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【甲子園6日目】珍しいプレーで済々黌、初戦突破

2012-08-13 21:32:15 | 芸能・スポーツ
甲子園6日目、第2試合の済々黌(熊本)×鳴門(徳島)戦で珍しいプレーがあった(試合自体は済々黌が初戦突破)。

謎の出来事が起きたのは7回裏、済々黌の攻撃中。1死1、3塁の場面から2番・西の打った飛球は遊撃手の頭のはるか上。頭上を越え、レフト前に抜けた…と思われた瞬間、鳴門の遊撃手が大ジャンプをして捕球してしまった。

このライナーで2死となった後、遊撃手は併殺を狙い、1塁への帰塁が遅れていた走者を刺すため1塁へ投球、1塁走者は帰塁が間に合わずアウトとなり、併殺が成立。鳴門はピンチをしのぎ、0点で切り抜けた…と思われたが、7回裏、済々黌のスコアボードに「1」が入る。球審から「3アウトとなる前に3塁走者が生還し、鳴門からのアピールもなかったため、済々黌に得点を認めた」との場内説明があったが、この場内説明を聞いても何のことやら最初は全く意味がわからなかった。

そこで、手元にある野球の公式ルールブック「公認野球規則」を見てみたところ、愕然とした。そこには、確かに次のように定められている。

--------------------------------------------------------------------------------------
公認野球規則<抄>

7・08 次の場合、走者はアウトとなる。
(a)~(c) (略)
(d)フェア飛球、ファウル飛球が正規に捕らえられた後、走者が帰塁するまでに、野手に身体またはその塁に触球された場合。(以下略)

7・10 次の場合、アピールがあれば、走者はアウトとなる。

(中略)

 イニングの表または裏が終わったときのアピールは、守備側チームのプレーヤーが競技場を去るまでに行わなければならない。

(中略) 

 第三アウトが成立した後、他にアピールがあり、審判員が、そのアピールを支持した場合には、そのアピールアウトが、そのイニングにおける第三アウトとなる。

 また、第三アウトがアピールによって成立した後でも、守備側チームは、このアウトよりもほかに有利なアピールプレイがあれば、その有利となるアピールアウトを選んで、先の第三アウトと置きかえることができる。

 “守備側チームのプレーヤーが競技場を去る”とあるのは、投手及び内野手が、ベンチまたはクラブハウスに向かうために、フェア地域を離れたことを意味する。

(以下略)
--------------------------------------------------------------------------------------

今年のセンバツの際にも過去ログで触れたが、【原注】とは英語の原文の段階で付けられている注意事項が日本語訳されたものだ。「触球」とはタッチの意味で、当ブログ管理人の手元にある2007年版野球規則ではこのような表現になっている(最新版では「タッチ」という、よりわかりやすい表現に変わったようだ)。

まず、大前提として、野球では通常、アウトとはタッチアウトであり、フォースアウトは走者に進塁義務がある場合において、その進塁予定の塁に対してのみ適用される例外である、ということを理解しておかなければならない。つまり、規則上でフォースアウトと明記しているもの以外はフォースアウトではない(第三アウトの成立より先に生還している走者がいれば得点が認められる)ことに注意を要する。

鳴門は済々黌の3塁走者がホームを踏んだ後、3塁に戻っていないにもかかわらず、そのことに気がつかないまま第三アウトを1塁走者で取りに行った。これにより、鳴門は帰塁が遅れている1塁走者をアウトにすることができたが、このままでは3塁走者が生還となり、得点が認められるという事実にも気づいていなかった(その事実に気づいて3塁にボールを送り、ボールを受け取った選手が3塁を踏んでいれば、3塁走者を刺したことになるから済々黌に得点は認められず、何の問題もなかった)。

では、3アウトとなった後で守備側のチームがこの事実に気づいた場合、打つ手はないのか。守備側のチームは攻撃側のチームに得点が入るのを座して見守るしかないのか。そうではない。ここで、上記規則7.10にある「第三アウトが成立した後、他にアピールがあり、審判員が、そのアピールを支持した場合には、そのアピールアウトが、そのイニングにおける第三アウトとなる。」の規定が生きてくる。

つまり、鳴門は3アウトとなった後でも、選手がベンチに引き上げる前(より正確に言うとフェアグラウンド内にいる間)であれば、3塁にボールを送り、ボールを受け取った選手が3塁を踏んで、「このアウトを3アウト目にする」旨をアピールすればよい。審判員がこれを認めれば、第三アウトは1塁走者ではなく、帰塁しなかった3塁走者を刺して成立したことになり、済々黌の得点を阻止することができたのである。

