草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

マインドコントロールと宗教

2022年09月15日 | 社会風刺
 
 
 アメーバーブログでも連日アップしています。
 宗教というのは信じるか信じないかであって、マインドコントロールされているかどうかというのを問題にしたならば、どんどん拡大解釈が可能になる。しかも、マインドコントロールされているかどうかを、一体誰が決めるのだろうか。
 イエスは聖書の中で、権威ある者の如く語ったといわれるが、その言葉が胸に響いた人というのは、自分の本心からか、それとも他者の影響かと考えると、誰もが分からなくなるはずだ。
 また、イエスは金持ちに向かって、全財産を捨てて、自分の後に付いてくることを命じられた。この世の富は、信仰に入るにはかえって足手まといになるからである。
 常識を突き抜けるのが宗教の力であり「不条理故に我信ず」という境地に達してしまうのである。親鸞は「念仏して地獄に落ちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」とさえ述べたのである。
 僕のような無信仰の人間にとっては、うかがい知れない世界である。しかし、僕は信仰に入る人たちの内面の自由を尊重したいと思う。旧統一教会が問題なのは、霊感商法であって、それ以上でも、それ以下でもない。
 さらに、自分というものがどうなのかを、はっきり言える人がどれだけいるのだろう。実存主義は、主体としての「私」を問題にしたが、それだって、実体としての「私」ではない。フーコーにいたっては、人間の消滅に言及しているのだ。「私」というのはあやふやで、あくまでも宙ぶらりんなのである。
 ドグマという観点から論じれば、イデオロギーも信仰と大差がないのである。マルクスのいうプロレタリア独裁は、まさしくイエスの千年統治の蒸し返しに過ぎないのだから。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 防衛力増強のために予備自衛... | トップ | 高橋洋一氏が言うように国葬... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

社会風刺」カテゴリの最新記事