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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■機会を活かそう / 関根弘興

2016年11月07日 | Weblog
2016/11/7放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日も聖書のことばを最初に紹介いたしましょう。
 新約聖書エペソ人への手紙5章15節(、16節)
 「そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。

 パウロは私たちが機会を十分に生かして用いて生きていくことを勧めています。「機会を十分に生かす」とは直訳すると、「時を稼いでおきなさい」とか「時を買い取りなさい」という意味になります。時間というものは誰にも平等に与えられています。しかしそれをどう用いるかは人によって大分違いますね。

 学生時代に、ま、いろいろなことをやりたいことがあっても、試験の前になれば試験勉強のために時間を用いますねえ。つまり自分が必要としていると思えること、大切だと考えていることのために時間を確保しながら私たちは生きている訳です。

 そこで問題なのは私たちは本当に自分の人生に必要なことのために時を優先して用いているだろうかということなんですね。そのためには、私たちの人生に本当に必要なことは何かということを知っておく必要があると思います。

 新約聖書のマタイの福音書6章33節で、イエス・キリストはこのように語りました。
 「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」 

  つまり、人生の優先順位の第一は、神の国とその義を求めることだ、と言うのです。具体的には神様を心から礼拝し賛美し感謝していくために時を確保することが大切だということですね。神様の前に心を静め、聖書のことばに耳を傾けていくのです。その時、自分自身の状態を見つめ直すことができるでしょう。必要な心の栄養を受けることができるでしょう。そして大きな神様の愛の励ましや慰めを受けることができるでしょう。今は忙しく慌しい時代です。だからこそ与えられてる時間のほんの少しでも心を静め、自分を見つめることが大切なんですね。イエス・キリストは、「そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」 と約束されています。私たちが神様をあがめるために時を稼いでおく、時を買い取ることは大きなあなた自身の祝福に繋がるんですね。
 
(PBA制作「世の光」2016.11.7放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■神はその高き所に平和をつくる / 羽鳥頼和

2016年11月05日 | Weblog
2016/11/5放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は旧約聖書のヨブ記25章からお話しします。

 ヨブ記の主人公であるヨブは大きな苦難に遭いました。そんなヨブの所に3人の友人がヨブを慰め励ますためにやってきました。ところが友人たちとの語らいは議論になってしまったのです。
 ヨブは言いました。「神は悪者を必ずさばかれる。確かにあなたの言う通りだ。しかしそのさばきが遅れることによって、多くの人々が苦しまれなければならないのはなぜなのか。」
 友人のビルダデはヨブの疑問に答えようとしますが明確に答えることができませんでした。ビルダデは二つのことを答えました。一つは、神はその高き所で平和を造られる。そしてもう一つは、神の前に正しい人などいない、ということでした。ビルダデの答えはヨブの疑問に何も答えることができていません。一つ目の答えの、神はその高き所で平和を造る、とは天においては悪が栄えることはなく本当の平和があるということです。しかしヨブが嘆いているのは地上でのことです。地上では悪がさばかれず平和にはほど遠い状態があちこちにあるのです。ですから、神の前に正しい人はいないという二つ目の答えから導かれる結論は、この世に平和が無いのはしょうがない、となってしまうのです。解決がありません。ビルダデは間違ってはいません。しかしビルダデは罪の世の現実に救いを見いだすことができないのです。しかしこのような不毛な議論の中にあってヨブは神が救ったくださると期待し続けました。私たちも新約聖書を見ると、この世の罪の現実を見ながらも神の救いに期待できるようになります。救い主イエス・キリストが誕生した時、天使たちはこのように賛美しました。「いと高き所に栄光が神にあるように。地の上に平和が御心にかなう人々にあるように。」 私たちは地の上に平和があるようにと願うべきです。イエス・キリストもそのように祈りなさいと教えています。それが主の祈りです。イエス・キリストはこの地上で生きる私たちに本当の平和を与えてくださるために来てくださいました。明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください

 (PBA制作「世の光」 2016.11.5放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■きよさを求める人生の祝福 / 岩井基雄

2016年11月04日 | Weblog
2016/11/4放送

 世の光の時間です。お変わりありません? 岩井基雄です。
 今日は、旧約聖書の詩篇101篇の前半から「きよさを求める人生の祝福」と題して、神様の愛と真実に生かされる人生の幸いを共に考えてみましょう。

