台風12号は3日から4日にかけて四国・中国地方をゆっくり縦断し、広範囲に大雨・洪水の被害をもたらした。4日未明、加東市の加古川流域の地区に避難勧告が出された。夜が明けた頃、各地区の状況、避難所などを見て回った。
まず、加古川と合流する千鳥川沿いの窪田地区、平安橋に向かう。警戒にあたっている地元消防団員から状況を聞いた。すでに水位は下がり始めているということだったが、穂積側の田に逆流し一部水没していた。
加古川の闘龍橋は加東市の最上流に近い。すぐ下流の闘龍灘あたりは濁流が渦巻き、足下近くまで増水していた。下流の座の浜一体は水没し、わずかに見える柳の木の上部が荒れ狂うばかりの濁流に耐えているようだった。
闘龍橋東詰の西山畳店では道路下にある作業場まで浸水し、ご主人らが腰まで浸かって水と闘っておられた。川との境目はわからない。周辺の水田、畑も水没しており、かろうじてトラクターの煙突の上部が見えるばかりだった。
上滝野公民館にはすでに未明から住民の皆さんが自主避難されており、区長さんはじめ役員の皆さんから避難状況を聞いた。滝見橋も橋脚最上部まで濁流が上がり、しぶきを上げていた。東詰の新町の芹生さんが岸壁に刻印された23号台風の印が見え隠れしていると指さして教えてくださった。時折り、丸太やテレビなどが流れてきて橋脚に激しくぶつかっていった。
下滝野公民館も避難所になっており、おにぎりの炊き出し、市役所職員が毛布を搬入するなどしていた。滝野大橋のすぐ下流でも民家のすぐ近くまで増水していた。さらに下流部、河高地区との境の低地では、今回も水田が水没し、道路も冠水、河高地区と分断されていた。無堤防地域はこうしていつも水に浸かる。すでに水位はピークを過ぎていたが、広い範囲で収穫前の田圃が水没し、濁流が一帯を覆っていた。
河高交流センターも避難所になっており、区長さんら役員さんらがおられ、話をうかがった。河高地区の上流部、中国縦貫道の橋梁あたりは加古川が大きく蛇行しており、いつもその上流部が水没する。消防団、警察が未明から警戒にあたっていた。
福田橋の東詰、建設中の加東大橋の野村側で、警戒中の貝原地区の役員さんらに出会い、状況を聞くことができた。かつて逆流して一面が水没したことなども聞くことができた。そのあと、上田地区へと車を走らせ、出水川との合流点あたりを見て、公民館に向かった。多くの人がロビーでテレビを見ておられたが、避難勧告の解除が告げられ、ほっとした表情が広がった。大門地区へとまわる。老朽橋梁でもある大門橋。増水で一時通行止めとなっていたようだ。すでに解除されていた。
今回は4日未明に激しい雨が降り、一気に増水したようだ。加古川のすぐ近くに家がある下滝野の方は、水位の上昇に危険を感じて避難勧告が出る前に自主的に避難をされたと聞いた。堤防はいつになったらできるのか、田圃の土を流れに持っていかれて入れ替えたばかり。いつまでこんな目に遭わねばならないのか。国直轄河川である加古川の最上流部にある加東市の無堤防地域は増水する度にこんな思いをしなければならない。
流域河川計画ができても上流部まで工事が完成するのは30年かかるという。待てるものではない。県管理の加東市から上流部の西脇市域については23号台風の被害が大きく工事が行われたが、上流部での河川工事によって流量が増え、一気に増水するようになったという。ゲリラ豪雨やこの12号台風のように豪雨があると、加古川は一気に増水し、無堤防地域は危険にさらされる。早急に対策を講じなければならならい。