会津はこのまま息の根を止められてしまうのだろうか。経済的に追い詰められているのは確かだが、そういうわけにはいかない。土俗的なエネルギーは、簡単にしぼむわけがないからだ。中央の言い分を唯々諾々と聞いている必要はあるまい。会津の先人は、我々より先駆的であった。想起せよ、明治元年に会津全土に吹き荒れたヤーヤー一揆を。さらに、その一揆に促された肝煎り階級が、自由民権運動の立役者となり、国会開設に向けた運動を、この会津の地から開始したのである。そして、明治15年の喜多方事件となって、広汎な民衆を巻き込んだのであり、その流れが、自由党から政友会へと受け継がれたのだ。政友会の代議士であった八田宗吉がそうであったように、我々もまた会津の大地に根ざすべきなのだ。八田が原敬の政友会を選んだのも、立ち遅れた会津に、政治の光をもたらすためであった。あくまでも郷党の政治家たらんとしたその志こそ、今の政治家は受け継ぐべきなのである。民主党政権になって、地方切り捨ての政策は、なおさら露骨になってきた。民主党の長老議員である渡部恒三代議士の出身地である南会津などは、惨憺たる状態である。恒三代議士とっては、自分が生まれ育った郷党などどうでもよいのだろうか。
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