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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■神のプランを知る

2007年01月08日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー、一年の計は元旦にありということばがありますように、年の始めに私たちはこの一年間どういうような生き方をしようかな、どういうことをしようかな、いろいろな計画を立てるということ、これは大切なことですよねえ。なかなか計画通りにはいかないということが実際に起こったりしますけれども、でもやはり当てずっぽうに一年を始めるよりはちゃんと計画を立ててっことは大切なことだと思いますねえ。と同時にですねえ、聖書の中にこういうことばがありまして、「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っている」(旧約聖書エレミヤ書 29章11節)という、これは神様が言われたことばなんですけれども、つまり、神はあなたがたのために計画をちゃんと立てているということばなんですねえ。で、「それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ書 29章11節)っていうことばがあります。

 で、私たちは自分自身の計画を立てて、そして神様どうぞこの計画がうまくいきますようにというふうにお願いするのも悪くはないと思うんですけれども、しかし神はどういう計画をお持ちなのかなあ、神の計画はどういうことなのかということを知るといいましょうか、そのプランに従って生きるっていうことが大切ではないかなあというふうに思う訳ですね。で、ここにも、「それはわざわいではなくて」ってありますけれども、イスラエルの民の歴史を見ましても本当に困難に出会ったりですねえ、苦しみに出会ったりというふうなことが実際にあった訳です。でもそれは決して究極的な目的ではなくって一時的にそういうことがあったとしても、究極的には平安を与える、そして将来と希望を与えるのだということが神の究極的な目的であるということ、それがその計画の趣旨だということですね。

 この聖書というのは、実は神の私たちに対する愛の計画書または救いの計画書なんですね。ですから私たちが神が私たちにどういう計画をお持ちなのかなあということを知るためにはですねえ、聖書を読んでみる、聖書を開いてみることによって、神が私たちに対して本当に素晴らしい計画をお持ちなのだということが分かる訳なんですね。そして究極的には必ず将来を与え、希望を与えるためのものなのだ。そのプロセスにはいろんなことがあったにしても、私たちには決してその希望は失望に終わることがないのだというそういう方向へ導いてくださる。その神の計画を知ること、これが大切ですね。
  
 ( PBA制作「世の光」2007.01.08放送でのお話しより)


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
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■イエスから目を離さないでいなさい

2007年01月06日 | Weblog

 
 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。
さあ今日の世の光は、皆様からお寄せ戴く「心に残る聖書のことば」の御紹介です。

 千葉県流山市にお住まいの原田さんからは新約聖書ヘブル人への手紙12章2節と旧約聖書詩篇84篇6節の二つのことばをお寄せくださいました。お読みしましょう。
 
第一にヘブル人への手紙12章2節
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。

第二に旧約聖書詩篇84篇6節
彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。

 「主人の闘病中癌でした。一年間、落ち込む日がある度にこれらのみことばによって励まされ、力を戴き、最後には主人も病床で洗礼を受けて天国に帰ることが許され、心から感謝しました。」

 原田さん、短いことばですが、しごく感動しました。そうです。私たちの信仰生活も初めから終わりまで主イエス・キリスト様がそのアルファでありオメガであるお方、初めであり完成してくださる御方、すべてのすべてでいらっしゃいます。その御方にいつも目をこらし、見つめ、信頼し、信仰し、従っている限り、どんな時にも平安があり、感謝が出来、喜ぶことができるのですね。

 第二のことばは「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。」詩篇の84篇6節ですが、そのようにしっかり主イエス・キリストを見つめ、信頼し、従っていく時に、砂漠の地を行く時も岩だらけの地を行く時も、どこにでも命の泉の湧き出る所とすることができるのですね。御主人様も病床で洗礼を授けられて、目出たく天国に入れていただけたのですね。ハレルヤ。感謝です。

 原田さんの心に残る聖書のことば。
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」ヘブル人への手紙12章2節

 ではまた聞いてください。


 ( PBA制作「世の光」07.01.06放送のお話しより)


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■より充実した年に

2007年01月05日 | Weblog

 世の光の時間です。お変りありませんか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 皆様、どのように新しい年をお迎えでしょうか。新年には誰もが、今年こそはより実りある年、充実した年にと願うのではないでしょうか。ま、そのためにはどうすれば良いのでしょうか。何が必要なんでしょうか。

