第三セクターは二重三重の悪




 宮古島マリンターミナルのホテルの売却がまた失敗した。落札にかけては買い手がつかなかったりと何年も売却に失敗している。ホテルの社長はなんと宮古島市長である。市長は政治活動で忙しく、ホテルの社長業をやる余裕は全然ないはずである、言い換えればホテル関係者で一番の怠け者が社長であるということだ。それに経営に失敗したとしても市長を首になることもない。いわゆる名前だけの社長であり、殿様社長である。民間会社では、会社の社長が最高責任者であり、経営の責任者である。社長の能力次第で会社はうまくいくか倒産するかを左右する。
 宮古島マリンターミナルのホテルの社長が市長であれば、ホテル経営の最高責任者が経営に関わる余裕がないのだからホテルの経営が悪化するのは当然である。

 宮古島マリンターミナルのホテルは、赤字経営、希望価格での販売の失敗、そして価格を落として落札までいったのに販売に失敗している。ここまで失敗続きをして莫大な赤字をだしたのだから、社長の責任は重大であり、責任を取るべきである。しかし、社長である市長は責任を取らない。経営が下手なためにつくった莫大な赤字は宮古島市民の負担となる。

 経営がうまくいけば天下りやワタリに利用して一部の人間たちが潤い、経営に失敗して赤字を出せば市民の負担になる。それが第三セクターの実体である。

 民主主義政治の基本は、政治と経済の分離にある。首長、議員、公務員の給料は税金から支給され、政治が経営を直接してはならない。逆に経営者が直接政治を行ってはならない。政治は民主政治、経済は資本主義が民主主義社会の原則である。政治が商売をする第三セクターは邪道であり、民業を圧迫し、自由競争を阻害し、ワタリ、天下りの温床になっている。

 嘉手納町の東側に道の駅がある。嘉手納飛行場を一望できるので連日観光客で賑わっている。道の駅ができる前は道路の側に丘があり、観光客は丘に登って嘉手納飛行場を眺めた。昔は観光客が余り来ない場所だった。観光客が来るようになったのは、道路沿いで商品を売っていた人が客を集める目的で、丘に車で上れるように道を開いてからである。嘉手納飛行場が一望できる丘があるという噂がひろまり、観光客がくるようになった。箱型の店のお土産品店も増えた。私の友人も店を出し時計を売っていた。

 観光客は増え続け、観光バスもやってくるようになった。ところが道路拡張工事をするために店は立ち退きさせられた。
 道路拡張工事とともに道の駅はつくられ、嘉手納飛行場を一望できる丘には立派な階段ができた。私の友人の出店は違法行為であったが、丘の近くで出店をやるスペースは完全になくなっていた。道の駅の西側に大きな空き地があるが、その空き地を出店に解放すればにぎやかになるし、客も増えると思うが、今は道の駅が独占している。

 嘉手納飛行場の一望できる丘への観光客を開発したのは民間人であった。民間人の開発を横取りするやり方で第三セクター道の駅はできたのである。嘉手納ロータリー周辺の民間の商売をことごとく潰し、民間が切り開いた商売を横取りする。これが沖縄の政治の実体である。

 沖縄の経済発展の要のひとつに個人企業の育成にある。それができるのは市町村の政治である。ところが国道が新しくなるたびに国道沿いの店は倒産している。小さな店は大型店舗のために倒産することもあるが、大型店舗とは関係のない個人商店は、理髪店、健康食品、食堂、弁当屋、時計店、喫茶店、釣具店など数は多い。昔から国道沿いには商店が多くあった。ところが国道が拡張されて車が停車できるペースがなくなったために客がいなくなり、多くの商店が倒産してしまった。
 読谷村の大湾では国道が大きく移動して前の国道が使われなくなった。それに前の国道への進入もやりにくくなり、車がほとんど通らなくなり、ほそぼそと経営していた商店さえつぶれてしまった。個人商店の維持・発展には市町村のバックアップが必要である。

 しかし、市町村の政治は個人企業の育成より第三セクターつくりに精を出している。政府からばら撒かれる莫大なカネも第三セクターつくりや一部の階層の人間たちの利益に回るようにしている。その体質は昔からの体質だろう。

 このような政治には右も左も関係がない。右も左もやっているのだ。
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跳ねる・雨・・・アートはいく 三百五十六~三百五十八句

