草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

記者クラブで守られている望月衣塑子の被害者面を嗤う!

2019年03月19日 | マスコミ評

昨日の虎ノ門ニュースで、須田慎一郎が記者クラブの既得権益に守られている望月彫塑子を厳しく批判した。須田は「報道の自由は記者クラブ所属に所属する新聞・TVにだけある訳ではない。官房長官会見は月曜日から金曜日まで午前と午後の週10回行われているが、フリー記者に開放されているのは金曜日の午後1回だけ。我々フリー記者が『全て出席させろ』と訴えても実現しないのは、既得権益側の望月衣塑子や新聞労連は声を上げないから」と述べたのである▼須田が記者クラブを俎上に乗せたことは高く評価したい。とんでもない制度であり、それ以外のフリー記者は、会見へ出席することすら難しいのである。望月が東京新聞に属していることで、いくら記事にしなくても、自分の主張の場であっても、記者クラブに属しているから許されるのである。須田自身もフリー記者であるから、一言口にしたかったのだと思う▼東京新聞を含めて、日本のメディアはジャーナリズムとしての仕事をしていない。「モリカケ」程度のことに大騒ぎしているのだ。フリー記者として活躍している人たちにも門戸を開放するのは当然だが、今の会見はまともな質問はほとんどなく、陳腐化してしまっている。それでも続いているのは、記者クラブの既得権益であるからだ。メインストリートメディアは既得権益にまみれており、間違っても国民を代表する立場にはないのである。

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自分と考えの違う他者を罵倒する愚を批判したアレント!

2019年03月19日 | 思想家

政治を語るときには決まってハンナ・アレントが話題になる。自分のなかにいるもう一人の自分との対話を、彼女は重視した。だからこそ、他人との討論を通じて、変わりうるもう一人の自分を問題にしたのである。アレントが「政治とは人間の複数性に基づいている」(『政治とは何か』佐藤和夫訳)と書いた言葉を、私たちは今こそ噛みしめる必要がある▼アレントが師として仰いだカール・ヤスパースも、他者とのコミュニケーションが大切であることを説いた。今の我が国では、そうした政治の本質が忘れられてしまっているような気がしてならない。自分と違う考えの他者を罵倒することが横行しているからだ。それでは議論など成立するわけはない。プロパガンダを振りかざし、一方的に断罪するのは、狂気じみた集団ヒステリーである。その行き着く先は全体主義なのである▼かつては三島由紀夫と高橋和巳が対談して、お互いに意見を述べ合った。右とか左とかの違いにこだわらなかったのだ。それが言論本来の姿なのである。アレントは「公共性」という言葉も使っているが、自分とは異なる他者の主張に、もう一人の自分が共鳴するのならば、それを無理に否定すべきでないのである。殺伐とした言論戦ではなく、もっと心を開いて、じっくり、落ち着いた口調で他人と対話する余裕を私たちは持つべきなのである。

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