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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■すべてを益に変えられる神 / 持田浩次

2024年06月18日 | Weblog

2024/03/05放送

 「世の光」の時間です。埼玉県三郷市にある三郷(みさと)教会の牧師、持田浩次です。

 人との関わりには、どうしても自分の願った通りにならないことがあります。自分が人を誤解することや、反対に人から誤解されることもあります。仕事や勉強でも、自分の願いとは違う方向に行くことがあります。

 その原因が自分の失敗やミスであれば、自分を責めたり仕方ないと思ったりします。
その反対に、自分にはまったく責任のない、誰かの失敗や責任でそうなるときは、人を責めたり、悔しくなったりします。人生はそういうことの繰り返しかも知れません。

 けれども、その一つ一つのことを、お祈りによって神様に話してみてください。神様は、そのことを分かってくださり、その問題の中でも一緒にいてくださいます。

 聖書には、このような言葉が書かれています。
 「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」 (ローマ人への手紙8章28節)

 私たちが失敗と思っていたことを、そのことがあったから良かった、と言えるように神様は変えてくださいます。自分の失敗も、人の嫌がらせでも、神様はそこに新しい意味と価値を与えて宝物に変えてくださいます。神様は、すべてのことを支配して、それが益となるようにしてくださいます。

 あなたの問題を、神様のこのような働きに任せてみませんか? ぜひそのことを神様に祈ってみてください。心の中で神様に話すことで良いのです。神様は、きっとそのことを良いことに変えてくださいます。

 今日の聖書のことば
 「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」 ローマ人への手紙8章28節


 ( PBA制作「世の光」 2024.3.5放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■苦しみを分け合いましょう / 持田浩次

2024年06月17日 | Weblog

2024/03/04放送

 「世の光」の時間です。埼玉県三郷市にある三郷(みさと)教会の牧師、持田浩次です。
人間関係のすばらしいことは、だれかが自分の喜びを自分のことのように喜んでくれると、その喜びが何倍にも大きくなることです。そしてその人だけでなく、周りの人たちも幸せにします。
 
 同じように、私たちが苦しい時にそれを自分のことのように分かってくれる人がいると、苦しみがどんどん小さくなっていきます。

 聖書では、パウロがローマ人への手紙の中で、このように書いています。
  「喜んでいる者たちと共に喜び、泣いている者たちと共に泣きなさい。」(ローマ人への手紙12章15節)

 他の人の苦しみを分け合うことは、その人と自分だけのことではなく神様も喜ばせることになります。
神様は、その人の苦しみを軽く小さくしてくださるだけではありません。苦しみを分け合った人にも、喜びを満たしてくださいます。

 そのように、他の人の苦しみを自分のことのようにして分け合うことは、神様が喜ばれることです。

 「愛の反対は憎しみではなく、無関心だ」と言った人がいます。確かに無関心では他の人の苦しみに気づくことがありません。私たちは他の人に関心をもつことでその人の状況を思い、理解することができます。

 そして実は、最もあなたに関心をもっておられるのは神様です。神様はあなたのことをいつも理解し、あなたの苦しみを分かち合ってくださいます。神様があなたの苦しみを小さくし、あなたの喜びを大きくしてくださいます。

 キリスト教会には、このような神様の愛による人間関係があります。あなたもぜひお近くのキリスト教会に行ってみませんか? 

 今日の聖書のことば
 「喜んでいる者たちと共に喜び、泣いている者たちと共に泣きなさい。」 ローマ人への手紙12章15節

 

 ( PBA制作「世の光」 2024.3.4放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■ルカの福音書 145 / 大嶋重徳

2024年06月15日 | Weblog

2024/03/02放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。今週、イエス様は固い岩の上に建てた家とは「わたしのことばを聞いて行う」人だと言われました。そしてイエス様は言われました。6章の40節、
 「弟子は師以上のものではありません。しかし、だれでも十分に訓練を受ければ、自分の師のようにはなります。」

 これはおかしいのではないかと思われるかもしれません。弟子が師匠を超えられなくて、どうして技術が前進するのか。学問が積み上げられていくのか、と思うかもしれません。しかしこの場合の師、先生とは誰でしょうか。イエス様です。イエス様を超えることなど出来ません。そして、イエス様を超えなくても良いのです。いや超えようとするから、問題が起こるのです。イエス様が示してくださった範囲を超えて、そこに何かを付け加えようとして、おかしなことが起こってくるのです。
 聖書の上にも下にもいろいろと人間的なものを付け加えるからこそ、おかしなこととなっていく。愛することも枠から外れてしまうとおせっかいに変わります。余計な愛だってあるからです。

