恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

ベンチャー魂

2007年01月12日 | インポート

Photo_47  写真でおわかりのように、恐山の総門から地蔵殿に続く参道には、両側に石灯籠が立ち並んでいます。その数43。一般には、阿弥陀如来の四十八願になぞらえて、四十八灯とも言うようです。

 これらは、時代としては幕末期のもので、当時の廻船問屋や海運業関係の人たちから寄進されたものす。「北前船(きたまえぶね)」という言葉を聞いたことがありませんか。中世末ごろから江戸期を通じて栄えた日本海を往来する貿易船のことです。そのころ「蝦夷地」と呼ばれていた北海道や東北の海産物、木材、鉱物、毛皮などの物産を、東北・北陸の日本海沿岸の港を経て、今の福井県の敦賀や小浜、後には西回り航路で大阪・兵庫まで運んだのです。おそらく莫大な利益があがる貿易だったことでしょう。

 この北前船が津軽海峡を航海していくとき、目印となったのが、下北半島の中心にそびえる釜臥山(かまぶせやま)です。この山は恐山奥の院とされ、ここに鎮座する釜臥山大明神は、恐山のお釈迦様の化身とも言われています。この因縁で、恐山は航行する北前船の、いわば「守護神」としての信仰を集めたわけです。             Photo_48         

 右の写真の灯篭には、「積船 大坂松壽丸 橘屋吉五郎」と読める文字が刻んであります。他にも、「越前」あるいは「松前」など、今の福井県や北海道の地名が彫られているものあります。なかには、ひょっとしたら、商売の命運を左右するような航海をした船もあったかもしれません。

 灯篭の文字を眺めていると、当時の「ベンチャー事業」に打って出た人たちの心意気と不安が思われてきます。