗜好あるいは感情による挙動である。だが琉球の「倭奴関白」は、堂々たる思想に立った上での体制としての蔑称使用である。
 思うにその根拠とはこういうものであろう。すなわち、
「天朝(明)の朝貢国たる朝鮮を攻め、あまつさえおなじく朝貢国であるわが琉球にそれに加担せよと迫る日本は天下のあるべき秩序をなみする不逞の輩、蛮夷である。よって日本などという自称・美称ではなく蛮夷は蛮夷らしくいにしえより我が中国が名付けた倭を用いるべし、また宇宙に唯一の主たる天朝の帝に仕えるのが普天の下卒土の濱の臣下たる我ら億兆の人倫、人の道であり、人の道を知らず臣下としての分を弁えぬ彼の輩は無知蒙昧も甚だしい、よって『奴―あやしの者―』と呼んでいよいよ蔑むべし」
 という理屈。
 ところで、沖縄の歴史は日本史に入れるべきなのか、東洋史として分類すべきか、迷う。

(山川出版社 2004年8月)

「Moscow airport blast: Suicide bomb kills 35」 から

2011年01月25日 | 抜き書き
▲「The Washington Post」Monday, January 24, 2011; 8:34 PM, by Will Englund and Kathy Lally, Washington Post Foreign Service. (部分)
 〈http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2011/01/24/AR2011012401872.html

 Officials said the bombing was a terrorist attack carried out by a male bomber using about 15 pounds of explosives.

 どこの報道もおしなべてそうだが、自爆テロリストを直接目撃した人間の証言がない。The Moscow Times の報道などは、疑義を呈している。
 
 Unidentified officials, quoted by Russian news agencies, differed over whether the bomb was carried by a suicide bomber or went off in a suitcase. (上記 The Moscow Times 記事 "Blast Kills 34 at Domodedovo," 25 January 2011, by Alexandra Odynova and Nabi Abdullaev)

「東アジア出版人会議 :読書共同体を 編集者らが人文書選定、5カ国・地域で翻訳出版へ」 から

2011年01月25日 | 抜き書き
▲「毎日jp」2009年11月20日、【佐藤由紀、写真も】 (部分)
 〈http://mainichi.jp/tanokore/book/002581.html

 同会議の呼びかけ人の一人で平凡社の元編集局長の龍澤武さんによると、それぞれの国・地域の編集者らが、自らの文化、歴史、思想、社会などにかかわる問題を深く掘り下げた「現代の古典」を選択したという。「東アジアには書物交流の長い歴史があるが、近代化以降は欧米の人文書の翻訳が圧倒的に多い。100冊は東アジアの読者に日本の名著を紹介するだけでなく、日本の読者の刺激にもなってほしい」と期待する。

 ■ことば/◇東アジア出版人会議/東アジアでの書物交流をめざす編集者らの組織。龍澤武(元平凡社編集局長)、加藤敬事(元みすず書房社長)、大塚信一(元岩波書店社長)の3氏が、中国、韓国、台湾、香港の出版人に呼びかけて結成。05年秋の東京大会を皮切りに年2回の大会を開催。10月末に開いた第9回全州大会にはみすず書房、筑摩書房の編集者も参加した。


 「東アジア出版人会議」(金彦鍋会長)誕生の経緯はどんなものだろう。100冊のリストが載っているが、その選択者や団体の個性に従ってあたりまえのことだが大なり小なりそれぞれの傾向性がある。中国も、韓国も、香港も、台湾も、そして日本も、そうである。それでも日本ではプロジェクトどおり進んでいくとしても、あとはどこまで進むか、ちょっと懸念がある。たとえある本が無事翻訳されても、内容的に削除改変されているということもおおいにありうる(とくに中国の場合)。検閲制度があるのだから。

「【コラム】日本軍国主義時代に「迫力」という新造語が登場した」 を読んで

2011年01月25日 | 思考の断片
▲「中央日報 Joins.com」2011.01.24 16:46:57、チョン・ウヨン・ソウル大病院病院歴史文化センター研究教授。(部分)
 〈http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=136932&servcode=100§code=140

垓下で四面楚歌の窮地に追い込まれた項羽は死の直前、「垓下歌」を残した。「力は山をも抜き、気勢は世界を覆っていたが、時運が不利なので、馬も進もうとしない…(力抜山兮 気蓋世 時不利兮 騅不逝…)」。2000余年後、私たちの近代の民族英雄、安重根(アン・ジュングン)は伊藤博文を暗殺する前、禹徳淳(ウ・ドクスン)に「丈夫歌」を伝えた。「男が世の中を生きていくこと、その志は大きい。時代が英雄をつくり、英雄が時代をつくる…(丈夫処世兮 其志大矣 時造英雄兮 英雄造時…)」。項羽は気を、安重根は志を語った。

 前項より続き。
 この筆者のいうとおり「迫力」という言葉が1930年代に作られたものなのかどうか知らない。それより、筆者は、安重根は人を殺したから男らしい、だから国家の英雄として賞賛と尊敬に値するといいたいのだろうか。文意がよくわからない。つまり、男らしさとは人を殺せることということなのだろうか。志があれば人を殺してもいいといいたいのだろうか。また、これは殺した相手が伊藤博文、もしくは広く取って日本人だからで、この対象に限っての価値基準だろうか。そして、今でもやはりそうなのか。
 だとしたら、日本(人)と韓国(人)の関係は本当に難しい。あらためて実感する。

「在日韓国人出身日本代表『李忠成』、『韓国の敵』になるか 」 を読んで

2011年01月25日 | 思考の断片
▲「東亜日報」JANUARY 25, 2011 07:54。(部分)
 〈http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2011012588828

 李忠成は在日韓国人で、韓国サッカー代表選手を夢見た。夢まで後一歩だった。04年、韓国18歳以下代表チームに召集された。しかし、口下手で日本人の雰囲気が漂う李忠成は、チームに馴染めなかった。これを克服できなかった李忠成は、07年、日本国籍を取得した。08年、北京五輪では日本の主力FWとして活躍し、日本の成人代表チームとしては今大会に初めて参加した。
 日本がカタールとの8強戦で勝った後、李忠成は「4強戦でプレーしたい。出場機会が得られたら、期待に応える」と話した。
 シリアとの組別リーグを終えてからも、「韓国と必ず試合してみたい。韓国、北朝鮮と試合することを前から望んでいた。試合に出ると、必ずゴールを決めたい」とし、韓国戦に強い意欲を示した。


 日本と米国は戦争をした。日本は戦略爆撃(無差別爆撃)や原爆で民間人を大量虐殺されて、敗けて、7年間占領された。それでも、米国市民権を得た日本人や日系米国人が、スポーツで米国選手となって日本チームと対戦することになっても、「日本の敵」とは呼ばないだろう(すくなくともマスコミ、まともなマスコミは。たとえカッコ付きでも)。
 逆は――つまり米国人が日本人に帰化した場合の米国人の反応はということだが――、さらに考えにくい(まあ冷戦時代のオズワルドの例もあるけれど)。中国は、微妙である。
 日本(人)の反応はもしかしたらよく言われるとおり健忘症とか対米従属意識の現れかもしれないが、それは別として、韓国(人)がこのように国家・民族意識を剥き出しにするのは、日本に対してだけなのだろうか。たとえば中国やCISの朝鮮系国民が同じようにその国の代表選手として韓国チームの対戦相手になったとき、マスコミは「敵」と呼ぶのだろうか。