会津という地域に住みながら、あえて国の政治を語ることは不遜であろうか。江藤淳は『表現としての政治』に収録された「最初の鎖」で、忘れられた日本について語っている。「死者たちがどこにも行かずに日本の国土にとどまり、生者の営みを見守っているというのは、古来日本人がうけついできた素朴な信仰であった」。日本人が己を律することができたのは、死者の眼差しを意識したからなのである。戦後の日本が失ってしまった大切なものを、江藤はしっかりと見据えていた▼「私には、すでに帰るところがあった。私は、帰ろうと思えば、前の戦争で死んだ三百万の死者たち—日本のために死んで、いまでも日本にとどまり、見てくれの急速な『近代化』から生じたその日暮らしに追われている人々から忘れられているあの死者たちのところへ、帰ればよかったのである」。江藤にとっては三百万人もの日本人が死んだという事実こそが問題であった。一人ひとりの顔が目の前をよぎったのである▼死者とのつながりによって自己を確かめるというのは、日本人であれば誰もがしていることだ。それが会津には色濃く残っているのである。150年前の戊辰戦争や白虎隊にこだわるのには理由があるのだ。「これらの死者たちは、われわれを過去につなぐ最初の鎖である。この鎖を通らずには、われわれは自分の内部を遡行して歴史に出あうことができない」からであり、その実在感と手ごたえこそが会津の会津たる所以なのである。
応援のクリックをお願いいたします