goo blog サービス終了のお知らせ 

安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

当ブログのご案内

当サイトは列車の旅と温泉をメインに鉄道・旅行を楽しみ、また社会を考えるサイトです。

「あなたがすることのほとんどは無意味でも、あなたはそれをしなくてはなりません。それは世界を変えるためではなく、あなたが世界によって変えられないようにするためです」(マハトマ・ガンジーの言葉)を活動上の支えにしています。

<利用上のご注意>

当ブログの基本的な運営方針

●当ブログまたは当ブログ付属サイトのコンテンツの利用については、こちらをご覧ください。

●その他、当サイトにおける個人情報保護方針をご覧ください。

●当ブログ管理人に原稿執筆依頼をする場合は、toukaihoutei*hotmail.com(*を@に変えて送信してください)までお願いします。

●当ブログに記載している公共交通機関や観光・宿泊施設等のメニュー・料金等は、当ブログ管理人が利用した時点でのものです。ご利用の際は必ず運営事業者のサイト等でご確認ください。当ブログ記載の情報が元で損害を被った場合でも、当ブログはその責を負いかねます。

●当ブログは、ネトウヨから「反日有害左翼ブログ」認定を受けています。ご利用には十分ご注意ください。

●管理人の著作(いずれも共著)
次世代へつなぐ地域の鉄道——国交省検討会提言を批判する(緑風出版)
地域における鉄道の復権─持続可能な社会への展望(緑風出版)
原発を止める55の方法(宝島社)

●管理人の寄稿
規制緩和が生んだJR事故(国鉄闘争共闘会議パンフレット「国鉄分割民営化20年の検証」掲載)
ローカル鉄道に国・自治体・住民はどう向き合うべきか(月刊『住民と自治』 2022年8月号掲載)
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

<安全問題研究会声明>当研究会代表、運輸審議会公聴会で堂々意見公述~国は今こそ国鉄改革の失敗認め、JR再編に着手せよ~

2019-07-10 21:32:51 | 鉄道・公共交通/交通政策
<安全問題研究会声明>当研究会代表、運輸審議会公聴会で堂々意見公述~国は今こそ国鉄改革の失敗認め、JR再編に着手せよ~

 JR北海道が5月に行った平均11%、最大3割にも及ぶ鉄道旅客運賃・料金の上限変更認可申請に関し、国土交通省運輸審議会が7月1日に実施した公聴会で、当研究会代表が一般公述人の1人として反対の公述を行った。その内容は公述書のとおりであり、当研究会代表は、JRグループ各社間に巨大な格差が存在し、その格差が拡大するままに放置され、何らの是正措置も講じられないまま北海道民だけに負担が押しつけられようとしていること、北海道産農産物の輸送に鉄道が大きな役割を果たしていることを中心に現状のままの値上げは認められないことを表明した。当研究会代表の他に2名の一般公述人が公述を行ったが、そのいずれも値上げ反対を表明しており、公述人全員が値上げに反対する異例の事態となった。

 「JR北海道の経営が苦境に追い込まれた根本原因は、そもそも旧国鉄を地域ごとのJRグループ各社に分割した際の切り分け方にある。JRグループ各社の企業努力を超える格差が厳然と存在し、またその拡大が続いているこの間の社会経済情勢の変化を踏まえると、企業努力の範囲を超える格差に関してはその是正のための制度を導入することこそ国として、今行うべき政策である」とした当研究会代表の公述に対し、島田社長は「国鉄という全国1社の巨大組織が非効率を生み経営破綻につながった。適正な経営規模の下、地域ごとの自立的経営を行い、鉄道の再生をめざすのが国鉄改革の精神だった」と色をなして反論してきた。しかし、島田社長のこの苦し紛れの強弁にこそ国とJR北海道の最大の弱点が現れている。国鉄改革の失敗を指摘されることを彼らは何よりも恐れているのだ。

 32年前に国民の強い反対を受けながら、分割民営化推進派が根拠なく繰り返してきた空虚な主張を一字一句なぞっただけの強弁で、JR北海道は実際、この日の会場を埋め尽くした報道関係者や傍聴者を納得させることができなかった。ほとんどの報道機関が公聴会後、値上げに対し批判的な論調だったことは、当研究会の主張の正しさを裏付けるとともに公述の成功を物語っている。

 32年の時を経て、JRグループをめぐる情勢は根本的に変化している。新幹線が新潟、盛岡、博多までしか走っていなかった時代の認識のまま、JR北海道の危機をその場しのぎの対処で乗り切ることなど不可能であると知らなければならない。

 当研究会は、JR北海道による「維持困難線区」公表後も、ぶれることなく一貫してJRグループの再編を訴えてきた。国鉄「改革」で3分の1の路線を失った北海道が、このまま何の手も打たれずさらに半分の路線を失うことなど断じてあってはならない。その信念の下、5線区(廃止対象)に位置づけられた日高本線沿線を中心に講演回数は8回に及んだ。国土交通省、総務省に対する要請・申し入れ3回、国会議員を通じた質問主意書提出3回に加え、「JR日高線を守る会」「JR問題を考える苫小牧の会」などと連携した署名や駅清掃、キャラバンなどあらゆる行動を続けてきた。この春からは、代表のメディア出演(インターネットラジオ、コミュニティFM放送)によって市民に直接政策を訴える活動も行った。

 当研究会代表を初めとする一般公述人の奮闘によって、次第に世論の風向きにも変化が現れ始めた。野放図な廃線・値上げ容認論はなお残るものの一時の勢いを失い、新自由主義者らは焦りを深めつつある。代わって国鉄分割の不当性や北海道単独での経営の困難さを指摘し、JR再編や再国有化、上下分離の導入を求める声が強まっている。巨大な利益を上げながら人員削減を強行し、年末年始や大型連休など繁忙期のたびにトラブルを引き起こすJR東日本、新幹線車内で犯罪が相次いでいるのに抜本的な対策もしないままリニア建設に突き進むJR東海、尼崎事故現場を一般市民の目から隠しつつ、加害の歴史を抹殺するJR西日本――彼らにこれ以上私たちの公共交通を委ね続けることはもはやできない。

 当研究会は、国鉄改革の失敗を認め、直ちにJR再編に着手するよう、国に対して強く求める。粘り強くあるべき交通政策を訴え続け、いよいよ世論を動かし始めたみずからの活動に自信を持ち、公共交通の復権というあるべき道を、ぶれることなく、まっしぐらに進む決意をこの機に改めて表明する。

 2019年7月10日
 安全問題研究会

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノーモア尼崎事故集会、JR北海道運賃値上げに反対する市民公聴会相次いで開催 安全問題研究会が報告行う

2019-06-27 00:23:55 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2019年7月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。なお、管理人の判断で「鉄道・公共交通/交通政策」カテゴリでの掲載としました。)

 ●JR西日本への怒り相次いだノーモア尼崎事故集会

 「ノーモア尼崎事故 生命と安全を守る6・8集会」が兵庫県尼崎市で開催された。今年は統一地方選との重複を避けるため、事故のあった4月でなく6月開催となった。

 「組織罰とは何か~安全な社会を確立するために」と題し、「組織罰を実現する会」事務局の津久井進弁護士が記念講演。「尼崎事故裁判は無罪となり、同じ強制起訴の刑事裁判として東電の福島原発事故訴訟が進行中だ。企業の刑事責任の追及が困難な予見可能性に固執せず、企業として最低限講じるべき安全対策のラインを設定し、経営陣がそれを果たしているかで企業責任を判断する新しい考え方への転換が必要」と指摘。一方で「疑わしきは白の原則のある刑事訴訟には独特の難しさがあるが、組織内部にグレーの人がたくさんいる場合には、グレーもたくさん重ねれば黒になる。事実と闘いで突破することが有罪獲得に重要」として、福島原発事故刑事訴訟にも一定の配慮を示した。組織罰を実現する会は、国・自治体には500万円を、企業には純資産額を上限とする罰金刑を科せるようにする組織罰法制の実現を目指し活動している。国・自治体に対する罰金刑の上限を500万円に設定した理由について、津久井弁護士からは「国・自治体の財源が納税者の税金であり、罰金を引き上げても納税者の負担が増えるだけ。むしろ罰金刑が科されることにより国や自治体が再発防止策をしっかり取ることを期待してのもの」との説明が行われた。

 安全問題研究会からは北海道のローカル線をめぐる状況について報告。この1年間で新たに地元が廃線に同意したのは札沼線(北海道医療大学~新十津川)だけにとどまった。また、道庁や道内経済界によるJR利用促進運動が始まったが、国鉄末期の「乗って残そう運動」が成功しなかった経験から、路線存続には収支でなく鉄道を公共財として維持する政策が必要であることが示された。新幹線「のぞみ」台車亀裂事故(2017年)に関する国の事故調査報告書が公表されたことにも触れ「台車を納入した川崎重工業との取引を漫然と続けるなど、JR西日本には反省が見られない」と指摘した。

 尼崎事故遺族の藤崎光子さんも参加。「なぜ私は死ななければならなかったの、という娘の声が今も聞こえる。国鉄時代の安全綱領をやめ「稼ぐ」を大阪支社長方針のトップに掲げるようなJR西日本の企業体質が事故原因。もうJRは再国有化すべき」と例年よりも踏み込んだ形で思いを語った。

