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安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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【鉄ちゃんのつぶや記 第12号】ファンとして支援者として

2003-10-01 22:37:26 | 鉄道・公共交通/交通政策
 私が鉄道ファン人生に入ったのはいつかと聞かれると、それは物心付く頃までさかのぼる。家の前を通っている国鉄日豊本線の車両たちが私を鉄道ファンにしてくれた。他の鉄道ファン仲間に聞くと、やはり子供の頃、身近なところで鉄道と親しんだ経験を持つ人がほとんどだというから、「みずからの生活環境の中に鉄道が身近な存在としてあること」が鉄道ファンを生む環境的条件なのだろう。

 私の生まれた自宅の最寄駅は日豊本線の南小倉駅。国労の元中央執行委員長・武藤久氏がかつて改札係として切符を切っていた駅である。その南小倉駅近くに国鉄の官舎があり(この官舎は現在でもJR九州の社宅として用いられているようだ)、そこから私の家の前の道路を通って南小倉駅方面へ出勤する制服姿の職員を毎日のように見かけたものだ。

 その国鉄職員たちにとって、毎日、飽きもせず、道路と線路を隔てる金網にへばりついて鉄道を眺める少年は奇異の対象だったに違いない。いつの頃からか、出勤途中の国鉄マンたちが私を駅に連れて行っては鉄道のことをいろいろと教えてくれるようになったのである。車両記号の意味も中継信号機の見方もすべてこの時に教わったものだ。そのころ国鉄職員の半数以上が国労で、動労も含めると7~8割を占めていたから、私と国労・動労組合員との出会いはこの時といってよいだろう。

国労や動労の組合員たちにかわいがってもらったという幼児体験は、私の中に今も確固たるものとして根付いている。だから、誰が何と言おうとも私は旧国鉄職員たちを恨んだり憎んだりする気にはなれないし、今後ともないと断言する。私が国鉄闘争支援の道に入ったのは、そんな素朴で親切だった国鉄マンたちがなぜ解雇されなければならないのかという単純な疑問からである。また、かつて私をかわいがってくれた国鉄職員たちの中に解雇された人もいるかもしれず、そんな人たちに幼い頃の恩返しをしたいという思いからでもある。

 そんなこんなで国労闘争団と出会い、支援活動をするようになって約1年半が過ぎた。コップの水が半分残っているのを見て「まだ半分残っている」と思う人と、「もう半分しか残っていない」と思う人…世の中には2種類のタイプの人間がいるが、私の1年が「まだ」なのか「もう」なのかははっきり言って分からない。今後の闘争団の闘いがどこまで、いつまで続いていくのかにもよっている。

 ところで、人によっては鉄道ファンとしての立場にありながら国鉄闘争を支援することについて、不思議に思う人もいるかもしれない。ファン仲間と話していると、鉄道ファンと国労支援者の立場を両立させていることに怪訝な顔をする者もいる。

 だが、私の中ではこの2つの立場は全く矛盾しない。アメとムチ、と言ったら解りやすいだろうか。ファン活動は、鉄道という出来の悪い子供に対するアメであり、国鉄闘争支援や株主総会活動はいわばムチである。どちらも鉄道を「愛すればこそ」なのだ。愛してなければ誰がこんなめんどくさいことするものか。

 今日は、鉄道ファンの話ついでに興味深い話をしよう。鉄道ファンの中で国鉄闘争にどれだけの支持があるか、国鉄分割民営化がどのように評価されているかの2点である。

 まず、鉄道ファンの中での国鉄闘争「支持率」である。これは残念ながら一般社会並みに低い。鉄道ファンも概ね国鉄時代を知っている層と知らない層に分かれるが、国鉄時代を知っている層はバブル世代を中心とした「政治的無関心」層が多く、一方国鉄を知らない世代は、国鉄闘争をも知らないがために関心の持ちようがないのである。

 次に、国鉄分割民営化の評価である。一般社会では、経済界の受け売りなのか知らないが、相変わらず分割民営化を「改革」のモデルとして賞賛する意見が根強い。だが鉄道ファンの間では分割民営化はあまり支持されていないと言っていいだろう。鉄道ファンが反発するのは、特に会社を分割したこと、分割の結果として「並行在来線問題」に見られるようなネットワークの破壊が起こっていることに対してである。また、ローカル線という社会的インフラを維持するための装置としての国鉄がなくなったことによる、地方切り捨てへの懸念も根強い。さらに、経済性を追求し、軽薄で耐久性の弱い車両ばかりを量産し、短いサイクルで車両を切り替えていくJRへの不満(事故が起きたときどうするのか、といった疑問など)もある。そして、このことの結果ともいえるだろうが、「国鉄型車両がなくなったら鉄道趣味から引退する」と公言している者が私の周囲だけでも4~5人はいる。実際、国鉄型車両がなくなったら、かなりの数の鉄道ファンが引退することになると思う。

 私の見るところ(あくまで個人的感触だけれど)、並行在来線問題やローカル線問題に関しては、鉄道ファンの間では既に「分割民営化が諸悪の根源」であるというコンセンサスすら形成されているように見える。そして、そのことを含め、分割民営化の評価は「全面支持」が4人に1人くらい、「部分的支持」を加えてもやっと半分行くか行かないかというのが妥当なところだろう。

 国鉄型車両の問題などは、多分に個人の嗜好が絡んでおり、それ自体も鉄道趣味の一部でしかない。引退したい人間はすればいいし、その分は新しい仲間の掘り起こしをすればよいだけのことである。だが、鉄道ファンの間で分割民営化があまり支持されていないという事実に希望を持った人も多いだろう。問題は、分割民営化への「不支持」が国鉄闘争への「支持」に結びついていないことにあるが、分割民営化のこの不人気ぶりから見て、可能性はあると思う。鉄道趣味の世界に入ってきた若い人にも、過去にこの国の鉄道界で起こった出来事を伝える義務がある。そして、昨年の私のように大会会場まで出向かなくても良いから、せめて裁判の傍聴とか資金援助などにつなげていくことはできるのではないだろうか。

…現実には、鉄道ファンはそんなことをする暇があったら写真撮影に行きたいという人も多いから困るのだけれど。

(2003/10/1・特急たから)

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