 人生の知者またその元祖のように言われるソロモン王は言いました。 「何物にも勝って知恵を求めなさい。それを大切にしなさい。その知恵というのは、まことの神を知ることだ。そしてその知恵は神が与えてくれるものだ。」と。 また、旧約聖書の中で最も偉大な業績・実りある人生を送った人と言ってもいいでしょう、あのモーセという人、『十戒』の映画にもなりました。彼はこんな風に言っています。「人間ははかないものだ。朝、花が咲いて、夕べには枯れてしまう花や草のようなものだ。だから、決して変らない永遠の神について知ることが大切なんだ。」こんな風に詩篇の90篇で謳っています。「主よ。あなたは代々にわたって私たちの住まいです。山々が生まれる前から、あなたが地と世界とを生み出す前から、まことに、とこしえからとこしえまであなたは神です。」そしてこの神様が私たちに知恵を悟りを与えてくださると、こんなふうに続けて謳っています。「それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。

 人生は「光陰矢の如し」と言われるようにすぐ過ぎ去ってしまう。忙しく生活し、ま、行き着く所は虚しい死だというのです。だから、そんな人間の自分の虚しさを悟って、人間はそれだけではない、我々を生かしてくださる神がおられるということを知り、一日一日この神を知り神と共に生きる。精一杯、神からのいのちを生きていく。しかし、いつまで生きるか、誰も日を数えることはできない。だから、永遠の神に任せて委ねて信じて生きる。そこに本当の心の充足、満足、そして永遠の希望がある。ま、そういう知恵をもって一日一日神と共に生きるのだ。そこに充実した一日一日(があり)、それが積み重ねられ一年、いいえ、祝福された一生になっていくというのです。

  (PBA制作「世の光」2007.01.05放送でのお話しより )



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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■キリストにある召し

2007年01月04日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日は聖書の中のローマ人への手紙から読んでみましょう。
 
 「このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためなのです。あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です。」 ローマ人への手紙1章5節、6節

 新しい年を迎えましたが、今年の毎週木曜日はローマ人への手紙を連続して読んでまいりたいと思います。今日は1章の5節、6節を見ていきますが、ここでパウロは、「キリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました」と言います。キリストに出会い、キリストを信じた者は罪の赦しという深い恵みを受けたばかりではありません。神に召されて使徒の務めを受けた。つまり私たちに当てはめて言えばキリストの恵みを人々に語り告げる務めを与えられたということです。

 今年も、年末年始に多くの人々が海外に出掛けていきました。観光客として海外へ飛び立ち、世界の秘境と呼ばれる所にまで出掛けた人もいることでしょう。しかし散々お金をはたいて飛び回るその目的は、ただ自分を楽しませるだけであったりします。私たちキリストに出会った者たちも相変わらずただ自分を楽しませるだけの生き方をしていることはないでしょうか。

 私は今日の日本のクリスチャンたちが福音のために世界の果てにまで出ていく、そんな志を強く持って、海外に出ていく機会を得て欲しいものだと思います。パウロが言うように、私たちは恵みのみならず使徒の務めを受けた者だからです。

 聖書のことば。
このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためなのです。あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です。」 ローマ人への手紙1章5節、6節

 (PBA制作「世の光」2007.01.04放送でのお話しより)

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■福音の四季 : 心に松飾りを

2007年01月03日 | Weblog
 
 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。2007年、明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。さ、今日の世の光、まず皆様からのお便りの紹介です。長野県小布施町にお住まいの詩人・原たけしさんの年頭の詩です。

  89歳の私がここにいる
  ここにいて 生かされて ありがとうございます
  ペンをにぎる
  御憐れみをくださいと 私 
  今日生かされている    
  ひざまづいて立って歩く

 さ、今日の世の光は福音の四季、旧約聖書ホセア書14章8節のことば お読みします。
わたしは緑のもみの木のようだ。あなたはわたしから実を得るのだ。

 今は少々廃れがちですが、私の幼い頃はどこの門にも門松を立てたり松飾りをしたものです。イスラエルには門松・松飾りの風習はなかったと思いますが、このホセア書のみことばには緑のもみの木が謳われています。緑のもみの木、常緑のもみの木、預言者はここに神の祝福を覚えます。「わたしは緑のもみの木」神の恵みを受けて、やがて実を結ぶ。

 私たちは実を結ぶようにと選ばれました。「 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためです」(ヨハネの福音書 15章16節 )と主は言われました。「人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」(ヨハネの福音書 15章5節 )とイエスは言われます。使徒パウロは言いました。「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安・・・」(ガラテヤ人への手紙 5章22節 )

 年の始めにまず心に松飾りをして、この一年、このわたしの緑のもみの木に豊かな愛・喜び・平安の実が実るように祈ろうではありませんか。
 
 今年も一年しっかりと主イエス・キリストにつながって(いましょう)。

「わたしは緑のもみの木のようだ。あなたはわたしから実を得るのだ。」旧約聖書ホセア書14章8節のことば 
 
 一年の門出を祝福いたします。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2007.01.03放送でのお話しより )


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■孤独感という重荷

2007年01月02日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日も一日さわやかに過ごしていきたいですね。