 集会終了後は事故現場までデモ行進。事故で列車が突っ込んだマンションは大部分が解体され、公園の一部として再整備された。だが隣接する道路からは見えないように覆われ、記念碑の記述も事故発生の経過だけ。何よりもJR西日本の加害責任に一切触れないという不当なものだ。公園内の撮影すら禁止するJR西日本の姿勢に、参加者から「事故風化を許さないぞ!」と怒りの声が上がった。

 企業犯罪をできるだけ風化させようと狙う政府・JRと企業の刑事責任追及に向け新たな考え方を提起し闘う市民。今年の集会は例年以上に両者の本質的で根本的な対立を浮き彫りにした。

 ●JR北海道の運賃値上げに関する「市民公聴会」開催 値上げに怒りの声

 一方、JR北海道は今年10月の消費税率改定に合わせて運賃を平均11%(増税分含む)も引き上げる方針を決め、国交省に申請した。その是非を審議する運輸審議会主催の公聴会が7月1日に行われるのを前に、運賃引き上げに反対する集会(市民公聴会)が6月21日、札幌市内で開催。当研究会代表も「市民公述人」として意見を述べた。

 今回の値上げは、JR北海道という企業の息の根を止めることになると思う。何年後になるかわからないが、そう遠くない将来にJR北海道の経営破綻のニュースが流れたときに「今思えば、あのときの大幅な値上げが運命の分かれ道だった」と振り返られることになる歴史的ターニングポイント。そんな値上げだと思っている。旧国鉄が1976年に行った「運賃5割値上げ」が、最終的に国鉄の息の根を止めた先例があるからだ。

 歴史的に見ると、国鉄ではこの前年、1975年にあの「スト権スト」があり、全国で8日間にわたり列車が止まった。このストの影響は大きく、特に貨物で荷主の国鉄離れを決定的にした。この大幅減収局面に慌てふためいた国鉄が、翌年に行ったのがこの5割という大幅値上げだった。

 当時の国鉄も今のJR北海道経営陣と同じで「満員列車で都心の企業に通勤しているサラリーマンたちは、どうせ他の交通機関の選択肢を持たないのだから、大幅に値上げしても結局は今まで通り国鉄に乗るだろう」と考え、高を括っていた。しかし値上げの結果は悲劇的で、競合私鉄、地下鉄にどんどん客を取られていった。値上げする→客が離れる→さらに赤字がひどくなる→また値上げする……という死のスパイラルに入っていった国鉄は、その11年後にJRとなり姿を消した。

 当時の国鉄は赤字と言われながらも、高騰する建設費と不当に高い利払いを除けばそれほど財務状態は悪くなかった。単に国鉄という組織が列車を動かして得た利益で自分たちの生活費をまかなうという部分のみに着目すれば、赤字ではあっても国が救済できないと絶望視するような状況にはなかったのである。それなのに、5割の値上げが打撃となり、国鉄は以後、急坂を転がり落ちるように破局へ向かって突き進んでいった。

 今回、JR北海道の値上げは最大3割にも及ぶもので、これほどの大幅なものはこのときの国鉄以来だろう。このときの5割値上げの大失敗を思えば、JR北海道が同じ道をたどるであろうことは容易に想像できる。JR北海道が出している赤字額の7~10倍も稼いでいる会社が同じJRグループ内にあるのになぜその格差を埋める努力もせずに値上げなのか。首都圏の人たちも北海道産農産物を食べているのに、なぜそれを輸送するための除雪費も保線費用もJR北海道と道民の負担なのか。「鉄道を残したいなら残したいと思っている道民が金を出せ」という意見も目立つが、それなら「北海道産のジャガイモやタマネギを首都圏に輸送するための費用は首都圏の食べたいと思っている者が払え」というのが当研究会の主張である。

 当研究会代表は、7月1日、国の運輸審議会が行うJR値上げに関する公聴会でも公述人として意見を述べることになっている。公述書の内容を全文公開するので、是非皆さんもこの「格差」問題を考えていただきたいと思っている。

(黒鉄好・2019年6月23日)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【怒りの告発】「自主避難は自己責任。裁判でも何でもすればいい」と放言した今村雅弘元復興相が地元で「5000億円ドブ捨て」のゴミ新幹線を熱烈推進

2019-06-23 15:08:35 | 鉄道・公共交通/交通政策
新幹線長崎ルート 『経済波及効果を強調』 フル規格促進 佐賀でシンポジウム(長崎新聞)

--------------------------------------------------------------
 九州新幹線長崎ルートを全線フル規格化した場合の佐賀県のメリットや経済波及効果を考えようと、佐賀県フル規格促進議員の会(会長・平原嘉徳佐賀市議)が22日、佐賀市内でシンポジウムを開いた。同ルート与党検討委員会メンバーの古川康衆院議員(比例九州)は「全国の新幹線ネットワークとつながることに意味がある」と述べ、フル規格での整備を訴えた。

 同ルートは新鳥栖-武雄温泉の在来線区間にフリーゲージトレイン(軌間可変電車、FGT)を導入予定だったが、開発の難航などから断念。長崎県とJR九州は時間短縮効果や投資効果が大きいフル規格を求め、佐賀県は反発している。

 基調講演では、元与党検討委メンバーでJR九州出身の今村雅弘衆院議員(比例九州)が「フル規格による佐賀の経済浮揚について」と題して講演。北陸新幹線や鹿児島ルートの開業効果などを解説し、「佐賀県の活性化へプラス思考で取り組もう」と訴えた。

 識者や経済人計4人が登壇したパネル討論で、前佐賀県知事の古川氏は「(FGT断念時は)負担の点で在来線を走るミニ新幹線がいいと思ったが、大雨など災害に強いことはまちづくりの点で大事」と、高架を走るフル規格のメリットを挙げた。リニア新幹線の開業も見据え「関西、北陸の人が佐賀県に来やすくなる」と指摘。建設費の佐賀県負担については「与党検討委全ての議員が重すぎるという議論をしている。それを形にしていかなければならない」と述べた。

 会場には約500人が来場。佐賀県の沿線市長のほか、両県議も参加した。長崎県議会九州新幹線西九州ルート・交通対策特別委員会の八江利春委員長は「前向きな議論だった。県民運動への展開を期待したい。佐賀県議会にも働き掛けたい」と述べた。
--------------------------------------------------------------

当研究会は忘れもしない。いやおそらくずっと忘れることはできないだろう。記事中に登場する今村雅弘衆院議員と言えば、元復興相として「(東日本大震災の被害が)まだ“あっちの方”だったからよかった」「自主避難は自己責任。裁判でも何でもすればいい」と放言したあげく、質問したフリージャーナリスト西中誠一郎さんに「(会見場から)出て行け」と怒鳴り散らした人物だ。当時、怒りでいきり立った当研究会は抗議のため今村事務所の電話に10回ダイヤルしたが、話し中で出てこなかった。反対意見はハナから聞く気もない、政治家失格の人物と改めて断言する。

その今村議員、あろう事か地元で佐賀県知事が「約束と違う」として反対している九州新幹線西九州ルート(旧長崎ルート)を熱烈推進中のようだ。

この九州新幹線が「旧時代的税金巨大たれ流し公共事業」の歴史の中でも札付きの「筋悪案件」であることを当研究会はすでに何回も指摘している。「地域と労働運動」誌2018年8月号寄稿の記事「フリーゲージトレイン試験とん挫で混迷深める長崎新幹線~規格も決まらない路線に1兆円もの資金投入目指す「世紀の愚策」~」で詳しく紹介しているのでご一読いただきたいが、それから1年経っても状況は全く変わっていないどころかますます悪化している。今まで公共事業で繰り返されてきた「引き返しできないところまで造ってしまえばこっちの勝ち」と言わんばかりの「やり逃げモード」で長崎~武雄温泉間の工事が加速しているのだ。

フリーゲージトレイン(軌間可変式電車)の開発失敗で、当初認可された計画通りでの長崎~博多間直通はすでに不可能になっているのに、長崎~武雄温泉間でフル規格の工事が強行されている。この区間の距離はわずか66km。博多~小倉間とほぼ同じ距離だから、現行新幹線のダイヤを基本に考えるなら到達時間はわずか15分にすぎない。このまま佐賀県の反対で全線フル規格化が実現せず、長崎~武雄温泉間だけが先行開業してしまった場合、長崎ルートの乗客は始発駅・長崎発車後わずか15分で「終着駅」武雄温泉に到着。そこで全員が乗り換えという悪夢であると同時に笑い話のような事態が待ち受けているのだ。時間短縮効果はわずか5分、それも今まで必要のなかった乗り換えが武雄温泉で新たに発生することで帳消しになってしまう。これが税金の無駄遣いでないというなら、戦艦大和も八ッ場ダムもリニア新幹線も無駄遣いに入らなくなってしまうほど、この事業の愚かさは群を抜いている。

にもかかわらず今村議員は「推進」? なるほど、東北犠牲者の痛みも直視せずに「被害があっちで良かった」という、我々凡人には理解もできないご立派な「見識」は今も健在のようだ。

こんな税金の無駄遣い、法的あるいは制度的に不備がなくとも、私は納税者のひとりとして絶対に許さない。こんなくだらないことに使う金があるなら、あなたが「自己責任」と切り捨てた自主避難者救済のために使うべきであり、それができないというなら今すぐ辞表を書くべきだ。ついでにもうひとつ、あなたが千葉鉄道管理局総務部長時代、無慈悲に首を切った国鉄労働者に、生きているうちに詫びに行け、とも言っておく。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安全問題研究会も参加してJR運賃値上げ「市民公聴会」

