自衛隊が軍隊である限り、そこに危険は付き物である。そのことから国は目をそむけるべきではないだろう。中共は冷戦時代に逆戻りするかのように、アメリカや日本を仮想敵国にしている。国内では独裁体制を強め、海外的には侵略の野望を隠さない。もはや共産主義の理想とは縁もゆかりもない国家である。本格的な武力衝突は勃発しないとしても、挑発的な軍事行動で、自衛隊や海上保安庁の職員に、犠牲者が出ることが予想される。そこで問題にされるべきは、英霊をどう遇するかである。靖国神社が大きな意味があるのは、日本人の宗教観に根差しているからである。加地伸行は「靖国参拝何がいけないのか」のなかで、日本人の信仰心のなかには、東北アジア共通の招魂慰霊があることに触れている。霊には精神の魂と肉体を主宰する魄(はく)とがある。お盆などは魄の「仏壇での呼び降ろし」であり、墓参における「呼びあげ」なのである。その一方で魂の慰霊を行うのが国家ではなくてはならない。加地が書いているように「国家の意志の下に戦死した英霊に対する国家的敬意」が示されなくてはならない。それが靖国神社であり、毎年8月15日に行われる全国戦没者追悼式なのである。国のために命を捨てる者たちを、国家が慰霊しなくては、自衛隊員も死んでも死にきれないのである。その法的な整備も早急に進めるべきだろう。国の護りを固めるにも、避けては通れない大問題なのである。武器を整備することも大事ではあるが、それ以上に日本人の宗教観を無視することはできないからだ。
←応援のクリックをお願いいたします。