しかし、結果的に鳴門がこのアピールを行わず、全員がファールラインを超えてフェアグランドから外に出てしまったために、アピール権が消滅、済々黌に追加点を許すことになってしまったのだ。

この「アピールプレイによる第三アウトの置き換え」は、野球選手でも知らない人が多い「ルールブックの盲点」といわれており、かつては野球漫画「ドカベン」でも取り上げられたことがある。当ブログ管理人は中学時代、野球部に所属していたが、こんなルール、誰からも聞いたことがなかった。

そもそも、フライやライナーが打ち上げられれば、その時点で走者は元いた塁に戻るのが当たり前だから、このようなケースになること自体、きわめてまれである。今回は、まさか遊撃手が大ジャンプをして捕球してしまうとは誰も思わなかったはずであり、その好プレーが結果的にこのような珍しいプレーを生むことになった。

それにしても、済々黌は日頃から「頭を使う野球」をモットーにしており、毎日新聞の記事によれば、ルールを熟知した上で、このような状態に備えた練習もしていたというから恐れ入る。結果的に、この「珍プレー」による1点は決勝点にならなかったが、1点差で8回を迎えるのと2点差で迎えるのとでは心理的に雲泥の差がある。この追加点がなければ、鳴門は1点差のまま8回を迎えることができたわけで、その後は全く違った展開になっていた可能性もあった。

当ブログ管理人にとっても、この第2試合は何かと勉強になることが多かった。

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夏の甲子園4日目

2012-08-11 21:07:51 | 芸能・スポーツ
この真夏の暑いさなか、今年も訳あって大阪に来ている。明日夕方まで滞在するが、明日朝から所要があるため今日から来ているだけで、今日は特に予定はない。そこで、この時期しかできない夏の高校野球観戦をするため甲子園に行ってきた。

今年はオリンピックイヤーのためか、それとも今日は地元の近畿勢が出場しないせいか、いつになく空いており、昼過ぎの到着なのにまだアルプス席が空いている。外野席は無料で入れるが、せっかくだからアルプスに500円払って入ると、案の定がらがらで、56,000人入れる客席が公式発表で14,000人。ちょうど、第三試合の宇部鴻城×富山工の途中だった。

結局、第三試合後半と第四試合、佐世保実×札幌第一を見たが、第三試合はエラー、第四試合は押し出し四球が決勝点となった。負けた両校(富山工、札幌第一)にとってはやや悔いの残る終わり方だったかもしれない。

午前中の2試合を含めた今日最大の話題は、昨年の覇者、日大三(西東京)が聖光学院(福島)に敗れたことだろう。私も正直、勝てると思っていなかっただけに1回戦最大の番狂わせだと思う。

大会全体のまとめは、例年通り終了してから行いたい。

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第84回選抜高校野球を振り返って

2012-04-04 19:05:39 | 芸能・スポーツ
第84回選抜高校野球は、優勝候補の一角の大阪桐蔭が光星学院(青森)を抑え、選抜初優勝を果たした。選抜での大阪代表の優勝は1993年の上宮以来19年ぶりという。一方、光星学院は昨年夏に続いての決勝進出だったが、青森勢悲願の甲子園初優勝はまたもお預けとなった。

大阪桐蔭 悲願のセンバツ初制覇!エース藤浪完投で締めた(スポニチ)

試合結果データ

では、例年通り大会を振り返ろう。

「春はセンバツから」と言われるが、昨年夏の豪雨・台風、この冬の大雪などの異常気象の余波なのか、肌寒い日が多く、天候不順に悩まされた大会となった。天候不順はセンバツに付き物で、例年、1~2日の雨天順延は織り込み済みといえるが、今年は26年ぶりの決勝順延を含め3日間も順延となった。また、雨天でなくても全般的に強風の日が多く、飛球の処理に苦しむ選手の姿が例年以上に見られた。その意味では気の毒な大会だったといえよう。

決勝戦は、実力としては全くの互角で、光星学院が大阪桐蔭に比べて劣っていたとは思わない。むしろ、光星学院の敗因は序盤の拙攻に求めることができる。3回までに満塁のチャンスが2度もありながら2度とも生かせず、3併殺のほか残塁の山が築かれた。終盤の8回まで安打数では光星学院が大阪桐蔭を上回っており、それこそ「あと1本」の場面で決定打不足に泣いた光星学院の姿を物語っている。序盤のチャンスを1つでも生かせれば、早い段階で試合の主導権を握れたにもかかわらず、相次ぐ拙攻で結果的にはつかみかけた試合の流れをみずから手放してしまった。

