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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■弱さを通して知る希望

2004年12月10日 | Weblog
 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみやすお)です。
 西村隆さんのお話しをうかがって感動しました。西村さんは、40歳でALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病にかかり、不自由な体になってしまわれました。でも、『神様がくれた弱さと微笑み』という本を書いておられるんですねえ。
 ま、普通、ハンディキャップや弱さというのは、辛いもの、不幸な事のように連想しがちです。しかし西村さんは不治の病にかかり、その弱さと共に生きる事に意味があるんだ、そして得るものがあるんだ、って言うんです。それは、弱さを通してこそ本当の幸せ、いのちの大切さ、生きる喜び、家族との心の支え合い、そういうものを体験できたからだ、って言うんです。希望がある、って言うのです。じゃあその希望の種は何ですかと聞かれて、一言、「信仰です。」という答えでした。今までも、そして今も、神に守られているっていう事をリアルに現実的に体験し感じているので、将来にも不安はない、という信仰ですね。考えさせられます。
 健康で忙しくしていますと、こういう大切な事を味わわずに過ごしてしまいがちではないでしょうか。人生において本当に大切なものは、変わらない幸せ、生きる意味、その喜び、家族愛、心からの交わり、そういうものはむしろ弱さを感じる所で体験できる、っていうんです。
 新約聖書コリント人への第一の手紙13章13節に、こう書かれています。
   こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
 今、弱さや困難の中にある方は、このいつまでも続く心の豊かさ確かさの入口に立っておられるのです。それはまた、どんな元気な人も誠実に自分を顧みます時、自分の限界、弱さを自覚するのではないでしょうか。
 神様は私たちすべてに向かって、ありのままでこのキリストへの信仰、神よりの希望、神の愛の中に入りなさい、その中に生きなさい、と招いておられるのです。信仰とは、「信じて仰ぐ」と書きます。イエス・キリストを信じ、仰ぐことです。そこに、神と共に生きる、信仰・希望・愛に生きる生活が始まるのです。
 ( PBA制作「世の光」12/10 放送でのお話しより )
*****
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。クリスマスのこの時期、日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
コメント (3)
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驚くべきイエス

2004年12月10日 | Weblog
どこから見ても、イエスは驚異的なひとだった。ベツレヘムで生まれ、ナザレで育ち、エルサレムの郊外で処刑されたイエスは、当時パレスチナとよばれた、四角い小国から離れたことがなかった。イエスは書き物や日記を残さなかったし、誰がするにせよ、彼について知られているすべてを口にし実行しようとすれば、1、2週間もあればことがたりたろう。しかも、イエスのことばと行ないは、あれからずっと、偉人たちの心を引きつけ、偉大な行動を鼓舞し、人々の望みをかきたててきた。今日、世界の人口の1/3は、キリスト信仰を告白している一それは、他のどんな大宗教の信徒数にもひけをとらない。そして西欧では、イエスが生まれたとされている日から、暦が始まっている。
かつて出征したどんな陸軍も、海を渡ったどんな海軍も、開かれたどんな議会も、支配したどんな国王も、そしてこれらずぺてを合わせたものも、この地に住む人人の生き方に、このイエスほどの影響をあたえることができなかったといって、決して過言ではないだろう。
われわれとおなじ人間イエスといっしょにほこりっぽい道を歩き、ガリラヤの町々をめぐり歩いたときに、イエスの最初の弟子たちは彼のなかに、何を見ただろうか?
彼らは、自分たちとおなじ人間を見た。食べ、眠り、汗を流し、涙するのを見た。彼の足は汚れ、筋肉は痛んだ。それは不平凡々たる生活であった。
しかし、他の点でイエスは途方もない存在であった。いわゆる「信心深い」ところはなかったといえようが、彼は活力にあふれた魅力的な祈りの生活を送っていた。イエスは神のことを「父」とよび、弟子たちにもそうよびなさいといった。
彼が語った多くの話は、爆弾のような効果を発揮した。話は聞く人の心で炸裂し、多くの偏見を吹き飛ばし、光をさんさんと心のなかにそそぎこんだ。特別な教育を受けていない普通の人も、イエスの教えを聞くと、心を刺された。
平和奇跡も見のがせない。静かに、ごくごく控え目なやり方で、イエスは多くの障害者たちを助け、癒した。盲人たち、耳の聞こえない人、そして、おしの人一さらに、人にいみ嫌われ、触れられることのない、らい病患者さえ一も、健康と、力と、自立心を、とり戻した。回数こそ少なかったが、イエスは、死人をすらよみがえらせた。
それでいて、イエスは一人をただただ感嘆させずにおかないやり方で」--自分なりの生き方をされた。彼は滅多なことで人が手にしえない、心の平和を、いつももっていた。そして、それを人々と分かち合おうとされた。それは父なる神へのまったき信頼にもとづく平和である。朝早く、また夜が更けてからも、暑い昼日中にも、イエスは祈った。その結果、彼はどんな難問や妨害にぶつかっても、自分が誰で、何をしなければならないかを、見失うことがなかった。

イエスは人を困惑させずにおかない一面も、もっていた。そのひとつは彼が、社会のひんしゅくをかう屑のような人々の仲間だったことである。イエスにとっては、名高いいかさま師や盗っ人と夕食をとることほど、たのしいことはなかった。一度だけど彼は、売春婦がやってきてみ足にふれ、なでようとするのを、顔を赤らめもせず黙認した。イエスはずうずうしいくらい無礼になることもあった。彼は有名人の信心深そうなふるまいや、地位の乱用を、公然と非難した。イエスはこの悪臭は何だ、と人に、面と向かっていった。普通の人が、イエスのことばに喜んで耳をかたむけたのは、少しも不思議でなかった。

『信仰を見つける』すぐ書房,1988より引用

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