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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■御霊の実「寛容」

2004年12月03日 | Weblog
 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみやすお)です。
 今日は、寛容という事についてお話しします。

 これは今私たちに一番必要なひとつではないでしょうか。電車に乗ったり、車を運転してても、いやな事、時には怖いことすらあります。ニューヨークのあの9・11事件以来、国際関係もイライラとトゲトゲしさが支配しているように感じます。まあそう言いつつも、小さな事にすぐ腹を立て、イライラする自分にハッとさせられます。寛容が欠けてしまった時代、寛容の必要な時代を実感します。

 寛容とは何でしょうか。また、どうしたら身につくでしょうか。ちなみに広辞苑で見ますと、こう説明されています。「寛大でよく人を許し、受け入れること。咎めだてしないこと。 2 他人の罪科を厳しく責めないというキリスト教の重要な徳目」とあります。ま、聖書の原語で「寛容」ということばは、ま、「大きな感情」とか「広い心」という意味です。つまり小さなことに動じない、なかなか反応しない、おこったりいかったりすぐしない、という訳です。ま、ちょうど、大きな強い犬のようですね。なかなか吠えない。  
 ま、例えば、娘や夫が遅く帰宅する。ま、すぐ反応しないで、「まあ遅かったわね、大丈夫? 心配してたのよ。」と、こう始まるとずいぶん、親子関係、夫婦関係、スムーズにいくんではないでしょうか。

 キリストの弟子パウロは、どうしたらその寛容を身につくかと、こんなふうに言っています。テモテの第一の手紙の1章15、16節です。
 「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」と。そして、そんな私があわれみを受け救われたのは、キリストの寛容のゆえだ、って書いているんです。
 つまり、いろんな嫌な事をされたり攻撃されたりして嫌。でも自分も弱い人間だ、自分も同じような、いやもっとひどい罪人だと自覚する時にあまり反応しない。
 第二に、キリストの寛容を体験してるってことです。キリストの赦しを実感していると、他人を赦せる、受け入れることができるというのです。キリストを信ずる心に、自分自身を深く自覚する思いと、また、他者を赦す事のできる力が宿るというのです。

 ( PBA制作「世の光」12/3 放送でのお話しより )

*****

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。クリスマスのこの時期、日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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