草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

除夜の鐘聞きながら小林秀雄の『本居宣長』を読む

2010年12月30日 | 思想家

 今年も残すところ明日一日だけだが、年末から年始にかけてやることは、もう決まっている。小林秀雄の『本居宣長』を読むことだ。除夜の鐘を聞きながら、書斎にこもって独り頁をめくるのである。NHKの紅白歌合戦などという乱痴気騒ぎは、付き合いきれない。国民的行事としての役割は、とっくの昔に終わってしまったのではないか。昭和40年代初めまでは、戦後の高度経済成長ということもあって、国民が一つになったが、そんな時代は二度ともどってこない。美空ひばりのような国民的スターが、出場者のなかにいるわけでもないし、面白いはずがない。今、小林秀雄を読むというのは、日本人としての自分自身を確認するためである。さかしらな心ではなく、やまと心を知ることによって、これまでの来し方を反省し、明日に向かう指針を手にしたいからだ。もう何回も読破しているが、そのたびごとに、日本人としての情(こころ)が呼び覚まされる。日本語によるたおやかな思想が、そこには息づいているからだろう。「学問とは物知りに至る道ではない、己れを知る道である」という小林秀雄の言葉も、ずっしりとした重みがある。それだけに、私にとっては、小林秀雄の『本居宣長』を手に取らなければ、新年を迎えたことにはならないのである。  

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保守派とネットが一体となって国を動かしたこの一年

2010年12月30日 | 思想家

 今年を回顧してみると、民族主義の胎動を感じる一年であった。保守派の運動が高揚し、ネットと一体になって、この国の政治を動かしつつあるからだ。まだその運動は緒に就いたばかりである。しかし、葦津珍彦の「日本思想の心理と論理」での言葉を拝借するならば、そこに参加している一人ひとりが「すぐれた政治思想と、英知ある政治力学の法則を学びとる」ことになるのは確実であり、「沈黙せる民族大衆の精神的同感と支援とを確保するに違いない」と期待してならない。米国から押し付けられた憲法のもとで、それこそ「沈黙せる民族大衆」は声を上げることができなかった。マスコミもこぞって、「民主化」なるものに迎合し、日本の弱体化を推し進めたのだった。ようやくここにきて、葦津が夢見た「精鋭なる前衛が政治の力学を学びとり、この大きな民族の底流と結びつくとき、ポツダム憲法はなだれのごとくくずれさるであろう」ということが、現実のものになろうとしているのだ。日本人に培われた伝統や文化は、さかしらな教育や言論統制によっても、根絶やしにはできなかったのである。今から40年ほど前、ヤルタポツダム体制の打破を叫んだ学生たちがいたが、今はそのとき以上の高まりをみせており、絶対にこの機会を逸してはならないのである。  

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