三百五十六句





三百五十七句





三百五十八句




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これはワタリじゃないのか





ふつう、赤字を出した社長は格下げされるか退職するかではないだろうか。ところが第三セクターTTCは経常利益を881万円を予想していたにも関わらず1億円を越す赤字を出したのに、TTCの花城社長は退任して那覇空港ビルディング社長に就任するという。花城氏はTTCの赤字決算の責任はとっていない。責任を取るどころか栄転をしているではないか。
 TTCの経営に関係なく、花城氏の那覇空港ビルディング社長就任は予定通りではないだろうか。つまり、TTCの経営状態に関係なくTTCの社長の次は那覇空港ビルディング社長就任に決まっていたのだろう。それは明らかなワタリである。ワタリの事実が堂々と新聞に掲載されているのだ。
 第三セクターTTCの社長は経営状態とは関係なく、大体四年間で交代するのがパターンのようだ。ゆいレール社長も同じ四年間交代のパターンだ。

 沖縄の第三セクターはワタリに利用されている傾向が強いのではないだろうか。四年間在籍のお飾り社長では合理的な経営をして、会社を発展させる努力はしないだろう。第三セクターの赤字は税金でカバーするシステムになっているから赤字を出しても倒産しないように仕組まれている。
 しかし、第三セクターの赤字は県や市町村の財政を圧迫する。一部の人間の利益のために県や市町村の財政が使われるのはあってはならない。

 橋下大阪府知事は赤字経営の第三セクターを民間に売却している。ワタリのための第三セクターはやめるべきであり、本当に必要な第三セクター以外は民間会社にするべきだ。
 財政が苦しい理由に天下りやワタリを目的にした第三セクターが多いことや議員や公務員の報酬が高いことがある。

 新聞はアメリカ軍基地だけに執心しないで、天下り、ワタリ、談合、公務員給与などの沖縄の政治・経済の重要な問題を追及してほしい。
 アメリカ軍基地問題は派手な割には県民の生活の向上には影響しない。沖縄の政治・経済をよくするには沖縄の政治・経済を直視して分析し問題を提起することだ。
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あはははと・・・アートはいく 三百五十三~三百五十五句

三百五十三句





三百五十四句





三百五十五句




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JA・東村の経営姿勢を厳しく追求するべきではないのか


 北部振興費19億円を投入して建設された「総合農産加工施設」の初年度決算が3600万円だという。そして将来に黒字になる見込みも立てることができていない。JAが出資している「沖縄総合農産加工」は管理者であって経営者ではない。「総合農産加工施設」が3600万円の赤字を出しても、JAには赤字補填する義務はないということか。それどころか管理費として莫大な金を取っているのではないだろうか。
 JAは経営に通じている。3600万円の赤字ははじめから予想していたはずだ。JAは経営からはなれ管理する立場になることによって「総合農産加工施設」が赤字になってもJAはしっかり収入があるように仕組んだ可能性がある。新聞は3600万円の赤字が出た原因を詳細に調べるべきだ。「総合農産加工施設」を食い物にしている連中が必ずいる。

 初年度で3600万円の赤字を出し、今後も黒字になるのが困難であるなら、真っ先に合理化をしなければならない。人員整理と維持管理費の削減は徹底してやり、予測する生産量にあわせた人件費と維持管理費を設定しなくてはいけない。これが企業の常識だ。ところが「総合農産加工施設」を管理している沖縄総合農産加工の松田社長はそんなそぶりは全然ない。

 村産業振興課は「原料不足の原因は精査中だが、天候不順で実が小玉になったことも一因」と悠長なことを言い、「採算ラインの見積もりの甘さがなかったかも含め、調査する必要がある」と民間会社なら考えられないことを平気で言っている。3600万円という莫大な赤字を出しているのだ。3600万円の赤字をなくすためにすぐに手を打たなければならない。まず、初年度の生産額を基本にして、売り上げ-(原料代+人権費+維持費)の計算をして。答えが〇になるまで、人件費と維持・管理費を削減することだ。赤字の原因は散漫経営にある。散漫経営を正さないと健全な経営発展はない。小規模生産になってもいいから経営を健全化することが第一歩だ。

 新聞は施設は農家支援になっていると書いてある。しかし、莫大な赤字を出せば回りまわって農家の首を絞める。3600万円もの赤字を出す「総合農産加工施設」が農家支援になっているとは言えない。施設稼動で30人の雇用が生まれたとしても、村の税金から30人の給料以上の金額を「総合農産加工施設」が吸い取っているかもしれない。

