「賽の河原」と称される恐山の岩場を巡ると、あちこちに写真のように草が結んであります。私より上の世代がこれを見れば、ほとんどの人が、一度は自分もやったことのあるイタズラを思い出すでしょう。私も子供の頃公園でやりました。草をアーチのように結んでおいて、誰かの足を引っ掛けようというわけです。しかし、なぜ恐山にそれがあるのでしょう。
私も初めて見たときは、てっきりイタズラだと思い、案内してくれた人に「どこにもつまらない悪さをする人がいるものですね」と言ったら、彼はいわく、「違いますよ。もしただのイタズラなら、こんなにいっぱいあるわけないでしょう。イタズラになりません」。たしかに無数の草のアーチがありました。
これはイタズラではありません。それこそ「賽の河原」の話に由来しているのです。もともとの「賽の河原」のストーリーは、いろいろなバリエーションがあるものの、基本的には、次のようなものです。
生まれて来れなかった子供や、幼くして亡くなった子供は、死後「三途の川」にある「賽の河原」に生まれ変わる。その河原で、この世でできなかった親孝行や積めなかった功徳の代わりに、石を積み上げて仏様に供養して、その功徳を両親に回向しようとする。ところが、石が積みあがって山になると、鬼が現れてその石の山を蹴散らし、崩してしまう。すると、子供らは泣く泣く、最初から積みなおす。「賽の河原の石積み」が報われない努力の喩えに使われるのは、この物語に由来する。
ざっとこんなところなのですが、実はこの話、インドの仏教にも中国の仏教にもありません。およそ仏教の経典に出てきません。この話は室町時代くらいに出来たと思われる日本製の仏教説話なのです。
この話が、恐山になると、こうなるのです。生まれて来れなかった子供や、幼くして亡くなった子供が一生懸命石を積む。鬼が出てきて蹴散らかす。子供たち、怖がって逃げる。鬼、面白がって追っかける。この鬼を転ばそうとして、草を結ぶ、というわけです。
となると、誰が草を結んでいくかは、想像がつくでしょう。子供を亡くした親たちなのです。若い親には、「賽の河原」の話など何も知らない人もいるでしょう。その人たちは誰かに「子供の供養に恐山に行くなら、草を結んで来るんだよ」とだけ言われたのかもしれません。
無数の草のアーチを見ていると、人をこうさせないではおかない何か、ただの想像力とは言いがたい、もっとリアルな、心の底からせり上げてくる力の存在を、私は感じざるを得ないのです。