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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■大きな光を見る / 福井 誠

2020年07月08日 | Weblog

2020/5/13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いて参りましょう。

 イザヤ書9章2節から「大きな光を見る」と題してメッセージをお伝えいたします。
  「闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る。
  死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。

 自分の人生は闇の中だなあと思わされたことはないですか? もう何年も、いや何十年も、このまま人生が終わってしまうのかなあと、何かもう人生半分諦めかけた気持ちになっていることはないでしょうか。いや人生諦めてはいけない、と自分に言い聞かせるのもほとほと疲れてしまったなと思っていることはないでしょうか。私は誰にでもそのようなエピソードの一つや二つあるのではないかと思うことがあります。

 ここで「闇の中を歩んでいた」というのはアッシリヤに征服されたイスラエルの国のことを言っていますね。彼らは国を奪われ奴隷とされてしまい、もはや自分たちの未来に何の良いものも期待できない状況に置かれていました。しかしイザヤはそのように落胆していたイスラエルの民に神の恵みが真っ先に与えられると語るのです。それは解放とエルサレム再建を予測させる預言でした。そして先日も言いましたように、預言書には二重のメッセージがありますから、それは現代の私たちに対する解放と再建の預言ともなっていますね。

 9章6節 「ひとりのみどりごが私たちのために生まれ」とあります。それは私たちの救い主キリストの降誕をも預言しているのです。確かに私たちが人生の闇を通り、何ら人間的な助けも期待できない状況に於いては、上からの神の助けを願うことでしょう。もう自分を救うのは神以外にない、と。しかもその救いは私たちの闇の状況よく理解した心通う助けの手を差し伸べてくださることを期待するものでしょう。そうような意味で、キリストは神であられるのに神であるありかたを捨てて私たち人間と同じようになられたお方でした。神は闇の中にある私たちを救い出すキリストを遣わされたことを信じたいものです。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2020.5.13放送でのお話より )

 ****** 

  さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。 
  
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 このサイトは URL名として  
 http://yonohikari.biblica.info  
 が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。 

 


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■天下をかき回す人 / 板倉邦雄

2020年07月07日 | Weblog

2020/5/12放送
 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 天下をかきまわす人が今日の使徒の働きに出てきます。使徒の働きの17章に入ります。

 さて、パウロ伝道チームの一行はピリピの町を去ってマケドニアの主要都市であったテサロニケの町へやってきました。ここにはユダヤ人の会堂がありました。パウロは例によってその会堂に入って行って、三つの安息日に渡って旧約聖書に基づき、会堂に集まってくる人々と論じ合いました。話したり論じ合ったことは三つのことでした。

 一つはキリストすなわち救世主は必ず苦難を受け、私たちの罪のために身代わりの死を受けること。第二にキリストは死人の中からよみがえるべきこと。そして第三にナザレのイエスこそキリスト・救世主であるという三つの点でした。

 この三つの点をパウロは安息日ごとに会堂に集まってくる人々に説明したり論証したり、自分の経験を証ししたりしたのです。イエス・キリストの苦難と十字架の死そして三日目の復活、イエス・キリストこそが私たちの救い主であること、このキリストの出来事は私たちの人生の苦難、死の苦しみ、罪の赦しによる永遠の滅びからの救いが関わっているのです。

 テサロニケの人々はパウロの説明と論証と証しとに納得がいって、パウロとシラスに従うようになりました。イエスをキリスト・救い主と信じたのです。ユダヤ人だけではなく信仰深いギリシャ人も多数いました。貴婦人たちもその中にいたのです。

 ところがあるユダヤ人たちは、多くの人々がパウロとシラスに従っていくのを妬みました。町をぶらつくならず者を集めては暴動を起こし、町中を騒がせたのです。そりからパウロとシラスを匿っているヤソンの家を襲い、パウロとシラスを民衆の前に引っ張り出そうとしましたが、二人を見つけることはできませんでした。仕方なくヤソンと信徒数人を市の当局者の所へ引きずって行き、大声で訴えたのです。「天下を掻き回して来たこの人たちがこの町にも入り込んでいるのです!」

