書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

翻訳者としての福澤諭吉・中江兆民・加藤弘之の技量瞥見

2011年01月30日 | 
 加藤周一/丸山真男校注 『日本近代思想体系』 15 「翻訳の思想」(岩波書店 1991年9月)を材料に、福澤「アメリカ独立宣言」(慶応2・1866年。丸山真男注)、中江「非開化論」(明治16・1883年。宮村治雄注)加藤「国法汎論」(明治5・1872年。村上淳一注)を読む。
 中江「非開化論」は原典フランス語、加藤「国法汎論」は同ドイツ語のため、この二者の翻訳の正確さおよび水準の判断・評価にあたっては注者の注釈・説明に依拠した。
 三者について、私の判断と評価。

 福澤「アメリカ独立宣言」・・・・・・極めて正確。そのため余計な補筆もない。日本語としてもとても平易で明晰な訳文。
 中江「非開化論」・・・・・・自分の思想(理想)にひきつけた意訳が見られる。その結果としての原典を離れた補筆もしばしばある。それから自分一個にしか通用しない独自の語彙(僻典からの漢語)が多くて読みにくい。
 加藤「国法汎論」・・・・・・不的確な訳もしくは誤訳のため、つじつまがあわなくなると補筆が入る。加藤は、語学力以前に翻訳対象の分野に関する知識が不足していたと思われる。三者の中で一番水準が低い。

大鳥圭介 「学問弁」 から

2011年01月30日 | 抜き書き
 松本三之介/山室信一校注 『日本近代思想体系』 10 「学問と知識人」(岩波書店 1988年6月)所収。
 明治19(1886)年3月13日 東京学士学院に於ける講演(山室信一氏の注より)。

 古来亜細亜の学科に欠けたるものは宇宙間至要の物理学なり。物理学は現在耳目に触るゝもの(の)原因を探るの学にて、火の燃ること、水の流るゝこと、雨の降ること、風の吹くこと、雷電の閃動することは如何なる訳か、日月は如何なるものか、世界は如何なるものかと云ふことを研究し、事実を挙げて証拠となし、人間朝夕の実益を進むる学にて、今日万国富強の本は唯〔ただ〕此学の原理より発〔おこ〕ると云ふも不可なきなり。本邦にては今日已に先哲の所見あり、大小の学校に於て之を教授し、少年輩の惑を解くこととはなれり。而して支那にては未だ此〔この〕無比緊要の実学を講習する人希〔まれ〕にして、古伝の空文に心酔して曽て暁る所なく、通俗一般の唯陰陽五行の説を唱へ、山川に祷り、日月を拝し、鬼神を恐れ、風水方位を卜し、立派なる宿儒も之に昏迷して毫も発明する所なく、天地人に通ずるを儒といひながら其寸分も弁へざるは気の毒千万なり。
 (上掲書、90-91頁。原文カタカナ。太字は引用者)

 福澤諭吉と同じことを言っている(→「物理学の要用」)。というか、「東洋になきものは、有形において数理学」(『福翁自伝』)という認識は当時においては常識に類するものだったのかもしれない。「物理学の要用」は、明治15(1882)年3月22日の『時事新報』に掲載された社説である。
 それにしても、“惑”という語を使うところまで(福澤は同じことを“惑溺”と呼んだ)そっくりであり、その酷似していることに驚く。

「『大絶滅』生き延びた恐竜 70万年後の骨、米で発見」 から

2011年01月30日 | 抜き書き
▲「asahi.com」2011年1月30日5時3分、ワシントン=勝田敏彦。(部分)
 〈http://www.asahi.com/science/update/0130/TKY201101290401.html

 白亜紀末の恐竜大絶滅が起きてから70万年ほど生き延びた恐竜がいたことが、カナダ・アルバータ大などの研究でわかった。論文が米地質学会の専門誌に掲載され、同大が28日、発表した。

 驚愕。

 研究チームは「気候変動が起きても一部の草地は残り、草食恐竜が生き延びることができた可能性がある」と指摘している。

 それでも驚愕。

「菅首相夫人『疎いじゃない、知らなかったと言うの!』」 から

2011年01月30日 | 抜き書き
▲「asahi.com」2011年1月30日9時33分、竹田真志夫。(部分)
 〈http://www.asahi.com/politics/update/0129/OSK201101290153.html

 日本国債の格下げをめぐり、菅首相が「そういうことに疎いので」と発言、批判を浴びたことについて、「『疎い』なんて言うんじゃない、『知らなかった』と言うんですよ、と(首相に)言いました」とぴしゃり。

 「今初めて聞いた。(衆院)本会議から今出てきたばかりで、ちょっとそういうことに疎いので、改めてにさせてほしい」 (こちらから引用)

 実際の発言の前後を確認して、さらに映像でみると、文脈から、「知らなかった」(いまはわからない、答えるための材料がない)の意味で言っておられると思った。前回の批判は私の早とちりである。菅首相とこのブログを見て下さっている方々に陳謝する。

「エジプト騒乱 改革の遂行以外に安定はない(1月30日付・読売社説)」 を読んで

2011年01月30日 | 思考の断片
▲「YOMIURI ONLINE(読売新聞)」2011年1月30日02時57分。
 〈http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110129-OYT1T00759.htm〉 

 アラブ随一の大国エジプトで、30年に及ぶ独裁を続けてきたムバラク大統領の退陣を求めるデモが先鋭化している。

 ムバラク大統領の前任者のサダト大統領が暗殺されたのは1981年である。私は大学生だったが、暗殺の瞬間を伝える映像をテレビニュースで見た記憶は私のなかではいまも生々しい。しかしたしかにあれから30年経っている。
 長いといわれるカザフスタンのナザルバエフ大統領でもまだ20年(正確には21年)である。
 だが、ムバラク大統領の“独裁”は、エジプトひいては西アジアの平和に寄与していたのかもしれない。第三次中東戦争でイスラエルに敗れて以来、エジプト国家は国民にエジプト人として愛国心を涵養するよりも、アラブ人としてまたイスラームの徒としてのアイデンティティを重視する教育方針に切り替えた。エジプト人とは、「エジプトという歴史的土地あるいは現代のエジプト国家内に居住しその国籍を有する人間」の謂である。放っておくと、ほかの国のアラブ人(とくにパレスチナ人)と連帯して、イスラエルとの対立が激化しかねないので、それをふせぐための強権ではなかったか。その状態が30年間続いているのではなかろうか。そしてその結果として様々な弊害が山積している――もう時勢に適わないということも含めて――のではないか。いまのエジプトの義務教育内容を確かめていないから、あくまで仮説にすぎないが。