2019-06-22 12:46:58 | 鉄道・公共交通/交通政策
JR運賃値上げで意見交換会(NHK北海道)

---------------------------------------------------
 JR北海道が予定している運賃の値上げについて意見を交わす会合が開かれ、出席者からは、高校生の通学定期券など家庭に重い負担となる値上げには配慮が必要だという意見が出されました。

 この会合は、JR北海道がことし10月に計画している運賃の値上げについて意見を交わすため、20日夜、開かれました。

 この中で、出席した有識者は、値上げにあたってJRの経営努力が不十分なことや、新幹線の延伸に多額な投資を行いながら利用者に負担を強いることへの問題点などを指摘しました。

 会場の出席者からは、特に高校生の通学定期券の値上げは家庭に重い負担となるため、配慮が必要だという意見が出されました。

 運賃の値上げは、国土交通省の運輸審議会が認可すべきかどうか審査していて、来月1日には、札幌市で公聴会を開き、JR側やさまざまな立場の人たちから意見を聞く予定です。
---------------------------------------------------

21日に、札幌市内でJR北海道の運賃引き上げに反対する集会が開かれ、当研究会代表も「市民公述人」として意見を述べた。

今回の値上げは、JR北海道という企業の息の根を止めることになると思う。何年後になるかわからないが、そう遠くない将来にJR北海道の経営破綻のニュースが流れたときに「今思えば、あのときの大幅な値上げが運命の分かれ道だった」と振り返られることになる歴史的ターニングポイント。そんな値上げだと思っている。

というのも、旧国鉄が1976年に行った「運賃5割値上げ」が、最終的に国鉄の息の根を止めた先例があるからだ。

歴史的に見ると、国鉄ではこの前年、1975年にあの「スト権スト」があり、全国で8日間にわたり列車が止まった。このストの影響は大きく、特に貨物で荷主の国鉄離れを決定的にした。この大幅減収局面に慌てふためいた国鉄が、翌年に行ったのがこの5割という大幅値上げだった。

当時の国鉄は今のJR北海道経営陣と同じで「満員列車で都心の企業に通勤しているサラリーマンたちは、どうせ他の交通機関の選択肢を持たないのだから、大幅に値上げしても結局は今まで通り国鉄に乗るだろう」と考え、高を括っていた。しかし値上げの結果は悲劇的で、競合私鉄、地下鉄にどんどん客を取られていった。値上げする→客が離れる→さらに赤字がひどくなる→また値上げする……という死のスパイラルに入っていった国鉄は、その11年後にJRとなり、姿を消した。

当時の国鉄は赤字と言われながらも、高騰する建設費と不当に高い利払いを除けばそれほど財務状態は悪くなかった。単に国鉄という組織が列車を動かして得た利益で自分たちの生活費をまかなうという部分のみに着目すれば、赤字ではあっても国が救済できないと絶望視するような状況にはなかったのである。それなのに、5割の値上げが打撃となり、国鉄は以後、急坂を転がり落ちるように破局へ向かって突き進んでいった。

今回、JR北海道の値上げは最大3割にも及ぶもので、これほどの大幅なものはこのときの国鉄以来だろう。76年5割値上げの大失敗を思えば、JR北海道が同じ道をたどるであろうことは容易に想像できる。JR北海道が出している赤字額の7~10倍も稼いでいる会社が同じJRグループ内にあるのに(参考;衆院予算委員会(2017年2月17日)における本村伸子議員の提示資料)、なぜその格差を埋める努力もせずに値上げなのか。首都圏の人たちも北海道産農産物を食べているのに、なぜそれを輸送するための除雪費も保線費用もJR北海道と道民の負担なのか。「鉄道を残したいなら残したいと思っている道民が金を出せ」というコメントがネット上には目立つが、それなら「北海道産のジャガイモやタマネギを首都圏に輸送するための費用は首都圏の食べたいと思っている者が払え」というのが当研究会の主張である。

なお、当研究会代表は、7月1日、国の運輸審議会が行うJR値上げに関する公聴会でも公述人として意見を述べることになっている。以下、公述書の内容を全文公開するので、是非皆さんもこの「格差」問題を考えていただきたいと思っている。

---------------------------------------------------------------------
公 述 書

             
 北海道旅客鉄道株式会社(JR北海道)が申請した鉄道旅客運賃・料金の上限変更認可申請に対し、反対の立場で公述します。

 今回の変更申請が認可されると、JRグループ発足以来、消費税の導入または税率改定を除いた運賃値上げは二度目となります。消費税の導入または税率改定を除くと、JR東日本・東海・西日本の3社は一度も値上げをしておらず、JR四国・九州も1996年に一度値上げを行ったのみで、以降は値上げをしていません。

 旧国鉄では、幹線または地方交通線による格差はあっても地域による格差はない、全国統一の運賃制度を採用していました。旧国鉄の線路を継承させるため、国が政策としてJRグループ各社を発足させた経緯からも、地域間の運賃・料金の格差は最小限度に留めるべきであり、また鉄道をはじめとする公共交通は、ユニバーサルサービスとして全国どこでも同一のサービスなら同一の費用で提供されることが原則でなければなりません。

 JR北海道の経営が苦境に追い込まれた根本原因は、そもそも旧国鉄を地域ごとのJRグループ各社に分割した際の切り分け方にあります。JRグループが発足した初年度、1987年度決算において、JR7社の営業収入全体に占めるJR北海道の割合はわずかに2.5%、JR四国は1%、JR九州も3.6%に過ぎませんでした。グループ発足初年度から、JRグループ7社の営業収入の43.1%をJR東日本だけで占めるほど、JR各社間の格差ははっきりしていました。JR北海道全体の営業収入は919億円で、この数字は当時の東京駅の収入より少なかったというデータもあります(注1)。

 このような大きな経営上の格差は、グループ発足後30年経過した現在も改善されていません。2016年3月期決算において、JR北海道は483億円の損失を計上しているのに対し、JR東日本は3722億円の利益を上げています。JR北海道の赤字額の7.7倍に当たる数字です。JR北海道、四国、九州、貨物4社の赤字額の合計は741億円であるのに対し、本州の3社で最も利益の少ないJR西日本でも1242億円の利益を上げています(注2)。本州3社で最も経営基盤の弱い会社でも赤字4社をまとめて救済できるほど、同じJRグループ内で大きな格差ができていることを示しています。

 国鉄改革に当たって、国は、JR北海道・四国・九州3社に経営安定基金を用意し、金利を赤字補填に充てさせる一方、本州の3社には旧国鉄の債務の一部を返済させる措置を講じました。しかし、その後の低金利・無金利政策により、JR北海道・四国両社は経営安定基金による赤字補填ができなくなる一方、本州の3社は債務負担が軽くなり、さらに利益が増加しました。低金利政策は、ただでさえ大きかったJRグループ会社間の格差をさらに拡大させることにつながったのです。

 今回の上限運賃の変更申請は、JRグループ各社間に元々存在した格差に加え、その後の低金利政策によってさらに拡大した格差を是正するための努力を行うことなく、不利な条件の下に置かれてきた北海道の利用者だけに新たな負担を求めるものであり、また憲法が保障する法の下の平等にも反するものです。

 農林水産省が公表している都道府県別食料自給率(2012年)によれば、北海道の食料自給率(カロリーベース)は200%である一方、東京は1%に過ぎません。北海道は他の地域の食料供給に大きな役割を果たしており、また食料品の多くはJRの貨物列車で道外に輸送されています。北海道経済連合会が公表した資料(注3)によると、道産タマネギは全体の67.6%、豆類50.0%、米類40.3%、馬鈴薯も39.1%がJRの貨物列車で道外に輸送されています。

 2016年夏、北海道に4つの台風が上陸し、函館本線や石勝線などの重要路線が長期にわたって不通となりましたが、この際、首都圏でポテトチップスが姿を消し「ポテチショック」などと騒がれました。北海道に鉄道があることによって首都圏をはじめ日本全国にその恩恵が及んでいます。それにもかかわらず、北海道に貨物列車を走らせるための保線費用も、冬の除雪費も、既に日本一高い運賃を通じて北海道民がそのほとんどを負担させられているのは理不尽というほかありません。全国がその恩恵を受けている以上、北海道の鉄道を維持するための費用は全国であまねく負担すべきものです。

 国鉄末期には貨物列車安楽死論も唱えられる中で、JRグループ発足以来30年間、JR貨物はそうした社会的逆風に耐え、懸命な企業努力を続けてきた結果、ここ数年は毎年100億円程度の経常利益を上げられるまでになりました。しかし、国が定めた指針により、JR貨物は貨物列車が走ることによって新たに必要となる費用(アボイダブルコスト)以外の負担をしなくてよいことになっており(注4)、また線路もほとんど旅客会社から借りることで貨物列車を運行しています。このため、年間483億円の赤字にあえぐJR北海道が、年間100億円の利益を出しているJR貨物を支えなければならないという別の面からの理不尽な状況も生まれています。