 先月は、不誠実な私たちにも真実で恵み豊かな神様に心から感謝することによって、受ける祝福について学びました。今日は、主と共に歩む人生の恵みを歌うダビデの心に思いを向け、どのように自分の人生や心を整えていけば良いのかということを一緒に考えてみましょう。

 詩篇101篇2節から4節をお読みします。
 「私は、全き道に心を留めます。いつ、あなたは私のところに来てくださいますか。私は、正しい心で、自分の家の中を歩みます。私は、全き道に心を留めます。いつ、あなたは私のところに来てくださいますか。私は、正しい心で、自分の家の中を歩みます。私の目の前に卑しいことを置きません。私は曲がったわざを憎みます。それは私にまといつきません。曲がった心は私から離れて行きます。私は悪を知ろうともしません。」     旧約聖書 詩篇101篇2節から4節

 私たちの心には常に葛藤があります。悪しきことを行おうとする誘惑と、悪を止め正しいことを行いたいという思いが戦っているのです。シモーユ(シモーヌ)・ヴェイユという哲学者は『重力と恩寵』という本の中で、人間の心の中でまるで重力のように働く傾向がある罪とそれを変える神様の恵みと恩寵について語っています。私たちの心の罪はそのままではまっさかさまに堕落への道へ堕ちていってしまいます。私たちの罪深さは決してあなどってはならないのです。罪は私たちの人生や家族にも多くの影響を与えます。私たちの心にはきよさや正しさを求める渇きがありますが、その歩みを貫こうとする戦いは決して簡単ではありませんね。しかし真の愛である神様と共に私たちが歩む時、私たちは正しさやきよさを求めていく力が与えられていくのです。なぜならば、きよい神様が私たちと共にいてくださるからです。そして神様は私たちの罪を赦し、私たちを内側から造り変え、曲がった心やわざが私たちから離れていくような歩みと祝福を私たちの人生に与えてくださるのです。あなたも創造主である神様を心から賛美し、喜びと輝きの人生を歩み出しませんか? 神様の愛の中であなたの人生はきよさへと造り変えられていくのです。

  (PBA制作「世の光」2016.11.4放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■主よ、いつまでですか / 福井 誠

2016年11月03日 | Weblog
2016/11/3放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主よ、いつまでですか」です。それでは第一サムエル記27章4節から読んでみましょう。
 「 ダビデがガテへ逃げたことが、サウルに知らされると、サウルは二度とダビデを追おうとはしなかった。

 ダビデはいのちを狙われ、執拗に追い詰められていましたね。しかしこの時ダビデは二人の妻の他に600人の部下と彼らの家族を抱えていました。自分の身を守るだけではない、ともにいる者たちの生活をも守らねばならない責任を感じながら、サウルから逃れるだけの人生では先が無いと考えたのかもしれませんね。ダビデは敵であったペリシテ人の地に逃れる決意をしました。もはや神のどんでん返しを考えるのは難しいという判断だったのでしょうね。この時ダビデは詩篇13篇を書いていますが、その中でダビデはこう語っています。
 「主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。」(1節)

 ダビデは半分神に捨てられた気持ちになって、もはや神ではなく敵の保護を受けようと決意するのです。こうして彼はサウルの追跡を恐れることなく平和な時を過ごしていくようになります。しかしそれはまがいものの平和、偽りで塗り固められた平和に過ぎないものでした。と言うのもダビデは敵の王に嘘をつき、略奪で家族と部下を養わなくてはならなかったのです。もはや誠実な人生とはかけ離れた人生、自分の秘密が漏れることを怖れていつもダビデは略奪の度に皆殺しの横暴を働かざるを得ませんでした。この時のダビデの心は決して穏やかではなかったはずです。しかしそれが神のわざを諦めた結果だったのではないでしょうか。

 しばしば私たちの人生には答えを得たく思いながらも、なかなか得られない。神の愛の見守りすら感じることができないことがあるものですね。その結果私たちは神の御心を抜きに自らの答えを出してしまいやすいものです。しかしその結果は、ますます深い混迷に至ることがあるのですね。極限の中にあっても、なおも主を待つことが信仰の道でもあるのです。

(PBA制作「世の光」2016.11.3放送でのお話より )

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■落胆の沼 / 板倉邦雄

2016年11月02日 | Weblog
2016/11/2放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「落胆の沼」という題でお話ししましょう。

