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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■新しい人に変えられる / 福井 誠

2013年06月06日 | Weblog
2013/6/6放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。

 今日のバイブル・メッセージは「新しい人に変えられる」です。それでは第一サムエル記10章6節から読んでみましょう。

 「主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。

 サウルが王様に召された時のことです。当時のイスラエルでは正式にある地位に就いたことの任職式を行う際には油注ぎという儀式を行いました。油はオリーブ油であったようですが、これを頭から注ぐということをします。そしてサウルの場合は新しい王様になったということを皆で認めるわけです。しかし、当時のイスラエルは日本とは違って神様に従い国を建て上げていくと考えました。ですから、王様についても神様が立ててくださり神様に立られた王様に従っていくと考えた訳です。そういう意味ではサウルが神様によって王様に立られたのだというしるしも必要とされたのでしょう。サウルは目に見える油のみならず預言者サムエルが預言したように主の霊を注がれるという出来事に遭遇する訳です。サウルはギブアという町に出かけた際に彼は主の霊を注がれる経験をし、預言者たちに混じって預言をするという本来のサウルならばありえない経験をしました。以前からサウルを知っている者たちはその様子を見て一体どうしたことかと驚きを隠せなかったようです。

 こうしてサウルは神様に立られた王様であることが明らかにされるわけですが、今日の私たちにとっても大切なのは「主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。」ということばでしょう。

 イエスが十字架にかかった後、三日目によみがえって弟子たちにお会いした時に語ったことは「わたしの霊を受けなさい」(参照ヨハネ 20章22節)ということでした。

 「使徒の働き」という書物の中に彼らが実際に主の霊を受ける出来事があったことが書かれていますが、実はそれは私たちに対する神の約束でもあるのです。私たちも神の霊を受けるならば、新しい人にされます。信仰を持つということは物絡みの御利益以上の祝福まさに私たちの人間性が新しくされることでもあるのです。信仰を持って新しい人生に踏み出しましょう。

(PBA制作「世の光」2013.6.6放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

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■愛に生きる七年間 / 板倉邦雄

2013年06月05日 | Weblog
2013/6/5放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「愛に生きる七年間」という題でお話ししましょう。

 時間というものは私たちの心の持ちようで長くもなり短くもなるものです。嫌だなあと思いながら生活していますと時間がなかなか進ません。しかし楽しい事、嬉しい事をしている時はあっという間に時間が過ぎてしまいますね。ヤコブも母の故郷(ふるさと)で同じような経験をしました。創世記の29章の続きです。

 さてラバンは自分の妹リベカの息子が来たという知らせを娘のラケルから聞きました。ラバンは走って行ってヤコブを迎え、抱いて口づけし、家に連れて来ました。ヤコブはこれまでのすべてのことをおじさんのラバンに話したのです。ラバンは言いました。「あなたは本当に私の親類です。」 また一ヶ月が過ぎた頃ラバンはヤコブに言いました。「あなたはわたしの甥だからといって無償で私のために働く事もないでしょう。どんな報酬を望みますか? 私に言ってください。」

 ところでラバンおじさんには二人の娘がいました。姉の名はレアと言い、妹の名はラケルと言いました。姉のレアは目が弱くしょぼしょぼしていたようです。一方、妹のラケルは美しく愛らしかったようです。ヤコブは井戸端で羊飼いのラケルに出会い、一目惚れをしてしまいました。ヤコブは妹のラケルを好きになったのです。

 そこでおじさんのラバンに答えました。「私はあなたの妹娘ラケルのために七年あなたにお仕えし働きましょう。」

 こうしてヤコブは七年の間ラケルのために働きましたが、彼女を愛したのでただ数日のように思われた、と聖書に書いてあります。

 私たちが愛に生きる時、七年間がただの数日に感じられるのですねえ。働く事は苦労が伴います。働く事はまさに労働です。額に汗を流すことでしょう。しかし労苦の働きが愛と結びつく時、それはまさに「はたらく」、はたを楽にすることになります。家族を愛して働く、人を愛して働く、愛と結びついた労働をしていきたいものです。仕事の奴隷とならないためにも神様を愛して働きたいのです。

(PBA制作「世の光」2013.6.5放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■集まって聞きなさい / 山中直義

2013年06月04日 | Weblog
2013/6/4放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。人は誰も一人で生きるべきではない。聖書はそう教えています。今日は「集まって聞きなさい」と題してのバイブル・メッセージです。

 旧約聖書創世記49章には信仰者ヤコブの最後のことば、息子たちへの祝福のことばが記されています。ヤコブは最後の力をふりしぼって息子たちを集めてこう言いました。「集まりなさい。後の日にあなたがたの上に起こることを告げましょう。ヤコブの子らよ、集まって聞きなさい。」

 こうしてヤコブは息子たち一人ひとりに対して各々にふさわしい祝福を与えたと聖書は言います。

 ところがその祝福のことばをようく読んでみると、その中にはどう考えても祝福とは言いがたい叱責や戒めも語られています。

 例えば長男であったルベンはその罪のゆえに長子の権利を剥奪されてしまいます。また次男と三男であったシメオンとレビはその怒りの激しさのゆえに相続地が与えられないということ。そしてその子孫は兄弟たちの子孫の中に散らされて行くということが語られています。これらの叱責や戒めは個人ということに限定してしまうなら決して祝福とは言いがたいものだと言えます。ところが神様が集めてくださった共同体という視点から見るなら、それはやはり素晴らしい祝福だと言えます。