これまで強打で勝ち上がってきたチームだけに、監督が選手の打撃力を信頼しての強攻策だったと思われるが、甲子園の決勝戦ともなれば、それまでと違った戦術が必要になることもある。もし私が解説者として放送席にいて、アナウンサーから光星学院の敗因を問われたら、迷うことなく監督の作戦ミスと答えるだろう。

大阪桐蔭の藤浪投手は速球・変化球どちらをとっても高校生と思えない。直球は安定的に140km台を出し、150km台も珍しくない。スライダーも130km台が出る上によく切れる。プロでも投手層の薄い球団なら即1軍は夢ではなく、高校生ドラフトでは1位指名が競合することは間違いない。ぜひ夏も彼の速球、スライダーを見てみたいと思う。

優勝の栄冠こそ大阪桐蔭に輝いたが、大会全体の傾向としては昨年に引き続き、はっきり「東高西低」の傾向が出ていたと思う。昨年夏に引き続き、またも九州・沖縄勢は8強に1校も残れず敗退した。九州・沖縄勢はいったいどうしたのだろうか。甲子園を席巻するのは西日本勢と決まっていた20~30年前を知る甲子園ファンとしては隔世の感と同時に寂しさを禁じ得ない。夏の甲子園では奮起を期待したいところだ。

毎回挙げている「印象深かった学校」は、昨年夏に引き続き健大高崎だ。昨年夏、6試合で26盗塁を記録した圧倒的な機動力は健在で、俊足の選手たちがダイヤモンドを駆け回った。昨年夏は2回戦で横浜に破れ、早々に甲子園を去ったが、対戦相手にさえ恵まれれば台風の目になるのではないかという予想のとおり4強入りを果たした。夏に向け、これもまた楽しみなチームのひとつだ。

最後に、残念だが苦言を呈しておかなければならないことがある。審判員の力量の低下だ。4月1日付記事でも指摘したように、審判員の力量低下はもはや看過できないレベルに達している。決勝戦でも、5回表、本塁でのクロスプレーでは捕手のタッチが走者に届いていたかはかなり微妙だった。ボランティアで参加しているアマチュアの審判員にプロ並みの判定精度を求めるのは酷かもしれないが、得点を左右するような重要なプレーさえ満足な確認行為ができない審判員には辞退を促すか、研修を実施するなどの対策を講じるべきだろう。審判員不足などの事情で力量不足の審判員を使わなければならないのであれば、そうした審判員は最も負担の少ない2塁塁審に配置するなど、方法はいくらでもある。このままでは、「アピールした者勝ち」の状況が選手の間に生まれ、その転換点になったのが84回大会だった、などといわれることになりかねないと思う。

日本では野球協約によりプロとアマとの交流が禁じられており、アマチュアの審判員をプロで研修させることは協約に抵触する可能性もある。様々な制約の中で難しい面が多々あることは承知しているが、教育活動だからこそ、高校野球の判定には公正さが何よりも大切だ。高野連は今こそ真剣に対策を講じてほしい。

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選抜高校野球/準々決勝最終戦で世紀の大誤審(?)か

2012-04-01 22:22:50 | 芸能・スポーツ
横浜無念、本塁ベース踏み忘れ/センバツ(日刊スポーツ)

試合経過、アピールプレーの詳細はリンク先記事の通りだが、5回裏、横浜の攻撃中、スクイズにより生還した3塁走者が本塁を「空過」(ベースを踏まずに通過すること)したとして、関東一の捕手が球審にアピールプレーを行い、生還・得点が取り消されるという珍しいプレーがあった。このプレーがなければ、横浜はここで2-2の同点に追いついていただけに、その後の試合の流れを変えるプレーだったと思う。

ところで、リンク先記事に掲載されている写真を見る限り、どう見ても生還した走者のかかとが本塁に触れているように見える。この判定は勝敗を左右し、大会の行方をも変える「世紀の大誤審」の可能性が出てきた。

今日は休日ということもあり、当ブログ管理人はテレビでこの試合を生で見ていたが、インコース真ん中に落ちてきた明らかなストライクをボールと判定するなど、試合序盤から「この球審、大丈夫か?」と思うような判定が続出していた。こうした疑いを持たれるような判定が出てきても、仕方ないと思われる審判員の力量不足が背景にありそうだ。

ところで、正式の野球のルールブックである「公認野球規則」では、走者が塁を空過した場合のアピールプレイについて、次のように定めている。

------------------------------------------------------------------------
公認野球規則<抄>

七.〇八 次の場合、走者はアウトとなる。

(a)~(j) (略)
(k) 走者が本塁に走り込むか、または滑り込んだ際に、本塁に触れないで、しかも本塁に触れ直そうとしないときに、野手がボールを持って本塁に触れて、審判員にアピールした場合。