 「十分に訓練を受ける」ということば、これは「修行を積む」という意味です。元々のことばは「整える」という意味で、曲がったものを修正する。ではどこに向かうように修正するんでしょうか。イエス様に向かって整えられるように修行をし訓練を受ける。イエス様と同じように身を整えるのです。イエス様の生きておられるように身を整えていく。「自分の師のように」なるよう、イエス様は訓練しなさいと言われているのです。

 では、どのような訓練でしょうか。イエス様はおっしゃいました。「わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行なう」訓練です。私たちの心にあるものが口から出てきます。だからこそ、心の中にイエス様のことばが溢れるまでイエス様のことばを聞いていくのです。心の中に何もなければ何も出てきません。悪いものがあれば悪い物が出てきます。

 良いもので溢れるように良いもので満たすために「世の光」は始まりました。「ここに来なさい」とこのラジオで、あなたの心に良いものが満たされていく。そして満たしてくださる方がおられるのです。

 神のことばが私たちの人生のことばになっていくまで神のことばに浸っていく。誰かを赦そうと思うまで、愛そうと思うまで、神のことばを聞いていくのです。自分のことばが聖書のことばに近くなっていくように、このことばが今日もあなたの心に与えられていく。イエス様のことばを聞いて行う者になりましょう。


 ( PBA制作「世の光」 2024.3.2放送でのお話しより )


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■ルカの福音書 144 / 大嶋重徳

2024年06月14日 | Weblog

2024/03/01放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。今週、イエス様は固い岩の上に建てた家とは「わたしのことばを聞いて行う」人だと言われました。一方で土台のない家とは、イエス様のことばを聞きながらも行わない人のことだと言われるのです。

 私たちには判断したり決断しなければならない時があります。人を評価しなければならない時もあります。人を評価する人は明確に評価基準を持っていないといけません。何が正しいか何が正しくないかをきちんと見定めることが出来ないといけないのです。判断する時にうろたえるような事があってはいけませんし、周りから見ても、「なるほど。それは分かる」という判断が出来ないといけません。感覚ではいけない訳です。その日の気分で裁いてしまってはいけません。「あの人はすごい」と勝手に持ち上げて、「あんな人だとは思わなかった」と勝手に人を落とすということもあるでしょう。

 では私たちが「裁いてはならない」と言われる時、どの基準で判断することが出来るのか。基準があるとするならば聖書の基準です。その聖書の基準で、愛を持って人を量っているのでしょうか。

 イエス様は「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。人の口は、心に満ちていることを話すからです」(ルカの福音書6章45節)とおっしゃいました。

 私たちの人に向けることばが、どこから始まっているのかということが問われているのです。裁き合ったり、罪に定め合うところから、噂話で始まっているのであれば、悪い木からは悪い実しか実りません。悪い倉から悪いものが出てくるのです。
 良い木からは良い実が出てきますし、良い倉からは良い物が出てきます。

 私たちの心の土台がイエス様の愛によって建てられているでしょうか。その愛で溢れているものが内側から外側へと出てくるのです。今日も私たちにイエス様は慰めのことばをかけてくださいます。励ましのことばをかけてくださるのです。
 そのイエス様のことばをまずよく聞きましょう。沢山そのことばを内側に蓄えるのです。その心の良い蔵にイエス様の良いことばを、愛のことばで満たしていくのです。
 すると私たちの中に愛のことばが溢れてきます。そうなるとその判断はびくともしません。「ここに来ると安心するなー」と、人々の信頼を勝ち得て、人生の大嵐の時にだって逃げ込んでこれる、そんな関係を築いていくことができるのです。

 

 ( PBA制作「世の光」 2024.3.1放送でのお話しより )


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■ルカの福音書 143 / 大嶋重徳

2024年06月13日 | Weblog

2024/02/29放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。今週は固い土台の上に立てられた人生と、土台のない人生との違いについて、イエス様が弟子たちにお話になった箇所です。