 今月はイエス・キリストが語られた大変有名な招きのことばを紹介しながらお話しをさせていただきます。

 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」マタイの福音書11章28節

 イエス・キリストは重荷を負って疲れている者は私のもとに来なさいと招かけられました。このことばの背景を少し説明しましょう。

 イエス・キリストがこの招きのことばを語られた時代、それは今から二千年前です。ユダヤの国の人々は一つの疲れを持っていました。それは宗教的な掟や戒めというものがたくさんあって、それを守ることに疲れてしまっていたんです。要するに、これをしてはいけません、これを守らなければなりません、この食べ物は食べてもいいけれど、これは食べてはいけません。この日には一切の労働をしてはいけません。ま、とにかくあまりにもたくさんの掟や戒めがあって、人々はそれを守るだけで疲れてしまった訳です。

 本来、人に安息を与えるための戒めがその意図から離れてしまい、ただしてはいけませんという戒めだけが人々の肩の上に重くのしかかってしまったんです。人はただ宗教的な戒めだけが与えられても、かえって重荷を背負っていくだけで何の人生の解決を与えることはないんですね。私たちにはイエス・キリストが歩まれた当時の人々が持っていたような宗教的な意味での束縛はないかもしれません。しかし、人生の様々な重荷を人は背負っているものです。その一つが孤独感です。

 アメリカで1965年から9年間にわたって健康状態の調査が7000人を対象にして行われたそうです。最も病気になりやすく死亡率の高かった人は孤立して生活している人だと言うんですねえ。社会的な接触をなくして孤立してしまう、これが最も不健康で死亡率を高める要因になってしまったというんです。食事をコントロールしても体を鍛えても駄目、親しい仲間を得るということ以上の効果的な健康法はないのだというのですよ。

 讃美歌312番はとても有名な讃美歌です。それは「いつくしみ深き友なるイエスは」という曲ですよねえ。あなたは孤独という重荷を背負っていませんか? あなたのために命を捨てるほどあなたを愛し、そのままのあなたを招いてくださるイエス・キリストは、まことの友となってくださる方だと言うんです。このお方の前であなたの孤独を、その重荷を降ろしていきませんか? 

 
 
 
 ( PBA制作「世の光」2007.01.02放送でのお話しより )


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■希望をもってスタート

2007年01月01日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 明けましておめでとうございます。世の光、今年も宜しくお願い致します。村上 宣道(のぶみち)です。

 新しい年、希望を持ってスタートされましたでしょうか。人は何らかの希望によって生きていると言えますよね。学ぶのも働くことも希望があればこそで、それが何も望みが持てなくなったら生きていく気がしなくなりますよねえ。生きていても生ける屍のようになってしまうかもしれません。

 ただその希望の持ち方ですけれども、それにはいろいろあるように思いますねえ。可能性があるかどうかは別として心の願いとしての望みは願望、本能的な欲を満たすような意味での望みは欲望、身の程を超えたような野心的な望みを意味するのは野望とかですね、うらやましさを込めてそうなれたらいいのになあというのは羨望とか言いますけれども。

 ところで望みということばはもともと「遠くを望む」という意味から来ているとされているように、本当の希望は、単に金持ちになりたいとか有名になりたいとか楽な生活をしたいとか以上の、もっと遠くを見通した永遠的なものでなければならないのではないでしょうか。それが一時的な地上的な望みでしかないとしたら失望は時間の問題ということになるかもしれません。

 さらに希望について大事なことは、その望みを何に置くかということではないかと思うんですよね。何の根拠もない願望や期待だけでは単なる夢に終わってしまうことですよねえ。

 聖書によりますと、まことの神によって抱く希望は失望に終わることがないと書いてあります。その根拠の第一として、聖書に「望みの神」(ローマ人への手紙 15章13節)と記されているように、無から有を創造されたまことの神は希望の根源者でいらっしゃるということですねえ。この方に信頼する時、決して失望に終わることがないということができる訳です。

 次にこの私たちの信頼する神は、義人や恩人のためではなくって私たちが弱くて不敬虔で罪人でしかも敵でさえあった時に私たちを救うため御子キリストを十字架にかけてくださった程に私たちを愛しておられるのだからということがローマ人への手紙の5章(5節~10節)に書かれてあります。

 更に私たちの希望が失望に終わることがない(ローマ人への手紙の5章5節)という決定的な根拠はキリストの復活の事実にありますねえ。キリストの復活の事実はキリストにある希望が何ものにも閉じ込められるものでないということ、この希望の永遠性が保証されたということにあるんですね。

 だからキリストに望みを置く者は決してその希望が失望に終わることがない。

 この年、様々なことがあるかもしれませんけれども、この望みの神に望みを託して生きていきたいと思いますねえ。
 
 ( PBA制作「世の光」2007.01.01放送でのお話しより)


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