 特別な地位や使命に不適切な人がいつまでもその重荷を負い続けなくても良い。怒りなどの感情コントロールできない人が共同体の中で適切に取り扱われて行く。これらのことは神様によって集められた共同体の中で生きることで初めて豊かな祝福と言うことができます。また反対に素晴らしいリーダーシップの賜物など個々人に与えられる豊かな賜物や経験、祝福というものもその人だけが受け取るべきものではなく、共同体の一員としてそれを大切にあずかりわかち合うべきだと聖書は教えています。

 「集まって聞きなさい。」 神様は今も私たち一人ひとりに対してそう語りかけていてくださいます。どうぞあなたも教会にお越しください。そしてそこでともに神様のことばを聞き、重荷を担い合い、祝福を豊かにわかち合う、そんな幸いな人生を歩んで頂きたいと思います。

(PBA制作「世の光」2013.6.4放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■なくなる食物のためでなく / 関根弘興

2013年06月03日 | Weblog
2013/6/3放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 私の友人が高校時代に何のために生きてるのだろう、生きる意味って何だろう、まあそんな疑問を感じまして先生に相談に行ったことがありました。その質問に先生も困ってしまい、「そうかあ、それじゃ昼休みにもう一度来い。考えておくから。」 というわけで彼は昼休みに職員室に行ったんですね。すると先生が「おい、生きる意味が分かったぞ。生きる意味はこれだ。」と言って食べていた弁当を差し出したというんですね。先生曰く「生きることは食うことだ。」こういうふうに言ったというんです。ま、確かに食べなければ私たちは生きていけませんが、人が生きるということはそんな単純なことではありませんよね。

 イエス・キリストが公の活動を始める前に40日40夜の断食をなさいました。すると試みる者がやってきてこう言うのです。「イエスよお腹が空いただろう。お前が神の子ならこの石がパンになるように命じなさい。」(参照マタイ福音書 4章3節)

 するとイエス様は旧約聖書のことばを引用してこう答えられました。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」(マタイ 福音書 4章4節)このように言ったんです。つまり人が生きるためには物質的な必用が満たされる、それだけではなくそれ以上に霊的な必要が満たされなければならない、そうおっしゃった訳ですね。

 神様が語りかける聖書の約束を受け取って生きていくということが人として生きる基本的な姿だとイエス様はおっしゃった訳です。

 マタイの福音書の6章というところには
 「何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。・・・あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」 (マタイ福音書 6章31節、32節、33節)そのように書かれています。第一に求めるべきものを求めていけば必要は備えられて行くのだとイエス・キリストは約束なさったんですね。

 ある時、イエス様は自分のもとに集まってきた群衆たちに向かってこう言われました。「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。」(ヨハネ 6章27節) こう言われたんです。イエス様はいつまでも残るもの続くもののために働き生きていけ、とおっしゃったんです。

 聖書にはいつまでも残るものは信仰と希望と愛だと書いてあります。神様を信頼し永遠の希望見つめ神様に愛されていることを知り生きていく。これが人としてのあるべき姿なんですね。

(PBA制作「世の光」2013.6.3放送でのお話しより)

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■赦されない罪 / 羽鳥頼和

2013年06月01日 | Weblog
2013/6/1放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。今日は罪の赦しについてお話しします。

 イエス・キリストは人の罪を赦す権威を持っておられました。どんな罪をも赦すことができるのです。イエス・キリストはすべての人の罪を負って十字架にかかってくださり、身代わりとなって死んでくださいました。このキリストの十字架によって人は罪を赦され、永遠のいのちに生きることができるのです。これがイエス・キリストによる救いです。

 罪とは聖書で教えられているまことの神様を信じないことです。また他の神々を拝むことも罪です。そして悪い思い、悪い行いも罪なのです。

 新約聖書のローマ書の1章では罪人についてたくさんのことを教えられています。

 罪人とは「陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。」(1章29節~31節、)とあります。

 ここに言われている悪い思い・悪い行いの一つでも思ったり行なっている人は罪人であり滅びなければならないのです。

 しかしイエス様はこのような罪を赦すことができるのです。ただある時イエス様は赦されない罪があることを教えられました。イエス様はこう言われました。

 「まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。・・・しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」(マルコ3章28節、29節、参照マタイ12章31節)と。

 永遠に赦されることのない「聖霊を汚す」とはどのような罪なのでしょうか。聖霊を汚すとは、イエス・キリストによって与えられる救いを拒絶することです。イエス・キリストの十字架によって救われることを信じないならばその人は罪に定められ、永遠に赦されないのです。イエス・キリストの十字架の意味を知って信じることをしなければ人は救われないのです。イエス・キリストこそ本当の救い主なのです。あなたも救い主であるイエス様があなたを救うために十字架にかかってくださって死んでくださったことを信じてください。イエス様はあなたの罪を赦す方です。

 明日キリスト教会ではイエス・キリストの十字架を覚えて礼拝を行います。ぜひあなたも教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」2013.6.1放送でのお話より )
 
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