 弟子たちは「自分たちは信仰の目が見えている」と思っていたのです。しかしイエス様はルカの福音書でこうおっしゃいました。
 「あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。自分の目にある梁が見えずに、どうして兄弟に、『兄弟。あなたの目のちりを取り除かせてください』とどうして言えるのですか。偽善者よ。まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、兄弟の目のちりがはっきり見えるようになって、取り除くことができます。」 ( ルカの福音書6章41節、42節 ) 

 目のチリ、目の梁とは人の罪のことです。あなたは自分こそが正しいと思っている。そして人を裁いている。しかしイエス様の目から見ると、人を罪に定め、人を裁いているあなたの目の中には「太くて硬くて丸太のような梁」が横たわっているよ、と言われるのです。

 実は見えている、分かっていると思っているあなたは何も見えていないではないか。自分の目の梁があるにも関わらず人のチリが見えるというのは偽善だ、と。偽りの正しさだ、とイエス様は仰るのです。
 そんなあなたが人を導こうとしている。それでは土台の無い家と同じようになっているし、いざという時に簡単に壊れる。人を裁いて自分は悪いとは思わない人生がひどい壊れ方をするというのは、私たちに分かることだと思います。そこにはイエス様の土台がありません。イエス様のことばを聴いて実践する土台がないのです。

 そしてイエス様の土台とは愛の土台です。愛の土台の上に立った人生は人を裁きません。愛のない土台の上から聴こえてくる指導のことばも指導方法も、結局人間関係が壊れていきます。このことをイエス様は弟子たちに警告されました。

 今日、私たちも自分の目の中にある太い梁に気が付きたいと思います。他人を裁けるような自分ではないことを認めたいと思います。そしてそんな自分をそれでも赦しあわれんでくださる神様の愛に土台を置きたいのです。
 イエス様の愛の土台は強固です。私たちの人生を押し潰そうとしてくるものからあなたを守ってくれます。
 そのために今日私たちは、自分の太い梁を取り除いていく祈りをイエス様にお捧げしたいと思います。


 ( PBA制作「世の光」 2024.2.29放送でのお話しより )


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■ルカの福音書 142 / 大嶋重徳

2024年06月12日 | Weblog

2024/02/28放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。今週、イエス様は固い岩の上に建てた家とは「わたしのことばを聞いて行う」人だと言われました。一方で土台のない家とは、イエス様のことばを聞きながらも行わない人のことだと言われるのです。

 そしてイエス様は言われました。「なぜあなたがたは、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか」とおっしゃいました。

 この話を聴いている彼らはイエス様の弟子たちでした。神のことばを聞いてはいる。「主よ、主よ」とも祈ってはいる。しかしイエス様の言うことを行っていない、と言われているのです。それでは土台のない人生になってしまう。いっぺんにあなたの人生が倒れてしまうことがあるよ、その壊れ方はひどいものになるとイエス様が言われるのです。

 そしてイエス様はこの箇所で弟子たちに、「盲人が盲人の手引きは出来ない」と言われました。イエス様は目の不自由な人のことを批判的におっしゃっている訳ではありません。イエス様は目の見えない方の目に触れ、癒やされました。また目の見えない方だからこそ目の見える者よりも分かることがあります。その声を聞いて身体に触るだけでどこが弱っているのかが分かる。かえって目で見ることで分かったような気になって分かっていないということがあるのです。

 イエス様はここで、心の目の見えない人のことを言っておられるのです。イエス様の弟子たちは自分の心の目が見えていない。けれども自分は誰よりも見えていると思っている。「主よ、主よ」と人を教えながら、人を導きながら、聖書のことばを語りながら、その生き方は土台のない人生になっている。

 牧師である私の心に本当に深く突き刺さることばです。自分も聖書を語りながら、分かったような気になって、分かっていないことが沢山あるからです。聖書を教えながらも、「一体、どの口が語っているのだろうか」と思うような時があります。

 しかしそんな時にこそ、神のことば、イエス様のことばをじいっと聴くのです。イエス様のことばは私の心の硬い岩盤を打ち砕いてくれます。私の信仰の目は開いていない。でもイエス様が、見えない私の手を引いてくださる。だからこそ安心してイエス様の手を握り、そして少しずつにでも、聴いた神のことばを実践していきたいと思います。

 イエス様に心の目を開いて頂くよう、祈っていきましょう。

 

 ( PBA制作「世の光」 2024.2.28放送でのお話しより )


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■ルカの福音書 141 / 大嶋重徳

2024年06月11日 | Weblog

2024/02/27放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。私の担当している週は、ルカ福音書からご一緒に聖書を学んでいます。今週は、岩の上に建てた家と、土台のない家との違いについてイエス様が語られた聖書の箇所です。