 私たちは妬みによって掻き回す人でも、待ちをぶらつくならず者によって掻き回す人でもなく、イエス・キリストの御名によって天下を掻き回す人になりたいものですね。

  (PBA制作「世の光」2020.5.12放送でのお話より ) 

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このサイトは URL名として 
 http://yonohikari.biblica.info  
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。 

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、 
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ 

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■モーセの決断 / 岩井基雄

2020年07月06日 | Weblog

2020/5/11放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 第二月曜日の今日は、旧約聖書のモーセの生涯から、モーセの決断について学んでみましょう。エジプトに於いて奴隷状態を経験した神の民を神様は憐れみ、モーセにそこから出ていく使命を与えます。すべての主権を持つ神は、しりごみをするモーセを力づけ、助け手としてことばが巧みな兄アロンをも備えたのです。あとはモーセの決断だけでした。エジプトから逃れミデヤンの荒野にいたモーセはまたエジプトに戻り、同胞イスラエルの民の理解を得、さらにエジプトを説得し神の民を連れ出さなければなりません。その全てが神様のチャレンジでした。かつてはエジプトの王宮で最高の教育を受け、ミデヤンの荒野では羊を飼い、心も体も鍛えられたモーセでしたが、この神様からのチャレンジは決して小さくはありませんでした。しかしモーセは決断するのです。そして義理の父にその旨を伝えます。

 聖書はこう記しています。


 そこでモーセは行って、しゅうとイテロのもとに帰り、彼に言った。「どうか私をエジプトにいる同胞のもとに帰らせ、彼らがまだ生きながらえているかどうか、見させてください。」
 イテロはモーセに言った。「安心して行きなさい。」
  【主】はミディアンでモーセに言われた。「さあ、エジプトに帰れ。あなたのいのちを取ろうとしていた者は、みな死んだ。」
 そこでモーセは妻や息子たちを連れ、彼らをろばに乗せて、エジプトの地へ帰って行った。モーセは神の杖を手に取った。
   旧約聖書 出エジプト記4章18節から20節 

 モーセのしゅうとイテロも何かを感じていたことでしょう。そして、「安心して行きなさい」と力強く送り出したのです。モーセのいのちを狙っていた者も死に、すべてが整ったことを知ったモーセは、家族とともにエジプトに向かう決断をします。そしてモーセの手には、この後神のわざを行う神の杖が握り締められていました。決意・決断とともに、神の約束を握り締めるモーセの確信があったことでしょう。

 神様はあなたの人生にも豊かなチャレンジを与えてくださっています。あなたも神様の愛の約束と愛のことばを握り締めて、決断の一歩を踏み出してみませんか? 神様はあなたの人生を祝福しようと待っていらっしゃるのです。

  (PBA制作「世の光」 2020.5.11放送でのお話より ) 
 
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■神殿の玄関に立てられた二本の柱 / 羽鳥頼和

2020年07月04日 | Weblog

2020/5/9放送
 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
 
 教会の隣に15階建てのマンションが建つことになりました。2年かけて今年の12月に完成の予定です。その工事には様々な作業があり、その作業ごとに専門の職人が日本のあちらこちらから来て仕事をしています。ソロモンが神殿を建てる時も、外国のツロから職人たちが来ました。
今日はそのことについて語られている列王記第一の7章からお話しします。

 ソロモンは青銅の細工職人のヒラムをツロから呼び寄せました。ヒラムは神殿の玄関前の広場に自立した2本の柱を作りました。柱はそれぞれ高さおよそ8 m 。柱の周囲はおよそ5 m。 柱の頭である柱頭は高さおよそ2 m もありました。そこには、ざくろや百合の花などの細工が施されていました。ヒラムはその2本の柱にヤキンとボアズという名前をつけました。ヤキンというのは「彼は設立する」、ボアズは「力を持って」という意味がありました。

