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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■希望をもってスタート

2007年01月01日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 明けましておめでとうございます。世の光、今年も宜しくお願い致します。村上 宣道(のぶみち)です。

 新しい年、希望を持ってスタートされましたでしょうか。人は何らかの希望によって生きていると言えますよね。学ぶのも働くことも希望があればこそで、それが何も望みが持てなくなったら生きていく気がしなくなりますよねえ。生きていても生ける屍のようになってしまうかもしれません。

 ただその希望の持ち方ですけれども、それにはいろいろあるように思いますねえ。可能性があるかどうかは別として心の願いとしての望みは願望、本能的な欲を満たすような意味での望みは欲望、身の程を超えたような野心的な望みを意味するのは野望とかですね、うらやましさを込めてそうなれたらいいのになあというのは羨望とか言いますけれども。

 ところで望みということばはもともと「遠くを望む」という意味から来ているとされているように、本当の希望は、単に金持ちになりたいとか有名になりたいとか楽な生活をしたいとか以上の、もっと遠くを見通した永遠的なものでなければならないのではないでしょうか。それが一時的な地上的な望みでしかないとしたら失望は時間の問題ということになるかもしれません。

 さらに希望について大事なことは、その望みを何に置くかということではないかと思うんですよね。何の根拠もない願望や期待だけでは単なる夢に終わってしまうことですよねえ。

 聖書によりますと、まことの神によって抱く希望は失望に終わることがないと書いてあります。その根拠の第一として、聖書に「望みの神」(ローマ人への手紙 15章13節)と記されているように、無から有を創造されたまことの神は希望の根源者でいらっしゃるということですねえ。この方に信頼する時、決して失望に終わることがないということができる訳です。

 次にこの私たちの信頼する神は、義人や恩人のためではなくって私たちが弱くて不敬虔で罪人でしかも敵でさえあった時に私たちを救うため御子キリストを十字架にかけてくださった程に私たちを愛しておられるのだからということがローマ人への手紙の5章(5節~10節)に書かれてあります。

 更に私たちの希望が失望に終わることがない(ローマ人への手紙の5章5節)という決定的な根拠はキリストの復活の事実にありますねえ。キリストの復活の事実はキリストにある希望が何ものにも閉じ込められるものでないということ、この希望の永遠性が保証されたということにあるんですね。

 だからキリストに望みを置く者は決してその希望が失望に終わることがない。

 この年、様々なことがあるかもしれませんけれども、この望みの神に望みを託して生きていきたいと思いますねえ。
 
 ( PBA制作「世の光」2007.01.01放送でのお話しより)


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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