恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

お地蔵様

2015年05月10日 | 日記
 5月1日、今年も恐山は無事開山の日を迎えました。写真は、開山期間中の無事を恐山の守護神に祈る法要です。以下は、当日私がした挨拶です。

 皆様、本日はようこそお参りいただきました。さわやかな青空の下、皆様をお迎えできたことを、心より嬉しく存じます。
 
 ご本尊延命地蔵菩薩様も、昨日お袈裟をお召しになり、この法要より皆様のご祈祷をお受けになります。

 お地蔵様は観音様と並んで、人々に大変親しまれている菩薩様ですが、お経によるとお地蔵さまは、地獄から天上世界まで、仏教でいう六道、すなわち六つの世界をめぐりながら、そこにいる衆生を救って歩くのだそうです。

 少し不思議に思うのは、なぜわざわざ地獄まで救いに行くのかということです。悪事を犯して堕ちた場所なら、そこで罪を償うのは当然ではないでしょうか。

 と、思っていたところ、最近こういう話を聞きました。

 そのご夫婦は、戦後ご商売をはじめ、二人で一心に仕事に励まれて、お店を順調に大きくされていきました。その矢先、旦那さんが病に倒れてしまうのです。

 それは進行性の難病で、旦那さんは寝たきりの状態になり、奥さんは一人でお店の仕事を切り盛りしながら、懸命な看病を10年あまり続けられたのだそうです。
 
 しかし、この奥さんはその最後に、旦那さんに手をかけてしまいました。推し量るに、病に苦しむ旦那さんが「死なせてくれ」と繰り返し訴えていたのではないでしょうか。

 だとしても、決して許される行いではありません。それは当然です。

 ですが、そのとき奥さんの周辺の人々が言ったのは責める言葉ではありませんでした。「亡くなった旦那さんも、死なせた奥さんも気の毒だ」という声がほとんどで、誰言うともなしに、減刑を嘆願する署名集めが始まったのだそうです。

 おそらく、周りの人々は日頃、奥さんがどれほど仕事と看護に努力していたのかを見ていたに違いありません。

 この話を聞いて、私は思いました。

 ひょっとしたら、お地蔵様には、私たちには見えない、地獄の衆生がいつかどこかで積んだわずかな善行や功徳が見えるのではないか。そして、一つでも善行があれば、それがもう一度行われる可能性がある。ならば、その積み重ねがいつか悪人を善人に変えていくかもしれないと、信じておられるのではないか。

 皆様、今日恐山にお参りいただき、お地蔵様とご縁を結んでいただいた功徳は無量でしょう。地獄の衆生の積んだ功徳さえ見えるお地蔵様は、皆さんの功徳をよくご存知です。

 とすれば、どうかその功徳を持ち帰り、ご縁のある周りの方々と分け合っていただきたいと思います。暖かい心とやさしい眼差しで会う人に接していただければ、私どもとしては本当にありがたく思う次第です。

 お参りはお宅にお戻りになるまでがお参りです。どうぞご無事でお帰り下さい。本日はまことにありがとうございました。