草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

「疑似思想」である人権平和に与せぬ保守的立場とは!

2019年03月23日 | 思想家

右も左も混迷を深めているが、忘れてならないのは、保守的であることの意味である。ネットの保守派に対して、すぐに「ネトウヨ」とか罵倒する人たちがいるが、それは見当違いも甚だしい。佐伯啓思は『国家についての考察』において、保守的であることを説明するにあたって、オークショットの言葉を引用している▼「保守的であることは、見知らぬものよりは慣れしたしんだものを好むこと、試みられたことのないものよりは試みられたものを、神秘よりも事実を、可能なものよりも現実のものを、無制限なものよりも限度のあるものを、遠いものよりも近くのものを」▼保守的とは完璧を追い求めるのではなく、あくまでも身の丈に合った暮らしをすることなのである。理想を振りかざすお花畑とは違うのである。民衆の支配である民主主義は、時として暴走して全体主義に向かいやすいが、それに待ったをかけ、水を差す立場なのである▼日々目まぐるしく変わる時代だからこそ、私たちは足元を固めなくてはならないのだ。人権主義の拡大、平和主義の拡張を善とみなす風潮が高まっており、それが左翼のイデオロギーとして力を持ってきている。誰もが異議を唱えられない、佐伯が指摘する「疑似思想」に反論反撃するためにも、家族や共同体といった、保守の側として、守り抜くべきものを再確認すべきなのである。

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