【原注】本項は、本塁に触れなかった走者がベンチに向かっており、アウトにするためにはその走者を追いかけなければならないような場合に適用される。本塁を踏み損ねた走者が、触球される前に踏み直そうと努力しているような普通のプレイが行われているときには適用されない。この場合には、走者は触球されなければアウトにはならない。
------------------------------------------------------------------------

当ブログ管理人の手元にある2007年版公認野球規則では上のような表現になっている。野球規則は米国で制定・改正され、日本野球規則委員会が日本語に訳しているもので、【原注】とは英語の原文の段階で付けられている注意事項が日本語訳されたものだ。「触球」とはタッチされることをいう。

この規則を読むと、空過(ベースの踏み忘れ)は単にその事実が審判員によって確認されれば自動的にアウトになるというものでなく、守備側のチームがアピールしなければならない、ということがわかる。

今回は、関東一の捕手がアピールしたもので、それ自体は野球規則に従ったアピール行為だが、球審が3塁走者生還時に本塁が踏まれているかどうかの確認をしていたかどうかは疑問が残る。

今日の試合では、審判員の力量不足が看過できないレベルで見られた。もともと教育活動である高校野球では、審判員もプロではなくボランティアのアマチュアが務めているが、この程度の確認行為さえ満足にできないような審判員には何らかの研修等が必要なのではないか。

一方で、横浜の3塁走者、尾関にも苦言を呈する必要がある。そもそも彼が、誰にも疑いを持たれないよう、きちんと本塁を踏んでおけばこのような事態にはならなかった。ベースはきちんと踏むという基本を忠実に守らず、緊張感のないプレーをしたからこそこのような結果を招いたともいえる。大会もあと2日で終了するが、選手たちには、教育活動にふさわしい正々堂々としたプレーを望んでおきたい。

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第93回夏の高校野球を振り返る

2011-08-20 14:02:30 | 芸能・スポーツ
第93回夏の全国高校野球は、日大三(西東京)が光星学院(青森)を11-0で破り、10年ぶり2回目の全国制覇を成し遂げた。小倉全由監督にとっても2回目の優勝。光星学院は東北勢として6回目の全国制覇に挑んだが、6回目の挑戦も敗れ、惜しくも散った。東北勢の決勝進出自体、夏の大会では1969(昭和44)年の第51回大会以来42年ぶりだ。このとき決勝に進出したのは光星と同じ青森代表の三沢だった。松山商(愛媛)との延長15回引き分け再試合を経て松山商が優勝したこの戦いは甲子園史上に残る、勝敗すら超越した名勝負として現在まで語り継がれている。

では、例年どおり今大会を振り返ろう。

今年は被災地に当たる関東・東北勢が頑張った大会であったように思う。決勝で対戦した両校を初め、関東勢がベスト8に3校(習志野・作新学院)、東北勢が1校残った。その他、関西勢が2校(智弁学園(奈良)、東洋大姫路(兵庫))、中国勢が2校(関西(岡山)、如水館(広島))残った。東日本大震災の影響を受けたのかどうかわからないが、関東・東北勢は背中に被災者の魂とでも形容すべき、何か見えない力を背負っているような気がした。一方、今年の選抜で好成績を収め、レベルが高いと思われた九州・沖縄勢、四国勢はベスト8に1校も残らなかった。特に九州・沖縄勢8校のうち6校は初戦敗退。九州勢がベスト8に1校も残れなかったのは16年ぶりという寂しい結果となった。

全体的に、今年は9回に大逆転という試合が多く、大量得点差を跳ね返しての逆転劇も目につくなど、「あきらめなければ勝てる」を実証する実力伯仲の面白い大会だった。とりわけ2回戦、大会8日目の帝京(東東京)-八幡商(滋賀)戦では、帝京投手陣に完璧に抑えられ、8回まで2塁も踏めなかった八幡商が、9回に突然単打を3つ固め打ちした後、逆転満塁弾を放ち、そのまま帝京の反撃をかわした。この試合は、優勝候補の一角・帝京が敗れる番狂わせであるとともに「あきらめなければ終盤に逆転」「実力伯仲」の今大会を象徴する試合だったように思う。