 松田社長の口からは合理化の話は出ない。優良苗の育成、パイナップルの増産、飲料商品の開発などに努力すると発言している。松田社長のやり方は典型的な散漫経営だ。優良苗の育成は実現するかどうか分からない。実現するとしても何年先になるかわからない。パイナップルとさとうきびは減産し続けている。農家の老齢化もあり増産は困難だ。本気で増産をするのならJAが直接大規模農業を始めるしかないが、JAはリスクの大きい農業はやらないだろう。飲料商品の開発も売れる商品を開発できる可能性は低い。
合理化をしないで実現困難なことを口にする松田社長は本気で「総合農産加工施設」の経営を死に物狂いで頑張る気はない。

 「総合農産加工施設」の経営を成功させるためには、生産規模を小さくしてもいいから黒字化するのが重要である。黒字経営を続けていれば、優良苗の育成、パイナップルの増産、飲料商品の開発にも成功する。松田社長が合理化による「総合農産加工施設」の黒字化を目指さないのは、松田社長が本気で「総合農産加工施設」の経営をする気がないからである。なぜなら「総合農産加工施設」が赤字になっても「松田社長の給料には響かないからだ。JALは赤字でもJALの周りの会社は黒字であるというシステムのように、「総合農産加工施設」と「沖縄総合農産加工」はなっているのだろう。

 新聞は「ひずみの構造」という題名になっているが、残念ながら、新聞はひずみ構造の原因を見逃している。
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絶対にやるべきだ!保安院切りと送電と発電の分離

福島原発
 菅首相は18日、首相官邸で記者会見し、福島第一原子力発電所の事故を受けた電力会社の経営形態見直しについて、「地域独占ではない形のあり方も含めて議論する段階は来る。送電と発電の分離などエネルギー基本計画などを考える中では議論が及ぶし、そうすべきだ」と述べ、発送電の分離などを検討する考えを表明した。

 定期点検などで運転を停止している原発に関しては「緊急的な安全措置がしっかりと講じられたものは、安全性が確認されれば稼働を認めていく」と明言した。「原子力のより安全な活用の方向性が見いだせるなら、原子力をさらに活用していく」とも語り、自然エネルギーとあわせ、原発を引き続き推進する立場を強調した。

 原子力行政は「根本的に見直す」とし、原子力を推進する立場の経済産業省と、安全規制を担う原子力安全・保安院を分離する方向で検討するとした。

(2011年5月19日01時23分 読売新聞)



 送電と発電を分離は電力会社から多額の寄付金をもらっている自民党ができなかったことだ。送電は道路と同じ、誰でも自由に通れるようにするべきだ。送電を別会社にすれば新しい電力会社が生まれる。風力や太陽光発電にバイオマスのベンチヤー企業もどんどん登場するだろう。
 それに色々なアイデアが出てサービスも広がる。大電力会社と政党とのずぶずふの関係もなくなる。

 菅政権は送電と発電の分離を実現するべきだ。原子力を推進する立場の経済産業省と、安全規制を担う原子力安全・保安院を分離するのは当然だ。
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芸術の民衆運動のおごり







 戦後の韓国は長い間軍事独裁政権が続いた。北朝鮮の拡大を阻止したいアメリカは韓国の軍事独裁政治をバックアップした過去がある。韓国では民主化運動によって軍事独裁政権を倒し大統領を国民が直接選ぶ民主主義国家をつくった歴史がある。
 しかし、日本はアメリカによって強引に議会制民主主義国家になった。沖縄はアメリカ軍が統治したが、米民政府は戦前にあった大地主制度を廃止し、戦前の特権階級もなくし、商売や生活は戦前に比べて飛躍的に自由になった。琉球政府主席はアメリカ軍民政府が任命した反面、三権分立を確立し、アメリカの主導で経済は活発になっていった。韓国の軍事独裁政治と沖縄のアメリカ軍による統治は内容が違う。

 司会の徐勝さんが「韓国では政治と芸術が密接につながっている。沖縄は琉球処分から現在までさまざまな痛みを持っていると思うが、芸術と結びついた活動がないのはなぜか」と述べている。 

