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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■私を遣わされた / 福井 誠

2017年05月03日 | Weblog
2017/5/3放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「私を遣わされた」です。 それではエレミヤ26章12節を読んでいましょう。
 「エレミヤは、すべての首長とすべての民に告げてこう言った。「主が、あなたがたの聞いたすべてのことばを、この宮とこの町に対して預言するよう、私を遣わされたのです。

 エレミヤ書は実は複雑な構造をしていますね。時間順に出来事や預言のことばが記録されている訳ではなく、この26章は7章に記録されている神殿での説教の要約で、その時の背景と結果が記されたのです。ですから、年代的にもこれまでのいくつかの章をさかのぼる内容となっていますが、ここでエレミヤは神殿の庭に立って、神殿が破壊されることを預言しています。

 何ともその不吉な預言に、祭司や預言者のみならず、イスラエルの民の反感を買い、エレミヤは殺されそうになるのです。たくさんの人々がエレミヤを殺そうと集まってきた時に、ユダの首長たちがそれを止め、エレミヤを裁判にかけていきます。

 するとエレミヤは堂々と自分のことを弁明しました。
 第一に、自分は主に遣わされて語っている。第二に、自分は誰にも逆らっていない。だから自分を有罪とすることなどできないというわけです。そして自分を有罪とするなら、罪のない者の血を流し、その報いを受けることになるだろう、と言うのですね。

 緊張した空気が張り詰める中で、エレミヤは冷静に、しかも確信をもって語りました。そしてこの様子を客観的に見ていた者たちがエレミヤの味方になり、人々はエレミヤを有罪とすることを思いとどまったのです。

 けれどもそこで求められていたことは、エレミヤに対する暴力をとどめることではなく、エレミヤの語ったことばに自分たちの現実を照らし、悔い改めることでした。命を懸けて神のことばを語ったエレミヤの勇気を受けとめるのみならず、語られたことに自らの現実を悟ることだったのです。

 神のことばである聖書は常に私たちの現実について語りかけています。語られている神のことばの内容を注意深く受けとめ、自分の姿に悟りを得、人間として真実な歩みを追及する者でありたいものですね。

(PBA制作「世の光」2017.5.3放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 

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