恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

イタコさん2

2006年08月21日 | インポート

Photo_32  今回は再びイタコさんのお話です。左の写真は、夏の例大祭の最中、イタコさんの小屋の前に並ぶ人々の列です。自分の順番が来るまで、2、3時間待つことはザラです。Photo_33

右の写真は、例大祭最終日の午後5時ごろ。もうイタコさんたちも帰り支度をはじめた頃合のものです。このような小屋はみな自前で、イタコさんの家族らが建て、期間中ずっと付き添っています。

 さて、イタコさんの口寄せ(降霊術)については、私は以前、二つ、「へぇ~」と思う話を聞きました。

 一つは、前に、カナダ人の男性が観光に来たときのこと。彼は、ずらりと並ぶお世辞にも立派といえない小屋に目を留め、案内の通訳に、何の小屋か尋ねました。通訳がこの地方に古くから住む霊媒師たちのものだと答えると、彼は冷やかし半分ながら、非常な興味を示し、直ちに「入ろう」と言いだしたのだそうです。

 このときの口寄せは、大変だったといいます。カナダ人は英語のみ。イタコさんも最高齢に近いお年寄りで、下北半島からほとんど出たことが無いという人で、下北弁オンリー。彼と彼女の間には、日本語通訳と下北弁通訳がいたそうです。

 さて、口寄せが始まると、最初ニヤニヤ笑っていたカナダ人は、そのうち何も言わなくなり、最後には泣き出してしまいました。そのとき、このめずらしい口寄せを見ていた周りの人たちは、通訳に一体どうしたのか訊くと、いわく、「彼は、これは私のママに違いないと言っている」と答えたそうです。お婆さんと自分は今日はじめて会ったのに、この人は私の生まれた家の様子を知っている。その家で、私とママしかいない時に起こったことを知っている・・・・・。カナダ人はそう言って泣いたというのです。

 もう一つ。あるとき、恐山の受付に中年のご婦人が来られて、涙ぐんだ表情のまま、丁寧に頭を下げ、「今日はありがとうございました。おかげで様で母に会えました」と挨拶したのだそうです。受付の僧侶は、「ああ、恐山がイタコさんを雇っているとでも誤解しているな」と思ったそうですが、別に説明する必要も無いと思い、ただ「そうですか、それはよかったですね。どうしました」と、答えたのです。

 すると、彼女が言うには、自分の母親は、晩年重度の認知症になり、ついには、子供の顔もわからず、排泄も自分ではままならない状態になってしまったのだそうです。ですが、亡くなる直前まで、ある歌のある一節だけ、突然繰り返して歌い出しました。その歌が、童謡とか民謡とか、昔の唱歌ならともかく、どう考えても年寄りが歌うとは思えないような歌、おそらく当時のアイドル歌手の歌うような歌だったのだそうです。

 この彼女が、イタコさんにお母さんの名前と生年月日を告げて、口寄せしてもらったところ、イタコさんが一瞬目を閉じて黙り込んだ後に、その口から出てきたのは、まさにその歌のその一節のみ、だったというのです。

 これらは、多分、事実としてあったことだろうと、私は思います。ですが、問題はこの後です。この事実をどう解釈して、どう他人に説明するのか、という段階になれば、これは単に事実を述べることとは別でしょう。いかなる概念を用い、どういう因果関係にまとめて解釈し説明するかで、この事実の見え方は全然違うからです。

 注意しなければいけないのは、ある概念を用い、ある因果関係を設定するときの、前提条件です。頭から「霊魂の実在」を前提にすれば、そういう話以外にはなりようがありません。解釈や説明に大事なのは、前提となる「霊魂」と「実在」という概念の定義なのです。

「霊魂」とは、身体と分離した自意識のことなのか。「実在」とは、目の前にあるのコップの存在くらいの強度を持つ経験なのか。

 そして同時に、解釈者・説明者は、その解釈や説明で何を意図しているのか。人を脅したいのか、励ましたいのか。もっとも大事なのはここです。

 この前、恐山に一泊した50歳前後の男性が、「母に会うことができました。本当にありがたいです」と私に言うのです。ですが、何を言われたのか訊いてみると、「遠くまで本当によく会いに来てくれた。後のことで迷惑をかけてすまない。みんななかよくやってくれ」という、私には、誰にでも当てはまるようなことにしか思えないことでした。

 ところが、この男性は、母親の没後、いささか遺産のことで親族といざこざがあったらしいのです。だとすると、「後のことで迷惑」と「みんななかよくやってくれ」は、彼に響いたでしょう。私はそのとき、彼が口寄せをお母さんの言葉だと信じることが、とても善いことだと思いました。