 このような事実を総合すると、今、JR北海道の運賃・料金の値上げを通じて北海道民だけに新たな負担を求めることが国として適切な政策であるとは思えません。JRグループ各社の企業努力を超える格差が厳然と存在し、またその拡大が続いているこの間の社会経済情勢の変化を踏まえると、企業努力の範囲を超える格差に関してはその是正のための制度を導入することこそ国として、今行うべき政策であるというのが当研究会の基本的な立場です。新たな負担の導入や地方路線の廃止など利用者に不利益をもたらす措置は、これら最大限の政策的努力が行われた後に初めて検討されるべきものであり、こうした努力が十分に行われているとは考えられない現状での運賃・料金の改定申請に対しては、当研究会として反対を表明せざるを得ません。

 以 上

注1)「JRの光と影」(立山学・著、岩波新書、1989年)P.75~76

注2)衆院予算委員会(2017年2月17日)における本村伸子議員の提示資料

注3)「JR北海道に対する当会のスタンスについて」(北海道経済連合会)P.7「主要農産品等の輸送機関別シェア」より

注4)「新会社がその事業を営むに際し当分の間配慮すべき事項に関する指針」(平成13年国土交通省告示第1622号)II-1-2に規定

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【管理人よりお知らせ】「ノーモア尼崎事故!生命と安全を守る6.8集会」資料をアップしました

2019-06-11 20:32:51 | 鉄道・公共交通/交通政策
管理人よりお知らせです。

「ノーモア尼崎事故!生命と安全を守る6.8集会」資料を安全問題研究会サイトに掲載しました。1年前の集会から道内の「維持困難10路線13線区」をめぐるJRと沿線自治体の協議はほとんど進展しておらず、札沼線一部区間(北海道医療大学~新十津川)のバス転換が2020年5月7日に決まった以外は変化がありません。そこで、今年の資料では、個別の線区をめぐる動きよりも道内全体の動きに重点を置いた資料としました。

また、JR西日本の「のぞみ」台車亀裂事故についても、今年3月に運輸安全委員会の事故調査報告書が公表されたのを受けて、取り上げています。当研究会の報告資料はこちらから見ることができます。

また、この集会で福知山線脱線事故遺族・藤崎光子さんが発言している動画をYoutube「安全問題研究会チャンネル」で公開しました。こちらも合わせてご覧いただけます。

190608ノーモア尼崎集会/藤崎光子さん

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暴走車による悲惨な交通事故~自動車ファーストの道路政策改め幼い命守れ~

2019-05-27 21:45:15 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2019年6月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。なお、管理人の判断により「原稿アーカイブ」ではなく「鉄道・公共交通/交通政策」カテゴリで掲載しました。)

 暴走車が歩道の歩行者を襲い、歩行者が死亡する悲惨な事故の報道が続いている。とりわけ今年4月、東京・池袋で87歳の高齢者が母子を死亡させた事故では、ドライバーが元通産省工業技術院長を務めた高級官僚で勲章受章者、しかも逮捕されず任意の事情聴取にとどまっていることもあいまって「上級国民は逮捕されない」という言説が広まり、激しいバッシングが続いている。5月8日には、滋賀県大津市でも園児の列に暴走車が突っ込み、幼い2つの命が失われた。

 交通事故それ自体は自動車の発達とともに昔からある問題だし、高度成長期には交通事故死者数が年間1万人を超え、交通戦争といわれた時期もあった。対照的に、ここ数年は年間の交通事故死者数が4千人を割り込んでおり、交通戦争は遠い昔の記憶になったということもできるだろう。もちろんそれでも、日本国内に限れば2005年12月のJR羽越線脱線事故以降1人の死者も出していない鉄道、1985年の日航機墜落事故以降、34年間にわたって1人の死者も出していない航空機と比べると自動車が巨大な「生命の無駄遣い」をしている事実には何ら変わりがないのである。

 それにもかかわらず、連日のメディア報道が続くのは、事故の“質”に大きな変化が生まれているからである。「交通戦争」時代は運転経験の未熟な若者がハンドルを握る車が子どもや高齢者をはねるというケースが比較的多かった。しかし最近は、身体機能や判断力の衰えた高齢者がハンドルを握る車が子どもや母子をはねるというケースが激増しているのである。子どもが犠牲者なのは今も昔も同じだが、かつてはたいていの場合被害者だった高齢者が加害者へと逆転。いささか失礼な言い方になるが「余命幾ばくもない高齢者の手で未来ある母子の命が次々に絶たれる」という“悲劇性”がメディア報道激増の背景にあるとみて間違いない。

 ●「自動車ファースト」の交通政策に有識者からも批判

 なぜ悲惨な事故が続くのか。交通戦争の時代から半世紀近く経つのになぜ状況が好転しないのか。

 栗生俊一警察庁長官は5月9日の記者会見で「日本の交通死亡事故は、諸外国に比べ歩行者が犠牲になる割合が高い」と述べたが、これを裏付けるデータがある。「国際道路交通事故データベース」(IRTAD)対象30カ国の中で「乗用車乗車中」つまりドライバーの人口10万人当たり死者数では、日本は3.8(2015年)と10番目に少ない。ノルウェー(1位)、スウェーデン(2位)、英国(3位)などには及ばないものの先進国水準といえる。

 しかし、これが歩行者となると事情は一変する。日本では交通事故死者数に占める歩行者の比率が37.3%もある。諸外国を見ると、スウェーデンは10.8%、ドイツ15.5%。島国で狭い道路が多いなど日本と事情が似ている英国でも23.7%だ。IRTAD対象30カ国の中でも交通事故死者に占める歩行者の割合が突出している。やや乱暴に例えるなら、他の先進国では自動車が「走る棺桶」であるのに対し、日本は「走る凶器」なのだ。

 こうした事態を引き起こしている原因を自動車優先、歩行者軽視の道路行政に求める識者は多い。ジャーナリストの窪田順生さんは、「歩道は狭過ぎて混雑し過ぎ。そして、なぜ道路を渡るのに、僕が階段を上らなければならないのか? 車が優先されていることに、僕は憤りを覚えた」というコリン・ジョイス氏(ニューズウィーク日本版コラム担当)の意見を紹介。訪日客を含む外国人の目には日本の道路とりわけ歩道の狭さが異様な光景に見えていることを指摘した。すれ違うと肩がぶつかったり、ベビーカーを押していると急いでいる人に舌打ちされたりする状況は異常だし、私自身、ただでさえ狭い道路に電柱が建っているところでは、雨の日に傘も通らなかった経験がある。そのときは「傘も通らないなんて、ここは収容所か」と思ったものだ。

 「ハンドルを握る高齢者の多くが、行き先はせいぜい数百メートル先のスーパーか商店街。そんな近くなら歩いて行け」と憤る意見もインターネット上には散見されるが、私のような若い世代でさえ収容所に押し込められているような感覚に襲われ、歩くのがイヤになる狭い歩道をわざわざ歩いてまで外出したいと思う高齢者はいないだろう。数分も歩けばたどり着くような至近距離でもわざわざ車に乗る高齢者が後を絶たない現状を、単なる心身の衰えだけで説明するのは難しい。非人道的なレベルで狭い歩道を歩きたくないというのも動機なのではないかと思われる。

 『道路が、ただ車を通すために計画され、豊かで多様な生活が奪われ、商業主義に毒されているところに、今日の都市の危機がある。人間のもっとも基本的な権利である歩行さえ安心して行えず、不断に警戒し、注意するのでなければ生命をおびやかされ、一家を塗炭の苦しみにおとしいれるような都市に、誰が誇りと愛着を感じるであろうか。そのような都市で、どうして市民の連帯をはぐくむことができようか。』

 これは、東京都総合交通対策担当専門委員報告『総合交通対策について』(都企画調整局総合交通対策室)からの引用である。オイルショック直前の1973年6月にまとめられた内容だが、私たちはこの報告に2つの意味で驚かされる。1つは言うまでもなくこの報告が持つ先見性だ。上記の一節を引用した廣岡治哉法政大学経営学部教授(当時)はこの報告を根拠に「歩行権」を新たな基本的人権に位置づける。

 もうひとつは、この報告から半世紀が経った現在も状況がまったく改善せず、当時と同じことが繰り返されている日本社会の絶望的なまでの進歩のなさだ。道路整備費を含む公共事業費はこの間、毎年4~5兆円を占め、国債費を除けば50兆円程度しかない日本の財政収入の実に1割を占めてきた。毎年毎年、これだけ投じられた巨額の道路整備費はいったいどこに消えたのか。こんなに巨費を投じたのに、なぜ今なお日本の歩道は雨の日に傘も通らないほど狭く劣悪なのか。

 この無駄遣いを早い段階で改め、公共交通の整備に予算を振り向けていれば、ローカル交通は充実し、これだけの幼い命が失われることも、移動の足を失った人たちが大量に都市へ移動することもなく、日本の国土はもっと都市と地方の均衡が取れた理想的な社会へと変貌していたに違いないのだ。

 2009年に民主党政権が成立して今年で10年を迎える。民主党政権の3年半が「悪夢」だったかどうかをめぐって政界では政策そっちのけの罵り合いが続いているが、少なくともこの政権が掲げた「コンクリートから人へ」のスローガンが間違っていたとは私はまったく思わない。国交省によれば、建設業界で働く人は今なお500万人以上いる。家族を含めれば少なくとも建設業を生活の糧にする人は1000万人を下らないだろう。この裾野の広さと利害関係者の多さこそ、コンクリートから人への転換を妨げてきた要因に違いない。すべての建設業界が公共事業で食べているわけではないとしても、私が仮に政治家で「公共事業を全廃して、突然1000万人が路頭に迷う事態になってもあなたは公共事業全廃を決断しますか」と聞かれたら、ハイとは答えられない。少なくとも削減は段階的でなければならないという結論に達するだろう。