 沖縄と韓国の違いは、韓国は独裁政治を民衆の力で倒し政治変革をしたが、沖縄の場合は民衆ではなく外の政治が沖縄の政治を変革した。
 明治時代の琉球処分は明治政府が琉球王朝を排除して、武士階級の特権を廃止し、四民平等の社会にした。戦後はアメリカ民政府によって大地主制度、家父長制度を廃止し、戦前よりも生活・経済の活動が自由になった。
 沖縄の芸術は外部からの改革についていけなかったといえる。むしろ古い文化に縛られて新しい芸術思想を作り出すことが沖縄では困難だった。

 独裁政治は民衆の自由を奪い、民衆を貧困に追い込む。だから民衆は自由と冨を求めて独裁政治に立ち向かう。しかし、沖縄の場合はアメリカ軍は沖縄に冨を与え自由を与えた。復帰当時は失業率が0.1パーセントであったという驚くべき事実がある。
 県立博物館の仲里主任学芸員は「沖縄は戦後を生き抜くため、美術家が米側に文化的保護を受けていたことが背景にあるのではないか」と発言しているが、韓国のように日常生活の中で軍事独裁政権の圧政を感じ、人権蹂躙、貧困を体感する社会と、日常生活では圧政を感じない沖縄との違いがある。「米側に文化的保護を受けていた」のは一部の人間であり、保護を受けていない芸術家も反体制運動の必要を感じなかったと思う。それに沖縄の内なる思想は琉球王朝にあり、戦後の政治体制に反発する内的思想は貧弱だった。

 建築家の真喜志氏は、「日本には民主化運動はなく、そこには民衆芸術も生まれない」と延べている。民主主義の基本は多数決である。ところが真喜志氏は多数決を問題視している。多数決というのは集団が行動のあり方を決定するための方法であり、民主主義政治をするには多数決は原則である。
 個人の活動は自由、集団の活動は多数決が自由主義民主主義の基本だ。真喜志氏は自由主義と民主主義の違いを理解していないのではないだろうか。

 金城氏は「政治を芸術で語ることがタブーだという認識があるのではないか」と発言しているが、タブーというより、政治を芸術で語るということは芸術を利用して政治をアッピールするということであり、芸術を政治の中に押し込めることになり、多くの芸術家は政治に芸術ががんじがらめにされることを敬遠しているだけだ。

 芸術で社会問題を表現するのは自由であるし、なにも問題はない。しかし、社会問題を表現するということは個人の思想を表現しているにしかすぎない。それを芸術表現しているから自分の芸術は普遍性を持っていると思うのはうぬぼれだ。それどころか思想的にはうすっぺらであるケースが多い。

 司会の徐勝さんの「琉球処分」に対する認識は浅い。本気で「琉球処分」について考えているか疑問だ。多分、シンポジウムに参加したほとんどの芸術家が徐勝さんと同じ程度の認識しかないだろう。

 佐喜眞氏は「米軍と60年間闘っている沖縄はそんなに弱くない。必要なのは世界的、普遍的な思想だとおもう」と述べているが、米軍との闘いで世界的な思想も普遍的な思想も生まれてこないことに気づくべきだ。

 反権力=民衆運動ではない。民衆運動は市民の生活を豊かにするのが目的であり、政治色のない民衆運動もあることを忘れてはならない。独裁国家の社会では反権力運動は民衆運動であるが、韓国も日本も民主主義国家になった。民主主義国家では国家は国民の代表が政治をやるから、反権力運動のすべてが民衆運動であるとは限らない。逆に反権力運動が反民衆運動になる場合もある。反権力運動が民衆運動であるか反民衆運動であるかを問われる時代である。

「沖縄でも辺野古に行って絵を描いたらどれだけいいか」というホン・ソンダム氏の発言に私は憤りを感じる。ホン・ソンダム氏は辺野古問題の表面だけを眺めているだけで、真剣には考えてはいない。ホン・ソンダム氏は社会問題の上っ面を歩き回って楽しんでいるようだ。
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不器用に・・・アートはいく 三百五十~三百五十二句

三百五十句





三百五十一句





三百五十二句




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本気で大阪から国の形を変える

 大阪府は18日、府と大阪市の再編を含む都市制度の在り方を検討する「大都市制度室」を設置した。橋下徹知事は配属職員に対し、「いよいよ本気で大阪から国の形を変える。形あるものをつくり、問題提起してほしい」と訓示した。

