2014/11/06放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「自分の行いに応じて」です。それではヨハネの黙示録20章13節から読んでみましょう。
「海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。」
黙示録19章では、天において大群衆の歓声が沸き起こっていました。「ハレルヤ。救い、栄光、力は、われらの神のもの。」(1節) 神様を信じ従って来た者が天に迎えられ勝利を祝い、大宴会を繰り広げる、そんなお話でしたねえ。
20章は、最終的な地上の姿を描いています。聖書は神の主権によって歴史は終焉に向かっている、と教えます。しかし、単に終わるのではなくて新しい天と新しい地に向かっていくのです。この地上はやがて滅びて新しい天と地に置き替えられていきます。その切り替わりの時が描かれていますね。興味深いのは、「海はその中にいる死者を出し」とあることです。今もそうでしょうが、当時、海で死んだ人を見つけ出すことはまず不可能なことでした。地上で死んだ人については、死後みな陰府(よみ)に下ると考えられていましたが、海で死んだ人の運命は全く分からないとすらされていたのです。海の深みは全くの神秘だったのです。
ところが、終末においてこの海の深みに消え去った人々も皆出て来る。これは一種のたとえです。つまり歴史上のすべての人が一人も漏れることなく神の前に立たされることを言っています。行方が分からなくなった人であれ、事件に巻き込まれ闇に葬られた人であれ、神に忘れられることはなく、神の御前に立つ機会を与えられ、それぞれが自分の行いに応じて裁かれるというのですね。何か恐ろしい気もしますが、聖書はすべての人が神の前で正しいさばきを受け、正しく弁明する機会も与えられるのだ、と言っているのです。
神様は正しいお方なので、すべての帳尻をきちんと合わせられ、世の流れるまま、横暴のなすままにはさせられないのです。これは人生を誠実に歩み人にとっては慰めです。終末の時は物事がうやむやに闇に葬られることもなく、正しいことが正しいとされ、ふさわしい報いを受ける時となります。神の報いにもれる事はありません。希望をもって歩みたいものですね。
(PBA制作「世の光」2014.11.06放送でのお話より )
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「自分の行いに応じて」です。それではヨハネの黙示録20章13節から読んでみましょう。
「海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。」
黙示録19章では、天において大群衆の歓声が沸き起こっていました。「ハレルヤ。救い、栄光、力は、われらの神のもの。」(1節) 神様を信じ従って来た者が天に迎えられ勝利を祝い、大宴会を繰り広げる、そんなお話でしたねえ。
20章は、最終的な地上の姿を描いています。聖書は神の主権によって歴史は終焉に向かっている、と教えます。しかし、単に終わるのではなくて新しい天と新しい地に向かっていくのです。この地上はやがて滅びて新しい天と地に置き替えられていきます。その切り替わりの時が描かれていますね。興味深いのは、「海はその中にいる死者を出し」とあることです。今もそうでしょうが、当時、海で死んだ人を見つけ出すことはまず不可能なことでした。地上で死んだ人については、死後みな陰府(よみ)に下ると考えられていましたが、海で死んだ人の運命は全く分からないとすらされていたのです。海の深みは全くの神秘だったのです。
ところが、終末においてこの海の深みに消え去った人々も皆出て来る。これは一種のたとえです。つまり歴史上のすべての人が一人も漏れることなく神の前に立たされることを言っています。行方が分からなくなった人であれ、事件に巻き込まれ闇に葬られた人であれ、神に忘れられることはなく、神の御前に立つ機会を与えられ、それぞれが自分の行いに応じて裁かれるというのですね。何か恐ろしい気もしますが、聖書はすべての人が神の前で正しいさばきを受け、正しく弁明する機会も与えられるのだ、と言っているのです。
神様は正しいお方なので、すべての帳尻をきちんと合わせられ、世の流れるまま、横暴のなすままにはさせられないのです。これは人生を誠実に歩み人にとっては慰めです。終末の時は物事がうやむやに闇に葬られることもなく、正しいことが正しいとされ、ふさわしい報いを受ける時となります。神の報いにもれる事はありません。希望をもって歩みたいものですね。
(PBA制作「世の光」2014.11.06放送でのお話より )
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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http://yonohikari.biblica.info
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