 この彼とは誰のことでしょうか。柱に名前をつけたのがヒラムですから「彼」とはソロモンのことであると考えられます。ヒラムは、ソロモンが神殿を建ててその王権を確立した、というような意味を込めたのかもしれません。

 それでは、ソロモン自身は神殿建設のことをどう思っていたのでしょうか。この後に行われた神殿の奉献式の中のソロモンの祈りを聞くと、神殿建設に関するソロモンの思いを知ることができます。

 ソロモンは神に祈って言いました。
 「私はあなたの宮を建てました。」(参照 1列王記8:13)

 そして次に、「あなたは私を王として立ててくださり、私が神殿を建てると約束してくださいました。神よ、今日あなたはそれを成し遂げてくださいました。」(参照 1列王記8:15-24)

 ソロモンは神のために神殿を建てました。そして神は約束通りにソロモンに神殿を建てさせてくださったのです。

 人が神に仕えようとするなら、神はその人に素晴らしい働きを成し遂げさせてくださるのです。

  ( PBA制作「世の光」 2020.5.9放送でのお話より )
 
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■永遠の住まい / 関根弘興

2020年07月03日 | Weblog

2020/5/8放送
 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス様はご自分が捕らえられ十字架につけられることを以前から弟子たちに話しておられました。しかし弟子たちはそのことの意味がなかなか理解できませんでした。動揺している弟子たちにイエス様はこのように語りかけてくださいました。ヨハネの福音書14章1節(~3節)
 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」 
 このように言われました。イエス様は一人一人のために永遠の天の住まいがあるのだと約束されました。

 当時の社会では、天の住まいは義しい人の報いであると教えられていました。つまり、この世で正しく生活をしている人のために天の住まいが備えられるんだと教えられていた訳ですね。それなのにイエス様はご自分が天の住まいの場所を備え完成するのだと言われたのです。

 当時のユダヤ人たちは、自分たちは神様に選ばれた民であり、神様の律法の戒めを守って生活しているのだから義しい者と認められ、天の住まいを与えられるに決まっている、と考えていました。逆に、神を知らない異邦人は天の住まいなど住むことができず、さすらいの旅をしなければならない、と考えていたのです。

 しかしイエス様は、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言われました。私たち一人一人のための永遠の住まい、永遠の住む場所を備えてくださるというのです。

 本来、誰も天の住まいに住むことのできる義しい人などいませんよね。しかしイエス様が私たちの罪の身代わりとなって十字架につけられ、罪の罰をすべて受けてくださいました。そのことによって、誰でもイエス様の十字架のみわざを信じ受け入れるなら天の住まいに住むことの保証を得ることができるのです。イエス様は、弟子たちにもあなたにも、大丈夫、心を騒がせる必要はない、あなたがたも必ず天の住まいに入ることができるのだから、とあなたにも語られているのです。

      (PBA制作「世の光」2020.5.8放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■ルカの福音書14 -マリアの受胎告知 / 大嶋重徳

2020年07月02日 | Weblog

2020/5/7放送
  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 しばらく間があきましたが、ルカ福音書を順番に読んでいます。今朝は有名なマリヤの受胎告知の箇所です。

 「さて、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。
 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。
           ルカの福音書1章26、27節 

 当時の習慣では、男性の婚約年齢は20歳前後。さらに女性はもっと若かったと言われています。これに出てくるマリヤの年齢は十代半ばの女性でした。この当時の婚約とは結婚と同じ意味を持っていました。婚約をして一年間は別居生活をし、お互いの家族の所で一緒に生活をする。マリヤはこの婚約式の後の一年間、別居しつつ結婚の準備をしている期間でした。