 それでも、半世紀近くにわたって小さな命が毎週のように奪われる事態を放置しておいてよいわけがない。前出の窪田さんは当面の対策として(1)歩道の広さを見直し、ガードレールを整備、(2)子どもの多い通学路などは、時間帯によって進入制限や速度制限を設ける――等を提案している。小手先の対策であり抜本的な改革とはならないが、できることからすぐに始めるべきである。

 ●暴走事故の多い「プリウス」

 ところで、自動車メーカーから多額の献金を受ける政治家も、多額の広告費で稼いでいる大手メディアも絶対に指摘しない事実がある。暴走事故の多くがトヨタ「プリウス」なのだ。「上級国民」とネットで袋叩きにされている元工業技術院長が事故を起こしたのもプリウスだった。事故が起きるたび、警察はトヨタを立ち会わせて実況見分を繰り返しては「誤動作はなかった」で終わらせている。だが、特定の1車種になぜこれほど暴走事故が集中するのかはもっと社会問題にされるべきテーマだと思う。

 自動車に詳しい識者からはいくつか事故につながりかねない原因が指摘されている。シフトレバー操作後、他の車種では切り替えたレンジでレバーが固定されるのに対し、プリウスは切り替え後「N」(ニュートラル)の位置に戻ってしまうため、現在どこに切り替わっているのかをパネル表示でしか確認できないなど視認性に問題があるという見方や、小型車体なのに車内空間を広く確保する目的でタイヤハウスの上まで運転席が来るなど他の車種ではあり得ない構造になっており、そのために他の車種であればブレーキがあるような位置にアクセルがあり、ペダルの踏み間違いが起きやすいのではないかと指摘する声もある。トヨタは実況見分のたびに「誤動作はない」で終わらせているが、安全性とは単に誤動作が起きないことだけを意味するのではない。人間工学的な見地からドライバーが最も快適に、かつ最も正確に操作できるような構造に近づけることも安全性向上に重要であり、鉄道車両や航空機の機体といった公共交通の分野では当たり前のこととして行われている。

 インターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」には、既にこうした視点からプリウス問題を指摘し、告発する動画の投稿が始まっており、アクセス数も増えてきている。もしトヨタがこうした現実を直視せず「我々は誤動作のないように造っているのだから、誤操作をするドライバーが悪い」という姿勢をとり続けるなら、トヨタへの大規模な社会的批判に発展することは避けられないだろう。安全問題研究会としても、それほど遠くない時期にプリウスの実態調査を含め検討している。

 ●高齢者の免許返納は幼い命を救うか

 いつまで経ってもやむことのない高齢ドライバーの事故を受けて、高齢者の免許返納を求める社会的圧力が増している。すでに、71歳以上のドライバーの免許の有効期限は短縮され、免許更新時に70歳以上は高齢者講習受講が、75歳以上は高齢者講習受講に加え認知機能検査受検が義務づけられた。認知機能検査で疑わしいとされたドライバーは専門医の診察を受け、医師の判断で免許返納が望ましいとされた場合は返納させられる。2017年には認知機能検査の厳格化により、75歳以上のドライバーの実に1割が免許返納となった。

 問題は、くだんの工業技術院長のように認知機能検査で決定的な異常が出ないながらも、本人の自覚する心身の衰えと実際のそれとの間に大きな乖離があるケースだと思う。最近は元気なうちから免許返納に踏み切る人も増えたが、そうした人は自分の現状をきちんと客観視できるからこそそのような行動が可能になるのである。やや意地悪な言い方をすれば「返納する必要がない人ほど返納し、真に返納が必要な人はなかなかしない」という状況が生まれている。ここでもまた世の中というものは上手くいかないようにできているのである。

 もうひとつ指摘しなければならないのは、免許返納したくても自動車以外の交通手段がないためできないという現実も地方にはあるということである。公共交通なんて、いつ廃止されたかも思い出せないほどとうの昔になくなってしまった地方で、車を取り上げることは高齢者に死刑宣告をするようなものだ。幼い命を奪う危険性を理解していても「乗らざるを得ない」という現実をどのようにしていくかの議論が、免許問題と別に必要である。

 公共交通をもう一度整備し、再建していくことが有力な選択肢となるが、このようなことを言うと「誰も乗らない公共交通にカネを出すなんて無駄」という批判、反論がすぐに出される。これは北海道で現在、問題とされている「維持困難路線」の廃止を推進する立場の論者にとっては有力な根拠となっている。ただでさえ少子高齢化で生まれる子どもの数はピーク時の半分にまで落ち込んでいるのに、そのかけがえのない命が公共交通未整備の「代償」に差し出されているという現実を直視すべきであろう。このような現実を直視もせず、半世紀で数百兆円もの道路整備費、公共事業費を浪費しながら50年前と同じ悲劇が今なお続く道路行政を変えることもできなかったみずからの責任を棚に上げ、歩くのも嫌になるような狭苦しい道路に「鉄道を廃止してバスでも走らせておけ」と主張するような愚か者は今すぐ政治の表舞台から退場すべきである。

 『公共交通機関のサービスの利用可能性が潜在的利用者にも与えられるという非市場的外部効果がある場合、公共交通機関にはサービス提供義務が課せられており、潜在的利用者に対する排除原則の適用が制度的に退けられているから、この利用可能性は公共財的性格を持ち、公共補助の根拠となる』。前出の廣岡教授の著書『市民と交通~現在の交通問題とその背景』ではこのようにして公共交通機関に対する政府からの補助金交付に正当性を与えている。経済学の知識のない人々には難解な表現だが、平易な表現に直せばこのようになる。『公共交通機関は、いつでも乗れるサービスであるために、誰かが乗る可能性がある場合には運行されなければならないが、運行を行ってみて結果的に誰も乗らなかった場合、乗らなかった人から運賃を徴収することはできないため、市場原理に委ねていてはいずれ運行そのものが不可能となる。そこで、誰もがいつでも乗りたいときに乗れるように一定の頻度で運行が行われるという公共交通機関の運行の実態そのものに公共財的性格を認めて補助金を支給することには根拠がある』。

 この本は今から32年も前の1987年に出版されている。国鉄がJRグループに分割解体された年だが、新自由主義の嵐が吹き荒れる前夜にもこうした冷静な考察が行われていることには注目すべきであろう。もちろん、ここで展開されている理論が現在でも有効であることは言うまでもない。

<参考資料・文献>
 日本の交通事故死者数と諸外国との比較については、平成29年版交通安全白書(内閣府)を参考にした。

(黒鉄好・2019年5月26日)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【管理人よりお知らせ】国鉄労働会館パンフレット「地方交通線存続の課題と提言」を公開しました

2019-05-11 16:24:39 | 鉄道・公共交通/交通政策
管理人よりお知らせです。

北海道のローカル線の約半分が「JR北海道単独では維持困難」と公表されたことを受け、一般財団法人「国鉄労働会館」がJR北海道研究会への委託研究事業の一環として、2018年9月にパンフレット「地方交通線存続の課題と提言」を発行しました。

北海道の鉄道の成り立ちから地域とともに発展~衰退してきた歴史、ローカル線問題の発生の背景から解決策に至るまで、北海道ローカル線を存続させるための課題と提言を約80ページにまとめています。問題を正しく理解する上で必見の資料ですが、国鉄労働会館でもごく少ない部数しか刊行されていない模様で、これほど価値ある資料なのにほとんど誰の目にも触れていないのは本当に残念なことです。

そこで今回、安全問題研究会ではこの資料をPDFデータ化し、公表することとしました。JR北海道の何が今、問題となっているのか、解決はどちらの方向に向けて行われるべきか、そもそも解決策はあるのか等、知りたい人にとって格好の材料となるでしょう。安全問題研究会公式サイト内に設けた専用コーナーから全文の閲覧・ダウンロードができます。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あるくラジオ」に出演して~映像がないからこその面白味

2019-04-18 23:50:22 | 鉄道・公共交通/交通政策
あるくラジオ第5回 : 切り捨てられる北海道〜JR民営化30年後の末路

「切り捨てられる北海道~JR民営化30年後の末路」をテーマに「あるくラジオ」に出演した。私にとっては、ネットメディアへの出演は2017年の「レイバーネットTV」以来だ。

JR北海道が「自社単独では維持困難」な10路線13線区を公表したのは2016年11月。それから2年半近く経っているのに、先日の参院予算委員会で野党議員が「10路線13線区の営業キロがJR北海道全体の半分に及ぶ」と発言すると議場内にどよめきが起きたという。北海道内では死活問題となっているJR北海道の路線廃止問題に対し、道外の認識が2年半経過してもその程度ということにまず驚かされた。このままの状況で参院選に突入するのはまずい。この問題を政治的争点に押し上げなければならない。そう考えたことが出演の最大の動機だった。