 土台のない家に建てた家については、イエス様はこうおっしゃいました。
 「しかし、聞いても行わない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家はすぐに倒れてしまい、その壊れ方はひどいものでした。」(ルカの福音書6章49節) 

 イエス様はここで私たちの人生について話しておられます。土台のない人生は、突然やってくる大雨と洪水で私たちの人生が激しく壊れてしまうことがあるんだ、と言われたのです。

 では土台なしの人生とは一体何でしょうか。 「聞いても実行しない人」だと言われました。

 何を聞いても実行しないのでしょうか。イエス様は「わたしのもとに来て、わたしのことばを聞く」ことだと言われたのです。

 神のことばを聞くこと、聞いて実行をするならば、その人は人生を深く掘り下げることができる。堅い岩の上に人生の土台を据えることが出来るのだと言われたのです。

 確かに、神のことばを聞くならば、神のことばである聖書は私たちの心の岩盤を、硬い硬い岩盤を砕いてくれるのです。
 「世の光」で願っていることもそうです。聖書のことばを聞くと、私たちは聖書のことばで心がグサッと刺さるような、そんな感覚を経験したことがあるのではないかと思います。まるで鋭い鍬(くわ)で、心の硬い土が、石が砕け散るような思いになります。そしてそこに神のことばの柱がグッと差し込まれていく。先行きの見えなかった不安な人生に、「恐れるな。わたしがあなたと共にいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。」(イザヤ書41章10節 )と、「大丈夫だ」と不安な心に神のことばが生活の真ん中に差し込まれ、そして人生の行くべき道を、方向を指し示してくれるのです。
 そのとき私たちの人生は真っ直ぐに立つことが出来ます。どれだけ強い風が吹いたとしても、どれだけの大水が流れてきたとしても、揺れたとしても、太い柱のゆえに「安心」することが出来るのです。

 今朝も聖書のことばを聞くあなたの人生に確かな土台を築いてくれます。そして私たちはどんな大水が押し寄せてきても、神のことばによって守られた一日を歩むことが出来るのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.2.27放送でのお話しより )


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■ルカの福音書 140 / 大嶋重徳

2024年06月10日 | Weblog

2024/02/26放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。私の担当している週はルカ福音書からご一緒に聖書を学んでいます。今週は、「平地の説教」と呼ばれるイエス様の説教の最後の箇所です。「平地の説教」の最後には、有名なお話が出てきます。岩の上に土台を建てた家と、土台なしで家を建てた人との違いです。

 ルカの福音書6章48節(、49節)にはこうあります。
 「その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がこの家に押し寄せても、しっかり建てられていたので、びくともしませんでした。
 しかし、聞いても行わない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家はすぐに倒れてしまい、その壊れ方はひどいものでした。」

 私たちの人生には突如、洪水の大水が押し寄せるということがあります。

 私の実家の前は由良川という大きな川が流れていました。大雨が降ると川の水が溢れて水田の方にまで流れ込んできました。堤防のなかった時は一面が海のようになり、川向うまで一面、水で覆われてしまいました。子どもの頃、その光景はとっても怖いもので、家に押し迫ってくるんではないかと心配になりました。
 しかし父は「重徳、大丈夫やで。この家は高台にあるし、しっかりとした土台の上に建てられているから」と言ってくれて、安心したのを思い出します。

 大雨が降ることも、川の水の勢いも、誰も人の力で止めることはできません。そして人生においても、洪水のような激しい揺さぶりを経験することは避けることができません。誰もが突然押し寄せてくる大水に、巻き込まれることがあるのです。

 昨年の末、私の父が突然に亡くなりました。私の心は激しく乱れましたし、大きな動揺が押し寄せて来ました。大水が押し寄せてきたような心持ちになりました。しかし、もし押し寄せてくる川の水が来たとしても、自分の人生が良き土台の上に建っているならば、安心でびくともしない堅牢な建物であるならば、その押し寄せてくる川の水を乗り切ることができるのです。

 「この家は大丈夫」「この土台は大丈夫」ということばはどれほどの安心感を与えてくれるでしょうか。「びくともしない」人生があるとイエス様はおっしゃいます。今週、そのような堅固な岩の上に立てられた人生を生きるのにどうしたら良いか、ご一緒に学んでいきたいと思います。


