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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■私たちは夢を見ている者のようだ / 羽鳥頼和

2017年05月27日 | Weblog
2017/5/27放送


 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は詩篇126篇からお話しします。
 1節はこのように言っています。
 
 「主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。
 バビロン捕囚から解放され祖国に帰還して神殿を再建することが許可されたことを、「夢を見るようだ」と言っています。神の救いとは夢のような現実です。「主が・・・繁栄を元どおりにされた」とある通り、祖国への帰還と神殿の再建を神がなしてくださったことと確信しています。ですから、「主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。」(3節) と語り、神によって信じられないような素晴らしいことが実現し、喜びに満たされたのです。神のなさることは何と素晴らしいことでしょう。神の救いの素晴らしさを経験した者はその救いを忘れません。その後、帰還した人々は様々な困難に遭いました。神殿の再建、祖国の復興はまだ道半ばでした。しかし彼らは救いの神に信頼し、救いを求めます。「主よ。ネゲブの流れのように、私たちの繁栄を元どおりにしてください。」(4節)
 「ネゲブの流れ」とは雨が降ると水が流れる荒野のワディ(※涸れ谷)と言われるところです。1年の殆どは乾き切っているので、人が通る道になるようなところです。乾き切ったワディのようなイスラエルを水がとうとうと流れるワディのようにしてください、と願います。

 そして詩篇は神の救いを期待して言います。「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。」(5節)
 種を蒔く人は収穫の時、あらかじめ来年の収穫のために種を取っておくのです。不作のときは、ただでさえ乏しい食料を削って、飢えの不安を覚えながら、しかし収穫を期待して種を蒔くのです。同じように困難の中にある人は苦しみ悲しみながらも、それ以上に救いの神への期待をもって生きるのです。必ず神が救ってくださる、と信じて。神の救いは夢のような現実です。

 明日は日曜日です。神の素晴らしい救いを経験するために、お近くのキリスト教会にぜひいらしてください。
 
 (PBA制作「世の光」 2017.5.27放送でのお話より )
 
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 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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