ラジオというメディアを、私は当初「テレビに映像がないだけ」だと割と簡単に考えていた。私にはこれまでこの問題や、3.11を福島で経験したこともあって原発問題でも多くの講演依頼があった。見栄えのするスライド資料などを事前に作成して臨むことも多かったが、ラジオでは見栄えのする資料など作成しても意味がない。今回は、JR北海道が公表している決算資料や、基本的なデータ・資料集だけを手に「出たとこ勝負」感覚で臨んだ。手持ちのデータ・資料集に入れる内容は、膨大なファイルの中から、本番3日前に直感的に選んだ。過去の講演での経験から、問題のポイントがどこにあるかはわかっていた。

子どもの頃に放送部などの経験もない私にとって、映像がないため「言語化できないものは伝えられない」というラジオの特性を本当の意味で理解したのは本番開始直前だった。「非難」と「避難」、「勧告」と「韓国」など誤解を招きやすい同音異義語、一般の人も多く聴く可能性がある中で関係者しかわからない労働組合用語なども避けよう、と覚悟が固まった。だがいざ本番が始まってみると、事前に作られた進行表と松原明さん、しまひでひろさんの的確な仕切りもあり、テレビよりは気負わずに北海道の現状をオープンにできたと思う。テーブルの上に置いたペットボトルのお茶には手を付けることができなかったが、後半が始まる頃には渇きを癒やすために飲んでもいいのかな、と思えるほど余裕が生まれていた。

オープニングでは、「人らしく生きよう~国労冬物語」の予告編音声が流された。1987年、分割民営化に反対しているという理由だけで1047名の鉄道員が解雇された。映画はその闘いの経過と被解雇者のその後を丹念に追っている。実際は黒字なのに赤字と偽って企業を倒産させ、労働者を解雇するやり方は以降、民間企業にも広がった。「ニッポン総ブラック化」の原点がここにある。この春、久しぶりの上映会が都内で開かれ、また新鮮な驚きと感動をもって迎えられたという。被解雇者の家族・藤保美年子さんが壇上で訴える音声を聴くと、私は今もはっきり「あのシーン」が甦る。メディアが伝えなかった「もうひとつの歴史」を刻んだ珠玉のひとコマは、いつまで経っても色褪せることがない。

「人らしく生きよう」は私の人生を変えた作品でもある。この作品に出会わなかったら、これほど多くの人々との出会いも現在の私もなかったことは間違いない。今回の出演でこの作品にまつわる私自身の「秘話」も語らせていただいた。それが何かは番組を聴いてほしい。

「あまり小難しい話や政治的な話をするよりも、映像もないんだし、フランクにやった方がいい」と本番前にアドバイスを受けた。とはいえ私はリスナーとともに「次」への解決策を模索したいとの思いもあってわざわざ札幌から上京している。政治的に特定の層にしか受けないような話より、政治的内容であっても普遍的な話をするほうが無党派層を含め最大級のアピール効果を持つから、そうしてもらいたいという要求だと私は受け止めた。

それなら、これまで各地で講演してきた内容から大きく変える必要もない。「そんなもんバス転換でいいよ」程度の軽い認識を持たれている日高本線が九州に当てはめると博多(福岡市)~長崎に匹敵する路線距離を持っていること、東京の人たちが「北見のタマネギを食べたい」と求めるから貨物列車に乗せているのに、その線路の除雪費用はJRグループの中では日本一高い運賃を通じて道民がほとんどを負担していること……などを訴えた。政府与党の人たちが聴いても「JR北海道の現状がおかしい」とわかるような発言に徹したつもりだ。

現地(新ひだか町~合併前は静内町と呼ばれていた)との電話中継も、「あるくラジオ」としては初の試みだった。中継に応じてくださったのは地元の中心的団体「JR日高線を守る会」の村井直美さん。将来、この路線に乗って通学することになるかもしれない2人のお子さんのためにも今、路線をなくすわけにはいかない。代行バスの不便さ、車いすの障がい者が代行バスに乗れず苦労していている姿--村井さんの目には、普通の人には見えない色々なものが見えている。「列車から馬が見える風光明媚な路線は全国でここだけです」と村井さんは胸を張る。馬、海、山が次々車窓に展開する路線は確かにここくらいしかない。まだ完全乗車は達成していないが、すでに全国JR線の9割以上に乗り、直接この目で確かめた私が言うのだから間違いない。こんな路線をなくしていいわけがない。

こうして、1時間の放送は思ったよりもあっという間に終わった。テレビのような勢いも、新聞のようなお堅さも必要とはされないラジオの特性を生かし、問題の本質はきちんと押し出し、主張すべきことはきちんと主張しながら若干「緩め」のトークに徹したこともあり、リアルタイムやアーカイブで聴いた人の評判もいいという。ひとまずほっとした。松原さんからは「黒鉄さんはラジオ向きのキャラ」とのありがたいお言葉もいただいた。「事実に基づいて、感情的にならず淡々と主張することができる」ことが理由だという。

ラジオはテレビとはまったくの別物だと、はっきり理解した。ラジオという媒体にはどんな人が向いているのか。「事実に基づいて、感情的にならず淡々と主張する」こと以外にいくつか必要条件があるように思う。まず「言語化できないものは伝えられない」というラジオの特性から考えて、語彙が豊富であること、同音異義語を避けるなど聴取者への配慮ができることは最低限、必要だろう。このあたりは、レイバーネットを初めとするいくつかの媒体で、ライターとして現役で活動していることが大いに役に立ったと思う。「言葉でしか勝負できない」という意味では、ラジオと活字媒体はよく似ているからだ。

ラジオを含むメディアは今、時代の転換点にある。日本民間放送連盟(民放連)が最近になってラジオのAM(中波)帯での放送をやめ、設備にカネのかからないFM(超短波)帯に移行したいと言い出しているのも変化の表れだ。メディアの主役は新聞→ラジオ→テレビの順に交代してきた。ラジオが新聞を圧倒したのは新聞にない速報性があるからだ。テレビがラジオを圧倒したのはラジオにはない映像があるからだ。このように、メディア界では既存のものに「まったく新しいもの」を付加できた勢力が主役を奪ってきた。

インターネットがテレビから主役を奪うという予想に異議を唱える人はほとんどいないだろうが、私はあえてそれを唱えたい。なぜならテレビとネットでは「見えるもの」(画像と音声)に違いはないからだ。最も違うのは、プロでなくても発信側になれることだが、それをいいことにヘイト動画などが跋扈している現状を見ると、ネットで人々が幸せになったようにはどうしても思えない。テレビやネットの時代になって映像重視の傾向と反比例するように「言葉」は軽視され雑に扱われるようになった。テレビ時代、ネット時代になってから政治家や官僚の暴言、失言が増えたのは、言葉で勝負しようという気概が彼らから失われたことにも原因があるのではないかと思えてならない。私のように、ほとんど「言葉だけで勝負」しているライターにとって、言葉が雑に扱われ、共通言語を持っているはずなのに政治的立場の違う人とは対話も成立し得ない日本社会の現状は耐えがたく、今こそ雑な扱いを受けている「言葉」の復権が必要だとずっと思っていた。その意味で、ラジオ出演のオファーを受け、それが成功したことは私にとって大きい。

何度でも繰り返すが、言語化できないものは表現も伝達もできないラジオが「言葉」を失ったら終わりだ。異なる立場の人たちを対話で相互理解し合う社会を再建するための足がかりとして、ラジオは意外に有効なのではないか。そんな感触を抱いた。

この日の放送は、松原さん、しまさん、私と男性3人での放送となった。顔の見えないラジオでは、声が聞き分けられないと誰が話しているのかわからなくなる。誰が何を話しているのかリスナーがきちんと聞き分けられるようにする意味でも、男性と女性がともにスタジオにいることが望ましい。その意味では、事前に人選が決まっていたとはいえ、村井さんの電話でのゲスト出演が結果として大変効果的だったことも忘れずに報告しておきたい。なお、この放送は https://aruku-radio.jimdofree.com/ で聴くことができる。

放送終了後は、スタジオ内の3人で食事に繰り出した。「人らしく」の上映運動が始まったのは2000年7月の国労大会以降だから、松原さんとはもう20年近いお付き合いになる。年月の流れを実感するとともに、日ごろ地方に住んでいる私にとって、松原さんとこんなに長時間、話をしたのも久しぶりだ。最も興味深かったのは、最近、市民上映会などで大ヒットする映画がどれも希望のない作品ばかりだということだった。それを聞いて日本の市民も強くなったな、と思った。こんな市民がふがいない野党だらけの状況の中で、史上最強の安倍政権と闘い、いまだ改憲を阻止しているのだ。

13~14世紀イタリアの詩人、ダンテ・アリギエーリの叙事詩『神曲』地獄篇第3歌に「地獄の門」が登場する。オーギュスト・ロダンの、この叙事詩を模した作品「地獄の門」には『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』という有名な言葉が刻まれている。この「地獄の門」の一角には有名な銅像「考える人」がある。自分の頭で考える人は、時として地獄の門をくぐってしまう。ロダンはこれらの作品を通じて、そう警告したかったのかもしれない。

だが私はそれでもいいと思っている。地獄の業火で焼かれる覚悟をした者にしか見えない事実もあるのだということを、福島での3.11の経験を通じて知ったからだ。フェイクニュースを垂れ流す側に与するつもりはない。私は人生を賭けて真実を見通し、告発する存在でありたい。たとえその結果が一切の希望を捨て、地獄の門をくぐることであるとしても。

