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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■十戒-自由への励まし -9 / 大嶋重徳

2017年05月04日 | Weblog
2017/5/4放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を初めとした聖書のことばは人間を縛り付けるものではなく、自由へと導くためのことばなのです。

 十戒を学ぶときに注目しておきたいことは、十戒の「何々しなければならない」という表現です。ここの「ならない」という用法は、選択の余地がありながらこちらを選んだほうがいいというぐらいの意味ではありません。何々するはずが無い、とそれを選ばずにはおれないという意味なのです。これは神様の愛に捉えられてしまったら、わたしの他に他の神々を愛するはずはない、という意味です。この神の愛に捉えられたら、殺したりするはずが無い、盗むよりも与える人生を生きることとなっている、と言う意味です。

 十戒を与えた神様は、我慢を強いて束縛するような傲慢な神ではありません。むしろ十戒に表わされる愛の神を愛することは、愛によって自分の人生を問い直すことになります。自分の行動の動機は果たして愛であったのか、愛によって今日も生きることができたのかを問い直し、神様が愛しておられる人を愛することへと促されていくことになります。
 この十戒が示す神を愛して生きるという倫理的決断こそ、私たちが家族を愛して生きる、妻を愛して生きる、隣り人を愛して生きる、貧しい人・虐げられた人を愛して生きる、という愛に生きる倫理的生活の出発点となるのです。

 また神を神とするということが人間にとって超越した神存在を認めることとなり、絶対的普遍的な神の前に人間は絶えず限界を持っていることを認めることになります。そして神様に聞きながら謙遜に生きる生き方を生み出していくのです。なぜなら人間は神を持たない限り、自らが神のごとく振る舞い、傲慢な生き方となるからです。

 私たちは十戒の第一戒に表わされる神と共に生きるとき、神様の持っておられる温かい眼差しを想像します。そしてその眼差しから家族の抱える問題を見つめるのです。神の持っておられる憐れみと赦しの眼差しをもって職場の同僚の失敗を受けとめていくのです。神様が諦めず、深いうめきをもって執り成しの祈りをされるからこそ、私たちも大切な人たちを祈ることができるようになるのです。神様を愛するということ、それが十戒に記される私たちの自由なる光の生き方なのです。

  ( PBA制作「世の光」2017.5.4放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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