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その人は、最初から最後まで、涙ながらの話でした。
「和尚さん、私の両親と娘は、この半年の間にみな交通事故でなくなってしまいました。もう一人の娘も重傷で、一時は生死を彷徨うありさまでした。いまだに信じられません。そのうえ、事故は全部17日に起こったのです。そんなことってあるものなのでしょうか」
私は、この方の言いたいことがよくわかりました。とんでもない衝撃だっただろうと思います。そして、そのすべてが同じ日なら、何かあるのではないかと思って当然でしょう。
「奥さん。私が今、そんなことはただの偶然だ、何も心配することはないと言っても、決して気持ちは落ち着かないでしょう」
「は、・・・、はい」
「もう誰かに相談されたのですか?」
「ええ、地元のいろいろ見える人に・・・」
「いわゆる拝み屋さんみたいなひとですか?」
「はい」
「なんて言われたんですか?」
「来月また同じ日に事故で人が死ぬって・・・」
私はいつもながら、本当につまらないことを言う拝み屋だなァと思いました。しかし、このタイミングでそう言われたら、言われた方のインパクトは大きいでしょう。
「そんことを言われては、奥さんは今、ご心配でしょうね」
「はい・・・」
「で、自分が拝めば大丈夫だ、みたいなことを言われたんでしょう?」
「そうです。お祓いすればと・・・」
「いくらです? 料金」
「1万円だと・・・」
「あのね、奥さんね。あなたは、私がそんな拝み屋はインチキだ、そんなことは決してないと言っても、やっぱり心配ですよね」
「・・・」
「奥さん。あなたは遠方から恐山まで来られてお泊りになるからには、明日の暮らしにも困るという生活ではないでしょう。1万円くらいなら、出せるお金ではないですか?」
「はい、まあ・・・」
「だったら、やってもらえばよいと思いますよ。ただし・・・」
「はい」
「それはあくまで気休めです。何も起こらければ、ああよかったなと思ってすませればよい。拝み屋の『超能力』などと思う必要はありません。そんなものを証明する術はありません」
「そうなんですか」
「万一、来月事故が起こったら、直ちに拝み屋さんと縁を切りなさい。事故は偶然だということになる。そして、その拝み屋さんはもちろん、同じような人間に二度と近づかないことです。事故がまた起こったのはあなたの信仰心が足りないからだとか、自分が拝めば大丈夫だとか言う者の話には、決して乗ってはいけません」
「はい・・・」
「私は、あなたにはもっと他にすることがあるように思いますよ。今のたまらないような悲しみと切なさを、しっかりと抱きしめていることです。そしてあなたと共に悲しんでくれる人との縁を大切にするのです」
彼女は声をあげてのむせび泣きになりました。
私は、拝み屋の煽った彼女の不安と心配が、悲しみと切なさを抑圧していることこそ、問題だと思ったのです。
「奥さん。いま奥さんにある事実は、ご両親と娘さんを失った悲しみということだけです。これだけが、確かな事実でしょう。あとは全部、人それぞれの考え方、露骨に言えば、ものは言い様ということに過ぎません。亡くなられた人のことを思うなら、あなたの悲しみより大切なことはありません。いまその悲しみを抱える勇気を持つことが、あなたのなすべきことだと思います。次のことは、その後におのずから開けていくのではないでしょうか」
今年最後の恐山宿泊者の女性でした。写真はその日のものです。今年は紅葉が早く、閉山前にずいぶんと落葉しました。
本年ご参拝いただいた方々に御礼申し上げます。ありがとうございました。