夏ごろのお話です。用事があって宿坊に泊まりました。夜も11時ごろになって、さて寝ようかと、私は蒲団を敷き、洗面もすませ、蛍光灯を消して、寝床にもぐりこみました。すると、いきなり入り口の襖が、ガタッ、ガタガタッ、ガタガタガタッと、えらい勢いで揺れ出したのです。、びっくりして飛び起き、誰だっ!とばかりに襖を開け放ってみると、誰もいません。変だなと思いつつ、布団に入るとまた、ガタッ、ガタガタッが始まります。また飛び起きて開ける、誰もいない。その夜はこれを2時間くらい繰り返してしまいました。
最後はあきらめて、ガタガタ鳴るままに寝ることにしたのですが、私はいささか嬉しかったのです。というのも、私はまことに残念ながら心霊現象とか超常現象の類に出会ったことがありません。しかもここは恐山です。ここで何もないと、我が生涯でこういうものに出会うことはほぼ絶望的でしょう。そう思っていたところに、この襖事件です。これほどハッキリした異常なのだから、何かあるだろう。私は明日スタッフにこの話をするのを楽しみに、いつのまにか寝てしまいました。
翌朝、まだ寝ぼけマナコでぼんやりしているスタッフのところに、私は意気揚々と近づいて言いました。
「ついに出た!」
「何がです?」
「何だかわからないけど、何か出たんだ」
「いったいどうしたんです」
「夜寝てたら、襖がひとりでにガタガタ動き出したんだ! 飛び起きて開けたけど、誰もいないんだ!!」
するとスタッフは、驚くどころか、あ~あ、というような顔をして言いました。
「襖を開けたら音はしなくなって、閉めたらまた鳴ったんでしょ」
「そうだよ」
「あのー、院代さん。ここは硫黄のガスがあちこちから噴いてますね」
「そうだよ」
「するとですね、建物の中でも廊下と部屋の中では気圧が違ったりするんですね」
「気圧?!」
「そう、気圧。それがお化けの正体です」
一件はあえなく落着してしまいました。が、後で私は考えました。これを心霊話に仕立て上げるのは簡単だな。このロケーションで、お坊さんである自分がこの話をすれば、スタッフがバラさない限り、聞いた人間は、まず心霊現象であることを疑わないだろう。
私はこの世に常識や科学的説明が通用しない不思議な現象が数多くあることを否定しません。そのうちのいくつかは、「心霊」モデルで説明したほうが納得しやすいでしょう。それはそれで、かまわないのです。
お坊さんとして私が言いたいことは別なのです。「心霊」の実在を信じたとして、それが当人の生き方にどう関わるのか、それこそが問題なのです。「心霊」の実在が自分の問題の何を解決するのか、よりよき行き方を導くのか。生活は明るくなり、他人との関係はより豊かに深くなるのか。肝心なのはそれでしょう。そういうこととまったく無関係なら、「心霊現象」はワイドショーの芸能ネタと変わらない話です。だから、実際、テレビで人気があるのかもしれませんね。