♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して66年の
「世の光」を文字で 

■孤児の母となる使命  澤田美喜 / 岩井基雄

2019年04月01日 | Weblog
2019/2/25放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 第四週の月曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は孤児の母となる使命を生きた沢田美喜について学んでみましょう。

 明治34年、沢田美喜は三菱(財閥)の創業者・岩崎弥太郎の孫として生まれました。竹を割ったような美喜の性格を聞いた祖母は折に触れ祖父・弥太郎の姿勢を教えたそうです。美喜は御茶の水の東京女子高等師範学校に入り、高等女学校に進みますが中退し、津田梅子らに英語を学ぶようになります。美喜は20歳で外交官沢田廉三と結婚し、クリスチャンになります。彼女がクリスチャンとなるには津田梅子たちの影響があったようです。
 外交官夫人として美喜はロンドンでも毎週教会に通い、ある日、ドクター・バーナードス・ホームという孤児院を訪ねました。緑に囲まれた広い敷地には小学校から高校まであり、職業訓練施設もあったのです。子どもたちの明るさに感動した美喜は毎週末手伝いました。
 帰国し、第二次世界大戦が終わったある日、満員電車にいた美喜の前に、網棚から紙包みが落ちてきました。そっと開くと黒い肌の赤子の遺体でした。こともあろうに美喜がその母親ではないかと疑われたのです。誤解は解けましたが美喜は、そのような孤児の母と間違えられたことも神からの使命に違いない、そうだ私はこの子たちの母になろう、と決意したのです。夫の理解も得た美喜は行動を開始します。旧岩崎家別荘を買い戻し、寄付を募り、資材を投入し、借金も重ね、昭和22年、ついに美喜は学校も礼拝堂もあるエリザベス・サンダース・ホームをスタートさせたのです。美喜46歳の時でした。
 しかし、孤児たちが町に出ると好奇の目にさらされました。美喜は気丈に振る舞い、子どもたちを守り続けます。また美喜は、優しさは保母に任せ、時には厳しいしつけを通して社会の偏見や差別に耐えられる心を育て、二千人に近い子どもたちを社会へと送り出したのです。

 あなたも神様の愛を受け、他の人に恵みと愛を届ける人生へと変えられていきませんか?
 キリストのことば
 「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 
  新約聖書 ヨハネの福音書13章34節(新改訳2017)
 
  (PBA制作「世の光」 2019.2.25放送でのお話より )
 
***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

***