世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(ひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
クリスマス。まあなんとなくワクワクしますよね。街には華やかなイルミネーションが輝き、素敵な音楽が鳴り響いています。でも、2000年前にこられたイエス様には、そんなきらびやかな装いも、はなやかさも華やかさもありませんでした。いわゆる、この世の名声とはまったく無縁の方としてお生まれになったんです。
イエス様は家畜小屋で生ました。王の王として来てくださった方が家畜小屋ですよ。一体、どこに名声があるでしょう。
イエス様のお母さんはマリヤです。けれども、未婚のマリヤさんが突然妊娠したのです。マリヤさんは、聖霊によって身ごもりましたというのですけれども、それを受け入れるのはどんなに大変だった事でしょう。
そしてイエス様の名前、実はこの名前もありふれた名前でした。イエスとはギリシャ語的な発音で、ヘブル語つまりユダヤ人の発音ではヨシュアと言います。旧約聖書にもヨシュア記というのがありますよね。この名前は、ごくありふれた名前なんです。ですからイエスという名前の人は、あそこにもいる、ここにもいるという名前だったんですね。
そして最初にイエス様の誕生が告げられたのは一体どこだったでしょう。天使たちは大合唱で救い主の誕生を告げ知らせました。何万人も収容できる大スタジアムで告げ知らせたでしょうか。いいえ、野宿で夜番をしながら羊を見守っていた数人の羊飼いたちが、その天使の大合唱を聞いたんです。当時羊飼いというのは卑しい身分とされていました。そんな人たちに、救い主がお生まれになりました、と知らせても、一体誰がまじめに取り合ってくれるでしょう。
旧約聖書に、イザヤという預言者がいます。この預言者はイエス・キリストの事をこう預言しました。「彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。」こう語っています。
イエス様には、人に劣等感や嫉妬心や、近づきがたさを感じさせる外見は何一つなかったというんです。最も庶民的な方なんですよ。聖書には、イエス様は神様のあり方を捨てる事ができないとは考えないで自分を無にして来てくださったと記しています。王の王であり、救い主として来てくださった方なのに、貧しく、一切の名声や華やかさとは無縁の形で来てくださいました。それは、イエス様こそ私たちにとって最も近づきやすい方として来てくださったという事です。
ですから、気軽にこのクリスマス、イエス様のことを知っていきませんか?
(PBA制作「世の光」12/14放送でのお話しより )
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