私たちは人生の旅路においてしばしば落胆の沼の中に落ち込むことがあります。まさにシナイ山を出発したイスラエルの人々を待っていたのは落胆の沼だったのです。

 さて神様が約束してくださったカナンの報告を聞いたイスラエルの人々は失望してしまいました。土地は素晴らしいのです。豊かな牧草地とたくさんの草花が咲き誇っているのです。まさに乳と蜜の流れている地と言っても言いすぎではありません。しかしそこに住んでいる人々は巨人で強く、しかも住んでいる町は堅固な城壁に囲まれていました。12人の探索隊の内10人までが悪い報告をしました。

 それを聞いたイスラエルの全会衆は泣き明かしたのです。そして再び指導者モーセとアロンに向かってつぶやきました。「私たちは、エジプトの国で死んでいたら良かったのだ。なぜ主なる神様は私たちを約束の地などに連れてきて剣で倒れさせ、また私たちの妻や子どもたちを先住民の餌食とされるのでしょうか。そうだ、私たちは別のもう一人の指導者を立ててエジプトに帰ろう。」と言いだす始末でした(民数記 14章1~4節参照)。この時、約束の地を探ってきたヨシュアとカレブの二人は衣を裂き、全会衆に向かって訴えました。「私たちが行きめぐって探った土地は非常に良い地です。主なる神様が良しとされるなら私たちをその地に導いて行ってその地を私たちにくださるでしょう。主なる神様が私たちと共におられますから彼らを恐れてはならないのです。」(民数記 14章6~9節参照) しかし、すっかり失望と落胆の沼に心と足を取られた人々は石を手にして二人を打ち殺そうとしたのです。主なる神様への信仰を失う時、私たちはどうなるか分からない将来を悲観して落胆し後ろ向きになってしまうのですねえ。

 聖書のことばです。
 「あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。・・・あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」 
                   ペテロの第一の手紙5章6節と7節

  (PBA制作「世の光」2016.11.2放送でのお話より )

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■起きて、床を取り上げて歩け -5 / 大嶋重徳

2016年11月01日 | Weblog
2016/11/1放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
聖書には38年もの間、ベテスダの池で寝たきりの人が出てきます。イエス・キリストはその人に「よくなりたいか」(ヨハネ福音書 5章6節)と声をかけられ、彼の病気は癒されます。その後、イエス様はわざわざ彼に再会して言われたことがありました。
 「もう罪を犯してはならない。」(ヨハネ福音書 5章14節参照)
 彼の抱える本当の問題は、彼の孤独でも彼の失望でも38年間の病気にあるのではなかったのです。本当に彼を苦しめていたのは罪だとイエス様は語られたのです。

 罪は私たちを変われないという思いにして来るものです。罪の中にいるとき、自分の人生は所詮変われないよ、と自分の人生は諦めてしまいます。そして、自分はだめなんだ、と決めつけてしまいます。イエス様は、自分はこのままずっと変われないんです、と弱さしか話すことのできなかった彼の傍らに立ち、彼の弱さをそのまま受け入れられました。しかし同時に彼の根っこの原因、罪の問題を見過ごされたりはしなかったのです。イエス様は、あなたはもう罪の中に眠り込み留まっていてはいけない、とおっしゃったのです。
 冬の日には私たちは布団から出て来たくありません。目覚まし時計がなっても、もうちょっともうちょっと、と思いながら暖かい布団の中にいたいと粘りたくなります。罪という布団も長いこといると結構居心地がいいんですね。いつまでも布団の中に居続けたいと思うようになる。周りの人からはなぜこんな事していたんよ?と思われたとしても、その人にとっては居心地がいい場所になっているのです。そして別にそのきたなさも気にならない場所になっている。私たちはこういう罪の布団をもっているのだと思います。自分の弱さに失望した時、逃げ込んできた場所。本当はまずいなあと思っていてもやめられない事柄。もう変わることができない、そう諦めてしまっている場所です。

 そしてイエス様は今日変わることができないと諦めて罪の中にいる私たちに対しても、「起きなさい。あなたはそのままでいてはいけない。床を取り上げて歩きなさい。」と言われるのです。あなたにとって、そのままでいてはいけない罪の布団とは何でしょうか。そこから今朝も聖書のことばを聞いたあなたに、体を起こして欲しいのだ、と主は言われています。

  ( PBA制作「世の光」2016.11.1放送でのお話しより )

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