(文責・黒鉄好)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北海道知事選の知られざる真実;鉄道存続願う元町長(自民党)も石川候補支援/恥ずべき差別主義者の支援受ける鈴木候補

2019-04-04 21:09:02 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当研究会代表が「レイバーネット日本」に投稿した内容をそのまま掲載しています。)

 全国の知事選では唯一、与野党が激突する天王山・北海道知事選(4月7日投開票)も残りわずか。今日(4月3日)、大きな動きがあった。廃止の危機に瀕しているJR日高本線を存続させるため、政治的立場の違いを超えて共闘してきた私の「同志」が一大決意をしたのだ。

 その「同志」とは、北海道日高管内・新ひだか町の酒井芳秀前町長。生粋の自民党員だ。北海道議会議員を5期20年務めた後、今回引退する高橋はるみ知事が初挑戦した16年前の道知事選にも立候補している。惜しくも落選後は地元の旧静内町で町長となり、静内町とお隣の旧三石町が合併によって新ひだか町になってからもずっと町政を預かってきた。

 私との出会いは3年前だ。「ローカル線を廃止しながら、すぐ隣に道民が望んでもいない北海道新幹線を作るのはおかしい」と、安全問題研究会代表として北海道新聞にコメントを寄せた私を紙面で見た酒井町長から「路線存続のためアドバイザーになってほしい」と請われた私は、日高本線存続のため非公認ながら酒井町政のアドバイザーとして、この間、JR日高本線を廃止から守るために活動しながら苦楽をともにしてきた。酒井前町長は私の父と同い年で、ご夫人も私の母と同い年。そんなこともあって、酒井前町長は、実家(九州)から遠く離れた私にとって第2の親のようなものだ。

 ところが、日高本線を廃止に追い込みたいJR北海道と道は、酒井町長を路線廃止の最大の障害と見て、昨年の町長選で道庁職員を「刺客」として送り込む。このため落選に追い込まれた酒井前町長。自民党員でありながら、今日の「赤旗」紙面に臆することなく堂々と登場。石川候補への支援を訴えた。

2019年4月3日付け「しんぶん赤旗」


 自民党関係者が赤旗に出るのは別に酒井前町長が初めてではない。政権中枢に異を唱えたいとき、引退した議員OBなど自民党関係者が赤旗紙面に出ることは過去にもあった。だが、自民党に政治家人生を捧げてきた人ほど、「赤旗」への登場はみずからの政治的退路を断つまさに一大決意だろう。

 私は今度の知事選ではネガティブ・キャンペーンはしないつもりでいた。あれだけモリカケ問題で頑張ったのに安倍政権は結局倒れなかったからだ。もはやネガキャンでは安倍は倒れない。沖縄の若者たちがしたように、支持する候補の人柄を宣伝し押し上げる戦術のほうが有効であることが玉城デニー知事の当選で証明された以上、若者に謙虚に学び、戦法を変えるべきだと考えたからである。前回、石川候補の人柄を宣伝する記事を書いたのも「戦術変更」の一環のつもりだった。

 だが、酒井前町長の並々ならぬ決意を見て気が変わった。「同志」であると同時に自分自身にとっての「第2の親」である酒井前町長が重大な決意をするなら、私もしなければならない。そこで、この間、誰にも語らなかった「知られざる真実」をここに書くことにする。選挙で有権者が正しい選択ができるためには、候補者に関する正しい情報が提供されていることが必要だと思い直したからでもある。

 ご紹介した「赤旗」の記事。酒井前町長はあえて名前を伏せているが、酒井前町長の口封じのために道庁と一体となって刺客を立てた自民党道議とは、日高選出の藤沢澄雄議員である。日本会議のコアメンバーであり、改憲派の極右だ。過去には「アベ政治を許さない」クリアファイルを使用している学校教員に難癖を付け、道教委を動かして全道の学校で「クリアファイル調査」をさせるという重大な教育の自由への介入もした。その藤沢議員が「誰も乗っていない日高本線は要らない」として廃止運動の先頭に立っている。実際には、代行バスでの移動が難しい地元・新ひだか町の障がい者が「2015年1月の高波災害でもう4年以上不通のままの日高本線を復旧させてほしい」と再三訴えているのに、藤沢議員はまったく聞く耳を持たない。なんとしても放逐せねばならない安全問題研究会にとって不倶戴天の敵だ。

 当研究会は今年1月、道議会に対し、藤沢議員の政務活動費に関する情報公開請求を行った。その結果、出てきたのが以下の領収書だ。




 「LGBTには生産性がない」発言で「新潮45」が廃刊に追い込まれる原因を作った自民党の差別主義議員・杉田水脈。その札幌での講演会に参加した際の領収書である。日付は2018年3月17日。まだ杉田議員が「例の発言」を行うよりも前である。藤沢議員は、インターネットでも一切、政務活動費の使途を公開していない。まさか日高から札幌くんだりまで来て、道議会で自分の政務活動費の調査をする者などいないと高を括っているのだろう。だからこそこの領収書からは藤沢議員の「本心」が透けて見える。

 私はこれを見た瞬間、藤沢議員が車いすの障がい者の訴えに一切耳を傾けず、無視し続けている理由がわかった気がした。障がい者などの「生産性がない者」は生きる価値がない。だから、そんな連中しか利用しない鉄道も無駄であり、要らないーーそれが藤沢議員の本音なのだ。

 知事選に立候補している鈴木直道候補は、この藤沢議員の改憲セミナーに参加した。藤沢議員は、当初、吉川貴盛農水相(自民党北海道連会長)が官邸直結で鈴木候補を押しつけてくる動きにあれほど反対し、和泉晶裕・国交省北海道局長を擁立しようとする仕掛け人だったくせに、官邸が力尽くで鈴木候補への一本化を決めるとあっさり「投降」して鈴木候補の応援を始めた。官邸などの強者には媚びへつらい、教員労働者や障がい者などの弱者は居丈高に威圧する。「強い者には弱く、弱い者には強く」の権威主義丸出しで、信念も矜持もなくひらひらと態度を翻す最低最悪の変節漢。その上極右の差別主義者。私がこの世で最も嫌いなタイプの男、それが藤沢澄雄だ。

------------------------------------------------------
<参考記事>知事選告示まであと3日 最後の討論会(HTBニュース)

鈴木氏は週末、日本会議に所属する自民党道議が開いた憲法改正セミナーに参加しました。

藤沢澄雄道議「私たちの手で、今の時代に合った憲法改正に向けて、突き進んでいきたいという気持ちであります」

憲法改正を推進するこのセミナー。鈴木氏も壇上に上がりました(以下略)
------------------------------------------------------

 鈴木候補に私は問う。こんな男の支援を受けて恥ずかしくないのか。その答えは、鈴木候補が市長として夕張でやってきたことを見れば明らかだ。日本唯一の財政再建団体に転落した夕張市で「借金返済」を口実に公共サービスはほぼすべて解体。ゴミ処理場も造れず、野ざらしになったゴミにカラスがたかるほど街は荒廃した。行政サービスに頼らなければならない弱者はとっくに街を出て行った。JR北海道から頼まれもしないのに、自分から石勝線夕張支線の「攻めの廃線」を申し出たのは夕張解体の最後の総仕上げだった。弱者が自分から街を捨てざるを得ないように、公共サービスを解体していくーーそれが鈴木市政の「確かな実績」だ。

 夕張に今なお残る「強者」たちの間で、鈴木候補はジャニーズ並みの人気だという。イケメンにキャーキャー言ってはしゃいでいる人たちは、本当にそれでいいのか。私の言うことが信じられないなら、もう一度鈴木候補が誰の支援を受けているか見てみるがいい。甘いマスクで今日は笑顔を振りまいていても、みなさんの人間としての「生産性」が少しでも低下したと見れば、明日、みなさんを北海道から追い出すだろう。

 もう15年近く前だろうか。国鉄闘争華やかなりしころ、鉄建公団訴訟原告団の集会で、ゲストに招かれた評論家の佐高信さんは私たちにこう警告した。「本当の悪人は悪人面をしていない。真の悪人ほど笑顔を振りまきながらやってくる。畳の上で死ねないのは末端のチンピラで、真の悪人は安らかに畳の上で死ぬ」。投票日まであと4日。道民・有権者は鈴木候補の甘いマスクと笑顔の下に隠された、新自由主義者としてのどす黒い本性をきちんと見なければならない。北海道が焼け野原になる前に。

(文責:黒鉄好)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「北海道独立宣言」いいじゃない?~石川知裕さんは素敵な候補です/北海道知事選終盤情勢

2019-04-02 20:57:38 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当研究会代表が「レイバーネット日本」に投稿した内容をそのまま掲載しています。)

 3月21日に告示された北海道知事選も、早いもので終盤戦に入った。全国で唯一、与野党が真正面からぶつかる統一地方選前半の天王山だ。地元紙「北海道新聞」によれば、すでに道内有権者の7割が投票する候補を決めたとされる。その北海道新聞は、依然として鈴木直道候補(前夕張市長、自民・公明推薦)有利と伝えたものの、石川知裕候補(元小沢一郎議員秘書、立憲、国民、共産、自由、社民推薦)が「追い上げの勢いを増している」と伝えた(4/1付け朝刊)。

 これをどう読めばいいのか。「追い上げている」では表現として抑制的すぎるが、「追いついた」という確証はまだ持てないといったところだろう。私は残り1週間次第で石川候補の「逆転が視野に入った」と見ている。なぜなら、札幌での私のこの間の「皮膚感覚」と一致しているからだ。