 ( PBA制作「世の光」 2024.2.26放送でのお話しより )


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■わたしが命のパンである / 板倉邦雄

2024年06月08日 | Weblog

2024/02/24放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 今日は、「わたしが命のパンである」という題でお話ししましょう。いよいよイエス様がご自分の正体を例えをもって明らかにします。

 「わたしが命のパンです。わたしが天から下ってきて、この世に命を与えるパンです。」
  ヨハネの福音書6章の34節から35節です(35節と33節)。

 さて、人々はイエス様に求めます。「主よ、いつもその神のパンを私たちにお与えください。」
  
 イエス様は答えました。「わたしが命のパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときでも決して渇くことがありません。」

 子供たちが大好きなアンパンマンは、お腹の空いた人に自分の顔をちぎって食べさせてあげますねぇ。
イエス様は私たちの命のパンです。ですからイエス様のそばに来る者にご自分の命をお与えになることができます。だから決して誰も飢えることはありません。イエス様が私たちにお与えになる命のパンは、量的な食べるパンのことではなく、質的な命のパンです。私たちの心と魂にお与えになる命のパンです。私たちの理性と感情と意思を、そして良心を満足させてくださるパンです。さらに、私たちの霊的な部屋も満足させる命のパンなのです。

 さらに具体的に言いますと、イエス様を信じて従ってくる人に、イエス様は安らぎや喜び、感謝の日々をお与えになります。祈りの霊を注いでくださり、愛や親切、寛容、柔和、自制の実りの果実を食べさせてくださるでしょう。

 さらにイエス様は続けて約束しました。「わたしを信じる者はどんな時でも決して渇くことがありません。」
 確かヨハネの4章でイエス様はご自分のことを生ける水に例えられました。愛に飢え渇いていたあのサマリヤの女性に言いましたね。「このヤコブの井戸の水を飲む者は誰でもまた渇きます。しかしわたしが与える水を飲む者は誰でも決して渇くことがありません。」

  この世の愛はキャッチボールの愛です。お互いに傷つけ合うこともあるでしょう。しかし、イエス様の愛は天から雨のように一方的で恵みの愛なのです。

 このイエス様を信じて、生ける命の水のような愛を注いでもらいたいのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.2.24放送でのお話しより )


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■神のパン / 板倉邦雄

2024年06月07日 | Weblog

2024/02/23放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は、「神のパン」という題でお話ししましょう。

 製造元によるパンもいろいろありますね。そして、この世には「神のパン」もあります。天の父なる神様が作って私たちに与えてくださる「神のパン」です。ヨハネの福音書6章の30節から33節です。

 人々は続けてイエス様に食い下がりました。
 「イエス様、それでは、私たちが見てあなたを信じるために、しるし・サインとして何をしてくださいますか。私たちの先祖は荒野でマナを食べました」
 旧約聖書には、「モーセは人々に、天からパンを与えて食べさせた」と書いてある通りです。

 モーセは荒野でマナという綿菓子のようなパンを天から降らせ、人々を養いました。先祖たちはそのしるし・サインを見て、モーセを神の預言者と信じ従ったのです。
 「では、イエス様、あなたを信じる証拠として、あなたはどのような天からのしるし・サインをしてくださいますか?」
 イエス様は彼らに答えました。「まことに、あなた方に告げます。モーセはあなた方に天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなた方に天からのまことのパンをお与えになります。というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです」

 「天からのしるし・サインを見せてください」と食い下がる人々は既に見たはずです。五つのパンと二匹の魚で五千人以上の人々を養ったイエス様こそ、まさに神のしるし・サインではなかったでしょうか。すなわち、モーセ以上の天からのしるしであり、信じるに価する神のわざではなかったでしょうか? そのことも触れずに、イエス様は「神のパン」について人々に語りかけました。
 「神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです」。

 まず、「神のパン」は天から下って来るものです。天の家からこの世に下ってくる存在でした。そして、「この世にいのちを与えるもの」だったのです。
 この世界にいのちを与え、生きる力を与える存在です。この両者の条件を満たす「神のパン」とは、ラジオをお聞きの皆さんは、もうすでにお分かりでしょう。生ける神の子、独り子イエス・キリストでした。

 聖書のことばです。
 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました」
             ヨハネの第一の手紙 4章9節


 ( PBA制作「世の光」 2024.2.23放送でのお話しより )


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