ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

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呑み込まれずに異議を唱える

2013-04-18 08:18:39 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 4月16日東京新聞夕刊「社会時評」欄の記事「経済効果のうねりに脱原発も呑み込まれ 感覚麻痺に意義唱えよ」(社会学者 吉見俊哉)から抜粋します。
 
 福島原発事故は、まだ終わってはいない。原発敷地内では、今も格納容器に溶け落ちた核燃料を冷やすために使われる毎日数百トンの水が高濃度汚染水となって溜まり続けている。二年前の爆発で広範囲に降り注いだ放射性物質を取り除く作業も、今後数十年に及ぶと考えられている。除染の効果も定かでなく、廃棄物を一時保管する仮置き場の設置も周辺住民の反対で進んではいない。

 震災も原発事故も、まだ明白に続いているのに、困難な現実への私たちの関心が薄らいでいるとしたら、それは一種の感覚麻痺である。一昨年から昨年にかけて、あれほど膨らんだはずの脱原発の社会的うねりも、昨年末の衆院選の結果とアベノミクスの経済効果への期待に呑み込まれてしまっているかのようである。

 「長いものには巻かれろ」。日本人はこの行動様式を、戦中のみならず戦後・高度成長期にも選択し続けた。
 そして今、一時は盛り上がりかけた脱原発のうねりも、新たなる「夢の経済」へのうねりに呑み込まれつつある。

 一時ばかりの心地よさの中で震災と原発事故の問いが周縁化されるのなら、私たちは断固これに異を唱えねばならない。


  この「経済効果のうねりに脱原発も呑み込まれ 感覚麻痺に意義唱えよ」を読んで思い出したのが、2011年の週刊文春4月28日号に掲載された池田暁子さんのイラストエッセエイです。それには次のような言葉がありました。

「原発止まったらこんなに暗くなるのか…」知らなかった
「それならあんなに明るくしてくれなくてもよかったのに…」しょんぼり
危険なもの よそにおしつけて ビカビカにして暮らしてたなんて…
(実家の近くの日本最大級の活断層の上に原発があることを知り)
何がどうだって造るったら造るのね…

(自分が原発の位置も活断層の存在も知らなかったことにショックを受け、東北に頼って東京で暮らしていることについて考え……)
報道が減るにつれてだんだん忘れてまたもと通りボンヤリ暮らしてしまいそうで怖い
さしあたって「募金箱を見るたびに必ず小銭を入れる」という決まりにして
報道が減ってきても覚えていられるように備えています


 「報道が減るにつれてだんだん忘れてまたもと通りボンヤリ暮らしてしまいそうで怖い」って、本当にそうだよね。
 忘れないで、「断固これに異を唱え」ていくよ。


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