 札幌市民が「チカホ」と呼んで親しんでいる、札幌駅と市中心部の大通公園を結ぶ地下歩道で、先日の仕事帰り、石川候補への投票を呼びかけ、のぼりを手に練り歩く運動員の姿を見た。市民は熱狂するふうでもないが、拒絶という感じでもなくすれ違っていく。反応が読みにくい選挙であることは確かだ。どちらの陣営にも風は吹いていない、と言っていい。

 対照的に鈴木陣営の運動員を私はまだ一度も見ていない。圧倒的な組織力を誇る自公両党の推薦があるにもかかわらずだ。その一方で、鈴木陣営の運動員が大票田・札幌の事情をあまり理解していないのではないか? と思わせるちょっとした「事件」も起きている。今は明らかにできないし、鈴木候補が勝ってしまえば笑い話として回収されてしまうようなことだが、もし石川候補の地滑り的逆転勝利につながれば、鈴木陣営が「敗戦の象徴」として振り返ることになるかもしれない出来事である。

 自公推薦の鈴木候補は、自民党の常套手段である「徹底的な争点隠し」に明け暮れている。先日、私が今回の知事選で最大の争点とした「3つのR」(JR、IR、Radiation(原発、放射線))について、態度表明を避けているのだ。ジャーナリスト横田一さんは、北海道胆振東部地震(昨年9月)の被災地・安平町で選挙演説の第一声を発した鈴木候補を直撃。「これらの争点について、触れない理由は何でしょうか」と声をかけたが、無言のまま街宣車で走り去った、と伝えている。徹底した争点隠しで組織戦を展開し、勝ったら「信任された」とばかりに中央直結でやりたい放題にやってくる、というトランプばりの「オレ様民主主義」が脳裏にちらつく。

<参考記事>北海道知事選、与党候補の鈴木直道・前夕張市長が自民党の常套手段、“争点隠し”の選挙戦を展開(ハーバー・ビジネス・オンライン)

 鈴木候補本人は、JR北海道から頼まれもしないのに自分から「攻めの廃線」として石勝線夕張支線(新夕張~夕張)の廃止を提案した「実績」を宣伝されてはよほど都合が悪いのだろうが、ビルの屋上から飛び降りようかどうか迷っている人の「背中を押してやる」ことを通常「攻め」とは言わない。それは単なる自殺ほう助に過ぎない。その痛みをようやく夕張市民がわかってきたのだろう。今朝の道新は、夕張市のある空知管内で、石川候補が鈴木候補に並んだことを伝えている。

 「鈴木道政になったら北海道から鉄道路線が全部なくなる」と思っている道民は多い。鈴木候補は、もしそれが杞憂に過ぎないというならきちんとそう説明すべきだ。黙っていては「やっぱり鉄道を全部なくすつもりなのだ」と思われても仕方ないと思うのだが。それともやはり鉄道は要らないと思っているのか。

 重要な争点でことごとく沈黙を続けるやり方はフェアではない。泊原発再稼働問題はどう考えるのか。原子力規制委員会が“世界一厳しい”(と自称しているだけの)基準によって合格させた原発は再稼働するという安倍政権の方針に唯々諾々と従うつもりなのか。現に今朝の道新は、曖昧な姿勢をとり続ける鈴木候補が「再稼働に含みを残した」と報道している。黙っていては道民の大多数もそう思うだろう。そんな心配はないというならきちんと説明すべきだ。

 対照的に、石川候補はこうした論点から逃げることなく明確に答えている。「原子力に頼らない社会を作る」として脱原発の方向性を明確にした。電力総連がバックに控える国民民主党の推薦を受けながら、こうした姿勢をはっきりさせたことは評価すべきだと思う。鉄道についても、石川候補はJR北海道研究会など沿線団体が行った公開質問状に対して、「国が線路を保有する上下分離を目指す」とその方向性を明確にする。JRが赤字路線を切り離し、押しつけるために持ち出してきた「市町村が線路を保有する上下分離」ではなく、国に責任を持たせようとの姿勢は評価できる。

 「国が線路を持つなんて夢物語だ」と思う道民もいるかもしれない。しかし、鈴木善幸内閣当時、国が「日本鉄道保有公団」を設立して国鉄から線路を切り離し、国鉄は列車運行に専念するという上下分離案が、運輸大臣私案の形ながら運輸省内で作成されていた。そんな驚くべき事実を「北海道新聞」が2016年12月30日付紙面で報じている。情勢次第では国鉄改革がこちらに向かう可能性もあったのである。私案とはいえ、政府部内でこうした案が作られていたことは、その実現性に問題はないということである。

<参考記事>「揺れる鉄路」第1部・民営化の幻想~消えた「上下分離」案(北海道新聞)


 石川候補が「国が線路を保有する形での上下分離」という具体的なスキームにまで踏み込む形でJR北海道研究会の質問に答えたことに私はいい意味で裏切られた。小沢一郎議員の政治資金問題に絡んで5年にもわたる公民権停止処分を受けていた間も、石川候補が遊んだり腐ったりするのではなく、地道に政策の勉強に励んでいたことは、この回答ひとつ取ってみても容易にわかる。石川候補は、当初、2017年総選挙に立候補するつもりで準備を進めていたが、投票日が公民権停止処分の解けるわずか2日前という不運さで、香織夫人が代わりに立候補せざるを得なかった。今回、知事への立候補要請が来た際も「そんなツキのない男で大丈夫なのか」と不安を訴える声もあった。「負けてもここで名前を売っておけば次の国政復帰の際に弾みになる」などと初めから敗戦覚悟の陣営幹部もいたと伝えられている。

 だが、ここに来てはっきりと逆転勝利が視野に入るところまで追い上げてきた。「自分の母親にまで、学校の同窓会などを通じて石川候補への立候補依頼が来ている」との報告が私の元に届いている。石川候補を支援する地縁、血縁などの組織が稼働してきている。石川候補は十勝管内・足寄町が生んだ生粋の道産子だ。「菅官房長官に面会を希望すればいつでも時間を取ってくれる」と自慢げにひけらかし、酒席で年長者にお酌もしない鈴木候補を、内心では良く思っていない高齢者は大勢いる。そんな官邸言いなりの落下傘候補なんかに負けてたまるか!

 石川候補は「北海道独立宣言」というスローガンを堂々と掲げる。今まで日本からの独立論は、沖縄では酒の肴に語られることはあったが北海道でこんなにおおっぴらに語られるのは初めて聞いた。もちろん本気で言っているわけではなかろう。「独立独歩の気概を持て」と道民を叱咤激励する意味合いが強いスローガンだ。だが私は夢があっていいと思う。鈴木候補が「社会資本をスリムにして無駄を減らそう」などと夢のかけらもなく辛気臭い顔をしている今こそ夢を掲げる候補がいてもいい。私自身は、もう北海道も沖縄もいつでも日本から独立してもいいと思っている。なぜ食糧自給率200%の北海道が、自給率1%の東京から落下傘で降りてきた若造ごときにデカい顔をされなければならないのか。東京だけで日本が成り立つと思っているならやってみろ。文句があるなら北海道産の食料など食べなくてよい。道民はそれくらい堂々と主張すべきだし、中央や官邸がこれ以上北海道を収奪し続けるなら、自給率200%の食料を持って独立すれば良いのだ。

 今年1~2月にかけて「地域と労働運動」誌に、北海道と沖縄が同時に日本から独立を試みたらどうなるかのシミュレーションを兼ねて記事を書いたら想像を超える反響があった。食料もエネルギーも自給できず外部に依存する東京など、地方が団結すれば敵ではない、というのが書いてみての結論だった。にわかには信じられないかもしれないが、興味のある方は読んでいただければと思っている。

2019年 私の初夢~沖縄と北海道が日本から分離独立!?(その1)

2019年 私の初夢~沖縄と北海道が日本から分離独立!?(その2)

 石川候補と同じ足寄町出身の鈴木宗男・新党大地代表と彼の盟友である歌手・松山千春は「共産党と手を組んだ石川は足寄の裏切り者」とネガティブキャンペーンを続ける。いくら政策で勝負ができないからといって、半世紀前を思わせる古色蒼然とした反共攻撃とは、底が浅いにも程がある。石川さんの夢を少し見習ってはどうか。自民党は「野党は対案も出さず反対ばかり」などとこれでよくも言えるものだ。

 明るく夢を語る石川候補か、辛気臭く「無駄を減らそう」と訴える鈴木候補か。
 堂々と政策語る石川陣営か、論争から逃げ「共産党と組む者は裏切り者」と誹謗中傷を繰り返す鈴木陣営か。
 鉄道残し、原発なくす石川候補か、原発残し鉄道なくす鈴木候補か。

 考えるまでもないだろう。私は今年2月、鉄路維持を訴える札幌市内の集会で石川さんの肉声を聞いたが、ポジティブで明るいキャラクターは魅力的だ。彼なら何とかしてくれるのではないか、多くの道民に彼の「夢」になら賭けてもいいのではないか、と思わせるだけの魅力を持っている。投票日は4月7日。1人でも多くの道民が石川さんの魅力と「夢」に賭けてくれるなら、私としてこれに勝る喜びはない。

(文責・黒鉄好)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする