恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

思うんですが。

2019年09月20日 | 日記
 時々相談者と面会するのですが、最近どうも増えていると思うのは、男女を問わず、30歳前後の世代で、何か過剰に他人の視線を気にするように見える人です。

 先日は、30歳の男性歯科医という人と面談しました。彼は歯科医として実際に診療するようになって今年で3年。にもかかわらず、もう辞めてしまおうかと言うのです。

 彼は大学を出て、某有名歯科医院に就職したのですが、1年目に患者に治療について、出来が悪いとかなり強い苦情を持ち込まれたのだそうです。さらに、この医院のオーナーで、業界では高名な院長からも叱責され、要するに自信喪失状態に陥ってしまいます。

 その結果、同僚との関係も気まずくなり、彼はその医院を辞め、今はアルバイト的立場で別の医院で働いて1年経ったところだそうでいるのだそうです。

「あなた、今のクリニックで苦情は?」

「ありません」

「院長から何か怒られた?」

「全然」

「じゃ、なぜ辞めなくちゃいけないの?」

「なんというか、自信が・・・」

「自分のテクニックに自信が無いの?」

「あまり器用じゃないし・・・。皆が僕を見ているようで・・・」

「あなたねえ、腕さえ良ければ、誰が見ていようと構わないでしょ。それに1年無事でやってるなら、基礎的なテクニックはあるんでしょう」

「かもしれません」

「だったらねえ、要は経験と勉強と練習でしょう。あなた自分の能力と時間のすべてを勉強と練習に注ぎ込んだことがあるの?」

「そのつもりだったんですが・・・」

「違うよ。本当にそうしてみてダメだと言うなら、もう自分で見切りをつけて、とっくに辞めてるよ。あなたね、今後3年すべてをつぎ込んで勉強し、寝る間も惜しんで練習しなさいよ。辞めるのは、それからだよ」

「あなた、父上のお仕事は?」

「歯医者なんです」

「なんだ、後継ぎか」

「違います。父は継ぐのに反対でした。この地方でこの業界は今後厳しいと。でも、僕は自分の意志で、この道を選んだんです」

「だったら、お父さんの医院を滑り止めにしなよ。最後にオヤジにお前の腕ではダメだと引導を渡してもらってから、見切りをつけて辞めればいい。実際、君は恵まれている。それまでは、自分が不器用だと言うなら、四の五の言わず、人の10倍努力して腕を鍛えなよ。そういう寿司職人知ってるよ。親方から見込みがないと言われながら、必死の努力で一人前になった人」

「あと・・・・、学会に行くと前の医院の院長や同僚と会うんですが、どうすれば・・・」

「あのねえ、そんなの挨拶して終わり! あなた、勉強に行ってるんで、付き合いに行ってるんじゃないでしょ。あとは無関係。もうどうでもいいの。学会で出世でもしたいの、あんたは?」

「いいえ・・」

「じゃ、彼らが今の君と何の関係があるの!」

 これは彼に限りません。4、5年前、私は、修行道場6年目の古参和尚で、当時29歳の修行僧から、相談があるんですがと言われたとき、その和尚曰く、

「ぼく、下の者(後輩の修行僧)が自分のことをどう思っているか気になって仕方がないんです」

 びっくり仰天!私が6年目と言えば、まさにダースベイダー時代。「下の者」なんぞ眼中に在りませんでした。

 どうしてこうも彼らはデリケートなのか。
 
 一つ思いつくのは、彼らは失敗を極端なまでに恐れているのではないか。ある集団や共同体の中で、自分が不協和音を出すことを、極端に気にしているのではないか。それは結局、その集団や共同体自体が、社会経済構造の変動と競争環境の激化にさらされて、余裕を失い、メンバー以上に組織自体が失敗を恐れているからではないか。

 だとすると、これは問題です。なぜなら、これからの社会は、前人未到の荒野を行くようなもので、これまでの手法は通用しません。次の世代のトライ・アンド・エラー、試行錯誤によって道を拓いてもらうしかないのです。

 それをこんなに委縮させてはいけない。私は、気の持ちようでどうにでもなる簡単な話に見えながら、何か深刻な問題に逢着した気がしました。