 マリヤの住んでいたガリラヤのナザレとは、エルサレムの北約40キロぐらいにある小さな村で、考古学の発掘で分って来たことは480名ぐらいの人が住んでいた町だったと言われています。この村で生まれ、誰もがマリヤのことを知っている環境で育ちました。マリヤという名前はユダヤ語の響きでミリアム。親も神を信じるユダヤ人の歴史の中を歩んでいたのでしょう。おそらくマリヤもまた村の会堂に通い、旧約聖書のお話を聞いて育ちました。彼女は今で言う教会学校で育った女の子の一人でした。小さな頃から全部知られている。

 この十代のマリヤの人生にこの後、とてつもないことが起こります。突然現れた天使がマリヤの妊娠を告げるのです。しかも妊娠しているのは世界を救うメシヤだと言うのです。マリヤに起こったことは彼女の人生にとって余りにも最悪の状況でした。幾ら救い主がこの地上に来る必要があったとしても、余りにも十代のマリヤが引き受けるのには荷が重く、酷な状況がマリヤを襲ったのです。マリヤは両親、更には小さな村の一人一人の顔が浮かんだでしょう。マリヤは悲鳴を上げました。「どうしてそのようなことになりえましょう。」(ルカの福音書1章34節 新改訳第三版 ) 

 人生にはどうしてこんなことがあるのかと言うことが突然に起こります。今年の初めから起こった新型コロナウイルスは余りにも突然のことでした。不安が全世界を襲ったのです。しかし私たちは知っています。歴史の中で起こった出来事の中で神様の知らないものは何一つないことを。しかし今は悲鳴をあげるしかないと言うときがあります。そして悲鳴をあげて良いのです。悲鳴をあげながら、この後、彼女は自分の身に起こったことを「おことばどおり、この身になりますように。」(ルカの福音書1章38節 )と受け止めていきます。

 一体彼女の心に何が起こったのでしょうか。ご一緒に見ていきたいと思います。

    ( PBA制作「世の光」2020.5.7放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■愛がそうしたいと思う時までは / 福井 誠

2020年07月01日 | Weblog

2020/4/29放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。
 継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。
 今日も聖書を開いて参りましょう。雅歌3章5節から「愛がそうしたいと思う時までは」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛がそうしたいと思うときまでは。

 雅歌はヘブル語ではシール・ハ・シリーム、直訳すれば「歌の中の歌」です。ヘブル語では単語を二度繰り返すと最上級になるので、「最も優れた歌」という意味になります。伝統的にユダヤ人はこの書をイスラエルに向けられた神の愛を主題としていると考えてきましたし、キリスト教会でも教会に対するキリストの愛を伝えるものとして読んできました。

 著者は一般にソロモンと考えられていて、ソロモンとその相手方の女を主役とした恋愛劇の詩となっています。そこでどの節が誰の台詞(せりふ)なのかを注意しながら読んでいくことが大切です。今日読んだ箇所は相手方の女性の台詞になりますね。

 少し背景を説明すると、深く強い恋愛関係を求め合う男性と女性の思いが初めに語られていきます。そのような衝動性を伴う恋愛感情に女性は慎重で、「揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛がそうしたいと思うときまでは。」と語っているわけです。つまり言いたいことは、愛というのは関係の中に自然に目覚めるもの、育ってくるもの、実を結ぶ時を要するものだということです。時と共に深みを増し、いつしか二人は結びあっていると気づかされるものなのです。ことさら意図的に関係を作り出そうとして作り出すものではないということですね。

 神と人の関係も同じです。こうして毎日聖書を読みながら自然に育ってくるものがあるのです。かの宗教音楽家バッハはこの雅歌をもとにカンタータ140番『目覚めよとわれらに声が呼びかける』を作曲しました。バッハはイエスと私たちとの関係を歌う霊的な歌としてこれを作ったのですが、それはやがて天に迎えられる時までに私たちと神との愛の関係が深められて行く素晴らしさを歌っています。神との愛も自然に育つものであることを覚えて聖書を読み続けたいものですね。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2020.4.29放送でのお話より )

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