また、全体的に打高投低で、強打、集中打が試合を決めることが多かった。これは近年、夏の大会の全般的傾向といえるが、守備に関しては残念ながらレベルの高い大会とはいえなかった。さすがに3回戦以降は少なくなったが、1回戦、2回戦段階では、ボールを落として拾い直したり、捕球後握り直すうちに投球が遅れ、内野安打や走者生還につながるケースが多かった。こうした記録に表れない守備上のミスが決勝点になることも多かった。守備に関しては東日本大震災で直接被災地とならなかった西日本地区の出場校も含め、練習不足がはっきり出ていたと思う。ただ、未曾有の災害で日本中が浮き足立っていた今春以降の社会状況を見ると、ある程度やむを得ないとは思っている。

その中で、優勝した日大三の吉永は大会屈指の好投手といわれた前評判に違わない投球ぶりで優勝に大きく貢献した。結果的には、今日の決勝戦が最も投球内容としてはよかったのではないか。準々決勝あたりまでは、走者を背負うとストライク、ボールがはっきりし、球が荒れる弱点もあった。ただ、決勝までの5試合で投球数640球(1試合平均130球弱)はまずまずの投球内容で、与四死球が多い割には投球数は多くない。適度に荒れた球に相手打線が苦しみ、早打ちをして倒れていった様子がデータからもうかがえる。走者を抱えたときのコントロールの問題は技術より精神面が大きいので、今後試合数を重ねて克服できれば、140km台の速球と合わせてプロでも十分通用する投手だと思う。

印象深かった学校としては、初出場ながら屈指の機動力を見せた健大高崎(群馬)を挙げておきたい。地方予選6試合で26盗塁というずば抜けた機動力は1回戦で遺憾なく発揮され、甲子園でもなかなかお目にかかれない2ランスクイズという貴重なシーンも見せてもらった。だが、2回戦で屈指の強豪・横浜に敗れ甲子園を去った。機動力だけでも勝ち上がれない甲子園は厳しい世界だが、イチローを見てもわかるように俊足は内野ゴロを内野安打に変えてしまう大きな武器だ。その俊足をもってまた甲子園に来てほしい。

そうそう、今年の甲子園の忘れ得ぬ思い出として、いい話があるので記憶にとどめておこう。大会7日目(8月12日)、東京都市大塩尻(長野)-明豊(大分)戦での出来事だ。奪三振を“訂正申告”都市大塩尻、正々堂々散る(スポニチ)という見出しの記事を参照いただきたいが、この試合の6回、明豊の攻撃中、東京都市大塩尻が1点失った後、なお無死三塁の場面だった。5番の佐藤を内角高めのカーブで空振り三振に仕留めたと思われたが、捕手の古谷が「バットに当たっていました」と審判に正直に申告。判定はファウルに訂正された。その後、佐藤は四球で出塁し、これをきっかけとして東京都市大塩尻は6点を失った。

自校に有利な誤審であり、黙っていればそのまま試合は進み、東京都市大塩尻は勝てたかもしれない。だが主将の古谷は「常に敵味方関係なく、正々堂々とプレーしろと監督に言われている。後悔はありません」と、さわやかな笑顔で甲子園を去った。

原発事故以降、「いかにウソをつき、情報を隠して他人を騙すか」しか考えない大人ばかりになってしまった絶望的なこの国で、ひとりでも彼のような若者がいることにいちるの希望が見えた気がする。ぜひそのまま古谷君には正しく美しい大人になり、腐り切ったこの国を変えてほしいと思う。

地方予選段階の大きな話題としては、常総学院(茨城)の木内幸男監督(79)の引退を挙げておきたい。甲子園で木内監督の名声を高からしめたのは1984(昭和59)年、取手二高を率いた夏の大会で、桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」を擁し、高校野球史上最強といわれたPL学園(大阪)に終盤、追いつき、打ち砕いて初出場初優勝という快挙を成し遂げたことだ(ちなみに茨城県勢としてもこのときの取手二が初優勝)。その後は常総学院に移り、ここでも2001年、2003年に全国制覇を成し遂げた。いったん引退、2007年に監督に復帰したが、さすがに高齢による健康問題がささやかれる中での引退となった。PL学園・中村監督、沖縄水産・栽監督、池田高校・蔦監督などと並ぶ甲子園名監督に数えて間違いないと思う。長年の労をねぎらいたい。

東日本大震災による節電の影響で、決勝戦も午前開始となるなど異例ずくめの展開となった今大会だが、節電という社会的要請があったとはいえ、準決勝、決勝では午前中に試合を終えてしまう今回の運営方式は、選手や関係者、観客の熱中症対策という意味でも今後のモデルケースとなるだろう。そもそも、電力も気温もピークとなる時間帯にわざわざ決勝戦を構える今までのやり方に無理・無駄が多すぎたのだ。教育活動の領域を大きく踏み越え国民的行事となった高校野球だが、あくまで原点は「部活動、教育活動」である。頑張れ一辺倒の精神主義ではなく、時代の要請に応え、気象条件に合わせて無理なく実施する柔軟で合理的な大会のあり方をともに考え、実行していくことも立派な教育活動なのではないだろうか。ぜひ、今回の大会で得た新しいスタイルが定着するよう、この方式は来年以降も継続してもらいたいと思っている。

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平野綾、ついに事務所に反旗?

