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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■主は生きておられる / 福井 誠

2019年04月17日 | Weblog
2019/3/13放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むごとに不思議にも自然と養われていくものがあるものです。では今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はサムエル記第一25章34節から「主は生きておられる」と題してメッセージをお伝えいたしましょう。

 「イスラエルの神、主は生きておられる。主は私を引き止めて、あなたに害を加えさせなかった。

 ダビデはサウルの娘を娶り、サウル王の義理の息子となっていましたが、サウル王の敵意から逃れるために荒野を転々と放浪する日々を送っていました。しかし彼に付き従う者は600人。実に多くの必要を満たすために彼は何かをしなくてはなりませんでした。そこでダビデは、かつてナバルという人物に恩を売ったことを思い出します。金持ちの農夫であった彼を守ったのでその御礼を求めたのです。

 ところがナバルはダビデを相手にもしませんでした。ダビデを逃亡した奴隷と呼び、ダビデの家来を追い返してしまうのです。 恩を仇で返され、動機も誤解され、存在すら軽んじられるいたたまれないものがありますねえ。このような無礼には仕返しをする十分な理由があると思うものでしょう。ダビデは部下に剣をつけさせ、ナバルの一家を皆殺しにしようと出かけます。しかしナバネの妻アビガイルの機転でダビデはそのような悲惨な復讐をとどめられることになるのです。

 ここで私などは考えるのです。結局、人間、サウルもダビデも五十歩百歩、同じだなあ、と。サウルはダビデに対する嫉妬心に振り回されていましたが、ダビデも自分を軽んじる相手に我慢がならず、怒りを燃やしています。しかも暴力によって相手に思い知らせてやろうとしているのです。ダビデが神に愛されたのはサウルよりも人間的に質が良かったからだと言うわけではないのでしょう。

 ただ良かったとすれば、アビガイルの機転に神の存在に気付いたことでしょう。自分の傲慢さに歯止めをかけようとしている神に心を向けたことです。弱い罪人の私たちの人生に最善を望まれている神がおられます。その神様の助けと恵みによって品位ある人生を歩ませていただきたいものです。

 では良き一週を祈ります。
 
 (PBA制作「世の光」2019.3.13放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

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