 同室では、府市再編に伴う広域行政の一本化や財政調整など、府と基礎自治体の関係について検討。国に対して制度改正の働きかけも行う。橋下知事が代表を務める地域政党「大阪維新の会」は、5月府議会に府市再編を検討する各会派間の協議会の設置条例案を提出する予定で、可決された場合は事務局機能を担う。

 山口信彦室長は「重いミッションだが、今まで動かなかった大きな山を一丸となって動かしていきたい」と話した。

 一方、橋下知事は、新潟州構想を掲げる新潟県と新潟市▽中京都構想の愛知県と名古屋市-の各自治体間の連携を強化するため、橋下知事と4首長が7月にも名古屋市内に集まり、都市制度の課題を協議することを明らかにした。



 名古屋は河村市長は減税日本を掲げて「減税」にこだわっている。そのためにもたもたしているようだ。国民が興味あるのは減税ではなくて政治の構造改革だ。河村市長も減税より議員や公務員報酬の削減と効率のある役所に構造改革するのを掲げたほうがいい。

 「いよいよ本気で大阪から国の形を変える。形あるものをつくり、問題提起してほしい」と橋下知事は制度改革を具体化することに手をそめた。橋下知事と4首長が七月に名古屋で集まって協議をはじめる。

 他の県と連帯を広げて、日本の改革の道筋をつけることができるかどうか注目しよう。
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名護市政は右も左も駄目2





1997年度以降、北部振興策や島田懇談会事業、SACO関連で名護市に476億円が投資されたという。しかし、市の失業率や生活保護率の改善にはつながらなかったから、476億円の予算の経済効果はなかったと稲嶺名護市長は評している。
 476億円の効果をどのように見積もったのだろうか。予算を組み、事業を起こすなら、経済効果を予測するはずである。ところが、新聞は名護市がどの程度の経済効果を予測したかについては明らかにしていない。
 名桜大学の場合は、北部振興策がなかったら存続が厳しかったと述べている。名桜大学の効果は全島から学生が名護市に学生が集まることである。学生が集まれば、宿泊施設や学生相手のサービス業が増える。ショッピングセンターもできて、それなりの経済効果は出ている。

 箱物でも経済効果がある箱物と経済効果のない箱者がある。476億円を経済効果のない箱物に投資すれば経済効果がないことは明らかである。経済効果を調査するならば箱物ひとつひとつの経済効果の検討をするべきである。
 経済効果があるかないかを「市の失業率や生活保護率の改善」を基準にするのは間違いだ。名護市の人口は平成2年51,154人であったが平成17年は59,463人と人口は8000人近く増えている。人口が増えるということは「市の失業率や生活保護率の改善」がなされていなくても、名護市の全体的な経済は発展しているということになる。

 やんばるは人口減少が進んでいるが名護市だけは人口が増えている。476億円の経済効果がどれほどのものであったか、どのようなところに経済効果があったか、逆にどのようなところに経済効果がなかったかを調査するべきだ。

 学校の体育館をつくったり、生涯学習などの福祉関係や公民館などの箱物は経済発展には効果がない。476億円の予算は名護市の負担が少ないので、経済効果がないものにも多額の金を使っている。本当の問題は476億円を名護市が効果的に使い切れなかったところにある。
 自民党政権時代には、建設関係の会社の政治力が強く、経済効果とは関係なく建設会社が儲けるために箱物や道路をどんどんつくった。476億円を投資しても経済効果がなかったのはそれが原因ではないか。

 稲嶺市長は「国費の投入が前提だと、公民館にしても要求が大きなもの、豪華なものになりがちだ」と発言しているがそれはおかしい。国費投入でも効率を考えて、小さいもの、質素なものをつくることはできる。
 振興策を建設業中心の産業に投資したのが間違いであり、476億円を2次産業、観光、サウビス業、そして6次産業に投資すればよかったのだ。このような事業に積極的に投資しなかった原因は、復帰後に本土並みの道路や施設をつくるのに予算が集中して建設業が雨後のたけのこのように増え、建設業者の自民党への献金により、建設業者の政治力が強くなり、経済効果を無視した箱物をつくるようになったことにある。

 稲嶺市長は「人の動くところに人は集まる」と悠長なこちとを言っているが、予算がなければ投資ができない。投資をしなければ人は動けない。
 辺野古などの名護市街から離れた地域の過疎化は稲嶺市長では止められない。

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