恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

デジタル・ニルヴァーナ

2011年03月01日 | インポート

「この先、臓器移植技術が発達し続けるとすると、最終的には、人間の個別性、つまり自己の自己性の物質的基盤はなくなりそうですね」

「脳移植が可能になり、社会がその実施に踏み切れば、もう決定的でしょうね。しかし、移植技術とは別に、もっと自己性を揺るがす問題があるでしょう」

「デジタル技術ですか?」

「その通り。現在のネット空間が、すでにある意味で記憶の共有でしょう。かりに相応の手術で各自の脳から直接ネットに接続できるようになれば、もはや、『自分の』とか『個人の』という所有格のついた記憶は無意味でしょう」

「それでも所有格を維持するとすれば、それは資本主義市場を維持する必要上のことでしょうね」

「たとえば暗記中心のあらゆる試験は一切無意味になる。それでも試験というなら、労働市場がとにかく『人材』を選別する必要があると考えるときだけ、ということですね」

「さらに脳システムの解明とデジタル技術が進めば、意識や思考さえ相互に接続することができるかもしれない。いわば『集合意識』と『共同思考』しかない世界」

「つまり『私』という言葉が無意味になるわけですな」

「とすると、それを『意識』や『思考』と呼べるかどうか、もうそれもわかりません」

「あえて言えば、それは何ですか?」

「インターネット技術がこの世に提供する『ニルヴァーナ』かもしれません」

「幸せなんでしょうか、それ」

「『死』を望んでいる人には、たぶんそうでしょう。『完全な消滅』を望む人には、おそらく違うでしょう」