草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

田中美知太郎や竹山道雄の著作が保守の座右の書だ!

2018年08月08日 | 思想家

思想家や作家を論じるにあたって、私はほとんど敬称を付けたことがない。面と向かっては先生と呼んでいたにもかかわらず、私が書く文章では「西部邁」で通した。一人の思想家として遇するならば、ある種の距離を置くことで、いかに相手が保守に属する人間であろうとも、その信者になることを拒否したいからである▼私たちの年代では、吉本隆明と懇意にしていた連中は、好んで「吉本さん」を口にしたが、それが試行グループ特有のアットホームさがあったからだろう。それはそれで否定しないが、保守は徒党を組むべきではないのである▼かつて日本文化会議や「心」グループに集まった、田中美知太郎、三島由紀夫、竹山道雄、高山岩男のような識者は今どこにもいない。英語ができて、色々なパイプを持っているとか、人よりも歴史を知っているということを武器にしているだけだ。現在のような危機的な状況下であっては仕方がないことだが、それは思想や哲学と呼べる代物ではない▼大衆化社会にともなうサヨクのポピュリズムに対抗するには、それしかは手はないのだろうが、そこにとどまっていいわけがない。保守は政治を訥々と語るのが常であり、地味で大衆的な盛り上がりには欠ける。だからこそ手堅いのである。保守を自任する私は、田中美知太郎や竹山道雄の本が座右の書である。本物の保守の哲学を忘れてはならないのである。

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占領軍に媚びた教育が日本人を骨抜きにした!

2018年08月08日 | 歴史

百田尚樹が言っているように、戦争体験者は占領軍の支配を無条件に肯定したのではなかった。いつか必ず日本を取り戻そうと思っていたのである。守るべき祖国がなお存在することを信じていた。冷戦によって、東西の緊張が高まり、60年安保騒動で国会が暴徒に囲まれたときにも、多くの国民はそのバカ騒ぎに迎合しなかった。マスコミや学生はまともに安保条約改定の条文を読まず、東側のプロパガンダに振り回されただけであった▼今でも忘れられないのは、源田実が参議院議員であったことだ。大東亜戦争で数々の武勲を立てた源田は、昭和37年に自民党公認で参議院選挙の全国に出馬し4期24年間務めたが、それを応援したのがかつての部下たちであり、全国に散らばっていた。選挙カーが会津若松に到着したときに、勢ぞろいをして迎えたのは、そうした人たちであった▼日本国民の圧倒的多数は、戦争をまったく知らず、戦後教育の影響下にある。かろうじて救いなのは、学問の分野ではマルクス主義の権威が失墜していることだ。マルクスの訓詁注釈では飯は食えないのである。それでもマスコミ界には未だに巣食っている。とくに日教組の偏向教育を受けた団塊は、東京裁判史観を頭から信じている。戦後七〇年以上も経って日本が変わらないのは教育のせいであり、戦後レジームを打破できるのは若い世代なのである。百田ではないが、まずは戦後史を知ることから始めるべきだろう。

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