安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

ある右翼人との対話

2013-01-17 23:08:59 | その他社会・時事
すでに1か月近く前の、昨年12月中旬の話になるが、記憶が薄れる前に、備忘録的に書き残しておくのもいいと思われる興味深いできごとだったので、記しておく。

12月15日、都内で、右翼団体「一水会」顧問の鈴木邦男氏と立ち話をする機会があった。「多田謡子反権力人権賞」受賞式に鈴木氏が参加していたのだ。受賞者のひとりである「反リストラ産経労」委員長・松沢弘氏と大学で喧嘩をした間柄だという(喧嘩の内容は、松沢氏が学内で配布していたビラを鈴木氏が奪い取って破り捨てたことが発端だった)。

当ブログ読者の皆さまは(リアルで私を知っている方もブログ上だけという方も)大方お気づきと思うが、当ブログ管理人はこれまで、公共交通の安全・公共性、人権擁護、平和主義、環境保護、脱原発などの視点で行動してきたし、これからもそれは変わらないだろうと思っている。そんな私にとって、右翼団体のメンバーというのは、政治的主義主張をまったく異にする人たちで、政治的に交わり得ない相手だと思っていた。彼らと対話しようなんておよそ考えてもいなかった。

しかし、自分と立場を異にする人や、外国人などの異民族、マイノリティに対して「ゴキブリ」「死ね」「出て行け」などと一方的にがなり立てるだけでこちらの主張に聞く耳すら持たない「在特会」のような輩と異なり、鈴木氏を会場で見たとき、彼となら政治的意見は一致しなくても会話が成立くらいはするのではないか、と思った。なにより鈴木氏が、日航機「よど号」ハイジャック事件を引き起こした元赤軍派の塩見孝也・元議長など政治的立場をまったく異にする人たちと積極的に対話するなどしていたからである(このことが逆に、無節操だと思われる原因になり、ご本人は「右翼主催の集会に呼ばれなくなった」と言っていたらしいが…)。

そこで私は、右翼と呼ばれる人たちに会ったら是非聞いてみたいと思っていたことが2つあったが、時間も限られていたのでそのうち1つに絞って、鈴木氏に聞いてみた。

私「風の噂で、東京電力が天皇陛下を被曝させたことに対し激怒している右翼関係者がいる、と聞いたんですが、右翼業界で本当にそんな人いるんですか?」

鈴木氏「そんな人いませんよ。もし右翼でいるとしたら、その人は何か思い違いをしているんでしょう」

私「思い違い?」

鈴木氏「終戦後、天皇は各地を行幸しましたが、昭和21年には早くも広島に行幸したんです。戦時中、政府があれだけ情報統制を敷いていたにもかかわらず原爆のことはある程度知られていて、終戦直後の広島では、『私、子供を産めるのかしら』と原爆の影響を心配する若い女性がたくさんいた。そこに天皇が行幸に来て、天皇が来るのなら心配ない、と産む決意をし、実際に子どもを産んだ女性はたくさんいました。天皇とはそういうものです」

私「つまり、天皇はそれがご自身の役目であると…」

鈴木氏「そりゃそうですよ」

ここで鈴木氏は話題を変えて、「実は私も郡山出身なんですよ」と私に言った(私は鈴木氏に話しかけるとき、自分が白河在住であることを告げて冒頭の会話をしていた)。

会話をしてみて、私が彼に対して抱いていたイメージの多くが覆された。彼は保守ではあるけれども「右翼」という評価は違うのではないか、というのが偽らざる感想だった。もっとも、鈴木氏が顧問を務める団体「一水会」は右翼としては一風変わっている。反権力指向が強いし、「天皇ごっこ」の著者・見沢知廉(一水会元顧問)のように天皇(制)に対してもどこかクールに眺めている。会報は「レコンキスタ」(スペイン語で「再征服運動」の意)と横文字の名称だ。

「天皇のために国家があるのか、国家のために天皇があるのか」は、戦前は大きな論争のテーマとなってきた。当時の右翼や軍部は前者の考えをとる人が多数派だった(というより大日本帝国憲法自体がこうした考えで構成されていた)。だからこそ、後者の考えを具体化した美濃部達吉の「天皇機関説」(主権は国家にあり、天皇は国家の一部局、とする学説)は右翼や軍部からの激しい攻撃に遭うのだ。

私が、鈴木氏と会話してみて意外だったのは、彼が「国民を安心させ、不安を鎮めるのが天皇という存在で、天皇もそれを自覚して行動している」と考えているように思えたことだ。鈴木氏自身は明言していないが、天皇を「支配体制を安定させる装置」と捉えているらしく、先の論争で言えば後者の考え方に近いのではないかと思ったのである。今でも右翼を標榜する人たちの多くは前者の考えの人が多いと私は思っており、鈴木氏が右翼の集会に呼ばれなくなったのにはこの辺の事情もあるのではないだろうか。

私は、右翼陣営の人たちとはまったく接点を持たないので、彼らの考えや思想は、彼らの出版物やビラ、ホームページなどの記述のほか、公安警察・公安調査庁などの資料からしか窺い知ることができないが、もし現在、右翼陣営に属する人たちの多くが鈴木氏と同じ立場だとしたら、あまりに夢がなさ過ぎる。過去には左翼から右翼に転向した人も多くいるが、私が彼らの後を追うことはあり得ないだろう。

鈴木氏の立場は、むしろ戦後自民党的な「保守」の立場に近いのではないかという気がする。若い人が何か面白い発言をしたりすると「キミの言うこともわかるけどな、ここは都会とは違うんだから、年長者は敬うもんだ」などと非論理的な説教をして異なる意見を抑えつける田舎親父風の地域ボスである(蛇足だが、こうした非論理的「空気」こそ、福島からの「自主避難者」を苦しめているものの正体である)。

かつてはこうした人たちが自民党の有力な支持基盤だった。東京などの大都市では絶滅に近い状況になっているが、地方に行くと、今でもこうした田舎親父が権力を握っていて、原発推進を唱えていたりするから厄介である。「年長者は敬え」を根拠に服従を強いてくる相手に「原発は危険」「電力は足りている」などの論理的反論は通用しない。黙って彼らに「お迎え」が来るのを待つか、叩き潰すかの二者択一なのである。福島では今、脱原発運動で女性が集まると「あのオヤジたちをどうするか」の議論でもちきりである。私は、彼らとの闘争こそが脱原発運動のメインテーマだとすら思っている。

鈴木氏と話してみて、彼らもまた一般市民から遊離して暗中模索の中にあるとわかったことは大きな収穫だったように思う。彼らは今後、どこに向かっていくのだろうか。
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