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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■災いの中で 神の沈黙 / 羽鳥頼和

2011年11月19日 | Weblog
2011/11/19放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 旧約聖書に信仰深いヨブという人が出てきます。彼はお金持ちで10人の子供に恵まれていました。そんな彼がある時、一日にして自分の財産を失い、自分の子供たちを事故で失ってしまいました。その上自分は全身に悪性のできものができてしまい、大いに苦しみます。そのヨブは、どうして自分がこんな苦難に遭うのか神様は答えてくれない、と嘆きました。ヨブは神様が沈黙していると思いました。

 私たちも災いに遭うとき神様は沈黙していると感じてしまいます。たとえ災いに遭わないにしても私たちには様々な苦しみがあります。そんな現実の中でやはり神様は黙っている。そのように感じるのではないでしょうか。

 ヘルムート・ティーリケというドイツの牧師は神様の沈黙に失望してはいけないと言っています。ティーリケは「神様の最大の沈黙は十字架でした」と語っています。

 十字架が神様の沈黙であったというのはどういうことなのでしょうか。イエス様が十字架にかけられた時のことです。昼の12時になった時、何と全地が暗くなって、それが午後3時まで続きました。この暗闇が神の沈黙の時でした。この暗闇の中でイエス様は非常な苦しみの中にありました。そしてイエス様は「我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか。」と叫びました。それでも神様の沈黙は続き、とうとうイエス様は十字架で死んでしまったのです。神様はご自分の子であるイエス様が十字架で死ぬ時、黙っておられたのです。

 しかし神様は何もされなかったわけではありません。神様はイエス様が死なれたちょうどその時、神殿の幕を上から下まで真っ二つに裂いたのです。これは一体どういうことでしょう。

 神殿の幕とは、人が罪のあるままで神様に近づくことができないようにかけられている幕のことです。それが裂けたということは、人が神様に近づくことができるようになったことを意味しています。神様は神殿の幕を裂くことによってイエス・キリストの十字架の意味を教えられたのです。イエス・キリストが十字架で私たちの身代わりとなって死んでくださったことによって神様はすべての人の罪を赦してくださいました。それで人は神様に近づくことができるようになったのです。このように神様は私たちに救いの道を用意してくださいました。

 苦しみの中で神様が黙っていると思えるとき、このイエス様の十字架を思い出してください。神様はあなたを愛し、あなたを救おうとされているのです。

  ( PBA制作「世の光」2011.11.19放送でのお話より )

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