2010-11-18 21:33:27 | 芸能・スポーツ
平野綾が所属事務所を猛烈批判 「私の積み重ねを否定」(J-CASTニュース)

平野綾という声優に、今まで私はほとんど興味がなかったのだが、最近の騒動を見ていて、なんだかとても彼女が不憫に思えてきた。そもそも、この事務所は声優というものの世界を根本的に理解していないのではないかと思わざるを得ない。

平野綾が、声優以外でも活躍できるマルチな能力を持っているのをいいことに、マルチに活躍させようと目論んでいるのかもしれないが、過去、オタク界と一般芸能界を股にかけようとして成功した実例は残念ながらほとんどない。中途半端にその道を目指せば、椎名へきるのように両方とも実らず、消えていくことにもなりかねないが、平野綾は今、無理解な事務所によって、その最も危険な道に分け入っているように思える。しかも、形勢不利となると、突然、脳の病気をカミングアウトしての「お涙頂戴作戦」だ。

20歳代というのは、(他の職業もすべてそうだが)声優にとって最も伸び盛りの時期である。この業界で生き残れるか、消えていく運命になるかは20歳代で決まると言っても過言ではない。そんな大切な時期に、事務所の指示とはいえ本業そっちのけのスタンドプレーばかりでは伸びるものも伸びないに決まっている。

今、この最も大事な瞬間を、彼女は自分の本業での成長だけ考えて過ごすべきだ。精一杯頑張って、それでもだめなら仕方ないが、今のこの状況で、仮に声優界も芸能界も追われた場合、彼女にはおそらく後悔だけが残るだろう。

23歳という年齢は、この世界では決して若いほうではないが、かといってやり直しがきかないほどの高齢というわけでもない。声優業界に残って頑張るのか、芸能界に転身するか。事務所によって潰される前に、彼女には決断の時が迫っている。

厳しい言い方だが、声優業界の中ではマルチな能力でも、一般芸能界では彼女は「その他大勢」だろう。私自身としては、この業界を理解している事務所に思い切って移籍し、声優界に残る決断をして頑張るべきだと思っている。ただし移籍にはエネルギーが要る。事務所と闘うなら、それなりの覚悟で臨むべきだ。平野綾が腹をくくり、その決意をして闘うなら、当ブログは平野綾を支持する。

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赤松健、ネットで「ラブひな」無料公開へ

2010-11-17 21:20:35 | 芸能・スポーツ
「ラブひな」全巻無料公開へ 赤松健氏、ネット漫画の新ビジネスに挑戦(ITmediaニュース)

赤松健先生が、なにやらマンガビジネスに乗り出したようで。

商業ベースに乗らなかった幻のマンガをネットで復刊させようという試みは面白いかもしれないし、いずれ出る出ると言われながら各社、模様眺めで足踏み状態にある電子書籍の将来を占うひとつの試金石になるかもしれない。

「何をやってもどうせネットに流出しちゃうんだったら、広告入れてビジネスにしちゃえ」という発想が、いかにも赤松先生らしい。この人の商才には脱帽してしまう。マンガが売れなくなっても、実業家として十分やっていけそうな気がする。

いずれにしても、今でも大好きな作品であるラブひなが、ひと味違ったテイストで読めそうなのはうれしい。無料だし、外に出るのがおっくうな冬はPDF版ラブひなでも読んで過ごそうか。

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あの懐かしい「ラブひな」、8年半ぶりに読切に

2010-09-02 23:21:16 | 芸能・スポーツ
ラブひな :マガジンで読み切り復活 「魔法先生ネギま!」連載300回特別企画で(毎日新聞)

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 東大を目指す内気な浪人生と美少女たちの日常を描いた赤松健さんのラブコメ「ラブひな」が、1日発売の「週刊少年マガジン」40号で復活し、6ページの読み切りで掲載された。赤松さんが現在連載中のマンガ「魔法先生ネギま!」の連載300回に合わせた特別企画。

 「ラブひな」は、98~01年に同誌に連載、全14巻で約900万部を発行した人気マンガで、赤松さんの代表作の一つ。女子寮「ひなた荘」を舞台に、東大を目指す内気な浪人生の浦島景太郎と、景太郎にすぐちょっかいを出すちょっとドジな優等生・成瀬川なるらの個性派ぞろいの美少女たちの日常を描いたラブコメディー。テレビ東京系でアニメ化、舞台化もされている。

