草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

危機に備えて「内なるパトリア(祖国)」の再建を訴えた武藤光朗!

2016年03月27日 | 思想家

若い頃に一度だけ武藤光朗の講演を聞いたことがある。ヤスパースの研究家であった彼は、マルクス主義全盛時代にあっても、孤立を恐れずに果敢に言論戦を挑んだ。そのときはマキァベリの言葉を引用して、武藤は「内なるパトリア(祖国)」の再建を訴えた▼「私は運命をかの激流に比してみる。河川が氾濫するときは原野に溢れ、樹木も家屋もこれを押流し、此方の土を彼方に移し、いかなるものもこれに抗するを得ずして、これより逃れ、その暴力の前に屈する。川の性格のごとくであるにもかかわらず、天候平穏にかえるや、人はそれがために諸種の防備を施し、堤防を築き、もって再び氾濫があるとも河川は運河によって導かれ、その暴力を放恣危険に至らしめないようにする。運命についても亦これと同じく、防御力の薄弱なところに暴力をあらわし、牆壁も防御物もないところにその暴力を向ける」(マキァベリ『君主論』)▼武藤が声を大にして叫んだのは「内なるパトリア(祖国)」の再建であった。「運命の氾濫」を前にして、堤防や運河を築かなければならず、そのためには祖国のもとに団結しなければならないからだ。マルクス主義の観念論に対して、武藤は現実を直視することを説いたのである。武藤の主張は現在も色褪せてはない。言論の錯乱した状況はかえって深刻になっている。それでいて東アジアの緊張はかってなく高まっている。運命には抗しがたい力があるとしても、危機に備えるためにも、まずは「内なるパトリア(祖国)」の再建なのである。それなくしては運命の神は微笑んではくれないのだから。

 

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