♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ささげること / 関根弘興

2017年05月26日 | Weblog
2017/5/26放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今月はキリスト教会で毎週日曜日に行われている礼拝ということについて御一緒に考えています。礼拝は神様に賛美を捧げる時、神様への祈りの時、聖書のことばを聴く時。そして今日は、礼拝とはささげる時ということについてお話しをしたいと思います。

 聖書の中にこんな話が出てきます。ある時、イエス様の話を聞こうとたくさんの群衆が押しかけてきました。イエス様は弟子の一人にこう言われました。
 「どこからかパンを買ってきて、この人々に食べさせようか。」

 するとこの弟子は、「冗談じゃないですよー、こんな大勢の人たちに少しだけ食べさせたとしても大金が必要ですよー。」 こう言うんですねえ。

 すると別の弟子の一人が、「イエス様、イエス様。ここに少年が持ってきた五つのパンと二匹の魚があります。」と差し出したんです。少年が自分の持参していた弁当を弟子たちに差し出したんですねえ。

 イエス様はその少年の差し出したパンを手にとって、何とそれをちぎり、群衆に分け始められました。どう見ても群衆に配れるだけの量ではないのに、何と人々は満腹になり、余ったパン切れが12籠いっぱいになったというんです。一人の少年の小さな捧げるという行為が多くの人を養うことになった、という訳ですねえ。

 この話は何と勇気づけられる出来事でしょう。私たちは時々、こんな小さなものが何になるのだろうか。自分自身を見ても、私なんか何の役に立つだろうか、何の役にも立たないんじゃないか。そんなふうに思ってしまうことがあります。でもイエス様の手に握られていくとき、あなたが何かできるとかできないに関係なく、私たちの思いを超えて、神様は不思議なことをなさることができるんですねえ。

 教会の礼拝は賛美をささげ、祈り、聖書のことを聞き、捧げる時なんです。それはあなた自身の人生を神様の手に委ね、「神様。今週、私の人生はあなたの御手の中にあることを感謝し、精一杯生かして用いてください。」と応答して行く時なんですね。

 そして教会の礼拝では献金の時があります。献金は決して強制ではありません。強いられることは決してありません。感謝を込めてなされるものだからです。捧げて生きることは更に豊かな神様の恵みを味わうことに繋がっていきます。

 どうぞこれを機会に、あなたの近くのキリスト教会に足を運び、礼拝に出席してみてはいかがでしょうか。

 (PBA制作「世の光」2017.5.26放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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