 読み切りは、ひなた荘の温泉で美少女たちがちょっとHなトークに花を咲かせているところに、景太郎が予備校から戻って来て……というショートストーリーが描かれている。(毎日新聞デジタル)
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これはもう、奇跡の復活と言わずしてなんと言えばいいのか。

1998年に「週刊少年マガジン」誌で連載が始まり、単行本は900万部も売り上げた、あの伝説のラブコメが読切の形で帰ってきた。私をオタク界に引きずり込んだ運命の作品、おそらく生涯忘れることのできない作品かもしれない。堀江由衣さんのファンになったのも、彼女がこの作品のヒロイン・成瀬川なるを演じたことがきっかけだ。

8年半ぶりに読むラブひなは、女子寮「ひなた荘」での各キャラの日常を描いたものとなった。読切とはいえ、わずか6ページとあっては手の込んだストーリーを仕立てるのは難しいだろうから、一話完結型のネタというのが無難なところだろう。本当は、成長した大人の各キャラを「その後のひなた荘と住人たち」という形で描いて欲しかったが、「魔法先生ネギま!」の連載を続けながら「ラブひな」についても新しいストーリーを考えるというのは、週刊連載を落とさずに続けていることが奇跡に近い遅筆(?)の赤松先生にとって、かなり酷に違いない。

それでも、久しぶりに読んだ「ラブひな」は、私たちほとんどのファンがもっとも熱狂的に支持していた頃の「ラブひな」のテイストを感じさせるもので、純粋に嬉しかった。この予定調和的で、くだらなくて、しかしその予定調和性とくだらなさこそが、個性的な各キャラの魅力を最大限に引き出したことにより、往時の「ラブひな」に最も近い形で再現された読切は、私にとって最大限に評価してよいものだ。

それより何より、最も嬉しかったのは、「ラブひな」の読切が掲載されるこの週の「マガジン」の発売日が待ち遠しくてたまらなかったことだ。思えば「ラブひな」連載当時は、毎週、水曜日が来るたびにこのワクワクするような躍動感を抑えられなかった。ラブひなの連載終了以来、マガジンを買うことすらなかった私だが、あのときと同じような、ワクワクする期待と躍動感を与えてくれる「ラブひな」が、終了から8年半経った今なお、自分にとって特別な作品であることを再確認できた。そのことが何より嬉しい。

(注:当記事は、わかる人にしかわからない内容になっていますが、お許しください。)

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大黒摩季、活動休止へ

2010-08-25 23:53:26 | 芸能・スポーツ
大黒摩季さん、活動休止へ(夕刊フジ)

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 シンガー・ソングライターの大黒摩季(40)が、子宮疾患の治療に専念するため、10月末から無期限で活動を休止することになった。25日未明、公式ホームページやファン向けのブログで報告した。
 大黒によると、病名は「重度の子宮腺筋症、左卵巣嚢腫=子宮内膜症性のチョコレート嚢腫、子宮内膜症、子宮筋腫という子宮疾患メドレー」だという。

 子宮疾患は1996年末に発覚、「だましだまし付き合って来ました」。病状は進行。子宮全体がふくれあがり、これ以上肥大すると摘出しかなくなり、妊娠できなくなるという。

 大黒は2003年に会社員男性と結婚。妊娠が子宮疾患の治療になるともいわれ、体外受精を試みてきた。しかし、ハードな仕事で流産を繰り返し、体に相当なダメージを受けたため、今後は夫と病に向き合っていくことにした。

 また、同じ病気を持つ女性のため、あえてくわしい病状の公表に踏み切った。

 大黒はきょう25日、2年半ぶりのアルバム「すっぴん」を発売。全国ツアー中で、9月11日には東京・渋谷C.C.Lemonホールが控える。

 完治するまでの無期限の活動休止となるが、ファンには「ちょっと語学留学に行ってきます」ぐらいだとメッセージ。「幼少の頃より歌わないことなどひと月たりとも無かったので復帰の時は相当歌う喜びに満ちていると思います」と、再会を誓っている。
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大黒摩季公式ホームページでの告知

最近は、大黒摩季の姿勢に対して思うところもいろいろあり、距離を置いていた私だが、それにしてもショックなニュースではある。

96年からわかっていたというが、当時は大黒摩季にとって全盛期だったから、仮に休養を言い出しても認められる可能性はなかっただろう。2000年から1年ほど「充電期間」を設けて活動を休止したことはあったが、そのときはまだ大した症状ではなかったのかもしれない。30代後半になるまで独身だったから、彼女の中での優先順位もきっと低かったに違いない。

