メア氏批判者は人道主義に欠けている


「軍隊は戦時に住民を守らない」は軍隊不信のキャッチフレーズであり、沖縄の革新政治家や知識人がよく用いる。「軍隊は戦時に住民を守らない」は、沖縄戦において10万人近くの住民が戦火に巻き込まれ犠牲になったことを根拠にしているが、日本軍は果敢に戦い、10万人近くが戦死をしたという事実がある。日本軍は壊滅状態になったのであり、そのような沖縄戦において日本軍が住民を守ることが可能だったのか、疑問である。

「軍隊は戦時に住民を守らない」の理屈を沖縄戦における日本軍だけでなく、戦後の全ての軍隊がそうであると決め付けているが、その判断はただしいのだろうか。エジプトの軍隊は市民の側に立ち、市民革命を成功させた。一方リビアの政府軍は市民を弾圧している。軍隊の問題は軍隊自体にあるのではなく、国家の体制に軍隊の問題はある。戦前の日本やミャンマーの軍事独裁国家のような軍国主主義国家の軍隊は軍隊の利益のために存在し、リビアのようなカダフィー大佐一族による独裁国家はカダフィー一族のために存在する。そして、民主主義国家における軍隊は国民の代表がイニシウチブを持っているのだから、軍隊は国民の安全と平和を守るために存在する。

普天間基地の辺野古移設は、県内の移動であるから本当は新設ではない。普天間基地の辺野古移設は、9000人の海兵隊のグアム移転、嘉手納飛行場以南のアメリカ軍基地の撤去とセットになっているから、大きな基地負担軽減である。「メア氏が沖縄の基地負担軽減などまったく念頭になかったことが明らかになった」と決め付けるのはおかしい。
しかし、普天間基地の移転と嘉手納飛行場以南のアメリカ軍基地撤去の方針はメア氏よりも上の組織が決めると思う。メア氏が基地負担軽減の考えがあるかどうかとアメリカ政府に基地負担軽減の考えがあるかどうかは一致の関係ではない。

戦後の沖縄は基地に多くの仕事があり、基地周辺から都市化していったのは事実である。「基地周辺に張り付くように生活をしていかなければならない県民の歴史」と高里氏は述べるが、沖縄が東京都並みの人口密集地になったのはアメリカ軍が駐留して経済が発展したおかげであり、もしアメリカ軍が駐留していなかったら、沖縄の人口は半減していただろうし、家々も少なかっただろう。高里氏も沖縄の歴史を正確には認識していない。

今度の本土の大津波による甚大な被害の救出稼動にヘリコプターが活躍しているように、ヘリコプターが一番活躍するのは救出活動である。アメリカ軍がアジアで活動するにはヘリコプターはなくてはならない存在であり、いつ何時でも事故現場にかけつけられるようなヘリコプター基地はなくてはならない。戦争だけでなく平時でも事故は起こる。航空母艦の火災、エンジントラブル、兵士の負傷、ジェット機の墜落等々、その時になくてはならないのがヘリコプターである。
東南アジアの扇の要の位置にある沖縄はヘリコブター基地として最適な場所である。沖縄からヘリコプター基地を引き上げることは中国、北朝鮮との緊張が続く限り難しい。

アメリカ軍を悪と決め付け、なにがなんでも救助活動に不可欠な沖縄のヘリコプター基地を撤去をしようとする人間たちはアメリカ兵を人間とは見ないから、彼らの負傷や死には平気である。私は高里氏のような基地・軍隊をゆるさない運動家に人道主義が欠落しているように感じる。
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