30歳代後半から40歳代は、あらゆる人にとって身体の曲がり角といえる。大黒摩季もこの機会に、自分の全身を見つめ直す時期だということだろう。

焦らなくて良いから、ゆっくり治療し、完全な状態になってからファンの前にまた帰ってきて欲しい。

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興南、沖縄県勢初の夏制覇

2010-08-22 22:32:43 | 芸能・スポーツ
<夏の高校野球>興南打線爆発で春夏連覇 東海大相模破る(毎日新聞)

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 第92回全国高校野球選手権大会は21日、決勝が行われ、興南(沖縄)が東海大相模(神奈川)に13-1と大勝。沖縄勢の夏初優勝とともに、98年の横浜以来、史上6校目の春夏連覇を達成した。

 序盤から両チーム、得点圏にランナーが出ながら、決定打を欠いていたが、興南は四回、東海大相模・一二三をとらえた。四球と安打、相手守備のミスで1死二、三塁としたあと、伊礼がセンター前にはじき返し1点を先制した。さらに、次打者の島袋の際に、スクイズを外したものの、捕手から三塁への送球が悪送球になり2点目、2死から大城が左前適時打を放ち3点目。さらに慶田城の右越え2点三塁打、我如古のセカンドへの適時内野安打、真栄平の右越え適時三塁打など打者11人を送る猛攻で計7点を挙げた。五回に1点を追加したあと、六回には我如古の左中間3点本塁打が飛び出すなど5点を加え、先発全員安打で圧勝した。

 準決勝の報徳学園戦で甲子園奪三振記録を歴代2位とした島袋は、この試合はきっちりと変化球を打たせて、奪三振は4にとどまったが、4試合で34得点を挙げた東海大相模打線を1点に抑えた。

 東海大相模は七回、2死二塁から伊地知の左前適時打で1点を返すのがやっと。一回、ヒットと四球で1死一、二塁と島袋の立ち上がりを攻めたが、四番・大城卓がセカンドゴロ併殺となり、先制のチャンスをつぶしたのが響いた。甲子園をわかせたエース・一二三も六回までで降板した。【毎日jp編集部】
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92回夏の甲子園は、興南(沖縄)が沖縄県勢として初の全国制覇を成し遂げた。沖縄県勢は、90~91に沖縄水産が準優勝。春の選抜では、沖縄尚学が全国制覇しているが、夏の大会の全国制覇はこれが始めて。沖縄県民の悲願がついに実現した形だ。

だが、当ブログは興南の春夏連覇、ひょっとしたら…と思っていた。春の優勝校だけに他の各校から徹底的にマークされ、難しいと思う一方、エース・島袋が選抜と同じ調子で投球すれば、夢ではないと感じていたのだ。

例年通り、大会全般を振り返ろう。

春のセンバツ講評で、当ブログは「今年は打高投低の年になる」と予告した。この予告が的中したかどうかの判断は読者諸氏にお任せしたいが、1回戦から決勝戦まで、今大会は大差ゲーム、ワンサイドゲームが目立った。その象徴が8月14日に行われた2回戦・早稲田実業-中京大中京の21-6だ。どちらか一方のチームが打ち始めると止まらなくなり、「ビッグイニング」が生まれるのはここ10年くらいの甲子園の傾向として見られる現象ではあるものの、今大会は特にそれが顕著だったように思う。その意味では、当ブログの予告はある程度的中したといえるのではないだろうか。

しかし、そのような中でも、やはり投手力の際だったチームが上位に勝ち残った。島袋を擁する興南をはじめ、一二三投手を擁する東海大相模、中川を擁する成田(千葉)、歳内を擁する聖光学院(福島)などがその典型である。改めて、野球は打撃力だけでもダメなのだということを教えてくれた大会だった。

一二三投手については、前評判が高かったものの、「思っていたほどの逸材ではない」という声も一部に聞かれるなど、評価は割れている。春の大会以降の不振で、投球フォームをサイドスローに変更したが、そうした急ごしらえのフォーム改造の影響が、最後の最後で出てしまったのではないだろうか。

今大会では、特に強く印象に残った学校はないが、強いて1校を挙げるなら延岡学園(宮崎)だろう。家畜伝染病・口蹄疫の影響で、宮崎では地方予選のほとんどが無観客試合となった。そうした苦難の中から出場を果たし、2回戦に進出した。球児たちの活躍が、宮崎県民にきっと大きな勇気を与えたことだろう。

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