HAPPY TABLE DIARY

健康と幸せはキッチンから
栃木県宇都宮市の
マクロビオティックサロン HAPPY TABLE 
杉村美樹のブログ

HAPPY TABLE秘話 Vol.3

2019-02-25 09:55:38 | HAPPY TABLE秘話

今日は私が24歳で食の世界に導かれたお話を♪

HAPPY TABLE秘話Vol.1
https://blog.goo.ne.jp/happytable2007/e/3af5c562cbedde3f1f28de66ddc2cb2a

HAPPY TABLE秘話Vol.2
https://blog.goo.ne.jp/happytable2007/e/15be4729ebad8d7989371dfceb87d75d



24歳の時にヨーロッパの伝統的なお菓子を伝えられる
洋菓子研究の第一人者の今田美奈子先生のお教室へ通い始めます。
先生はやさしくて魅力的な方で、お城に住んでいるお姫様のような方でした。

 

子どもの時から家庭でお菓子屋さんで売っているようなお菓子を作れることにあこがれでした。
さらにお姫様ごっこが好きだった私はワクワクしながら夢中でお教室に通いました♪
(思い出すと今でもワクワクしてきます)


 

お菓子人生のスタートです。
大学で西洋音楽史や美術史を学んでいた私は
お菓子のエピソードのお話もとても楽しみでした。


 

5年くらいかけ製菓のコース、シュガーデコレーション、テーブルセッティングのコースなどを修了!





その間ウィーンの製菓学校の研修ツアーへ行きヨーロッパのお菓子や美食や芸術文化に触れたり
先生がフランスにお城を所有され、フィニッシングスクールを開講され、
2週間のコースに参加する機会にも恵まれました。
お城ではお料理やプロトコール、ワイン、さらにはヨーロッパの建築様式のことなど胸をときめかせながらお授業を受けました。



30前の私。馬子にも衣装~(笑)

 

同時期に紅茶の勉強もし、ハードな英国アフタヌーンティーツアーにも参加したりも。
(このツアーは初日に体調を崩しました。。。。たぶん膵臓ですね。。。)

 


都内の実家でお菓子教室も開催しておりました。

 


30歳のころ今田教室のテーブルセッティング(サヴオアール・ヴィヴル)の非常勤スタッフとして
講師やデコレーターとしての仕事にも携わるようになります。

 

時代はバブル絶頂期。
沢山イベントが開催された時代で
各地で開催されたイベントにもテーブルデコレーターとして参加。
このころデパートの定休日がなくなり、夜なべで展示作業なんてしばしば。





帝国ホテルのロビーで半年間(月1回展示替えして)テーブルを飾らせていただいたことも良い思い出です。
私の人生で一番セレブリティーの時代。
パーティーも多く、着飾ったり、講師や先生のアシスタントのお仕事の時は
ブランド物のスーツかワンピースにパンプス。

 



豪華本もたくさん出版された時代で
本の撮影にも携わらせていただきました。

 
ご覧になりたい方はお声がけください~♪

 

 

毎日の仕事ではありませんでしたが
仕事に行く日は可愛い後輩ちゃんたちが
スイーツ好きの私のためにスイーツをとっておいてくれたりも。
(スイーツを食べたくてご飯を残していたり、量を控えていたりも。。。でも嬉しかった~!!)

 

 

イベントごとに
ヨーロッパの王朝の建築様式からモチーフを取り
テーブルの色や生地の材質を決め
小物を探しに行ったりテーブルプランなどをワクワクと考えテーブルをしつらえたりも。

 

一見かっこよく見える仕事ですが
立ち仕事
食器の梱包が多く
しかも高級の品が多かったので
細心の注意を払いながら扱いながらの重労働。

 

その間も
慢性膵炎(おそらく高校時代に発症していたのではないかと。高校時代から年に1~2回夜中にのたうち回るような苦しみが)にかかったり
消化器疾患にかかったり
腰痛に悩まされたり
アレルギーが再発したりなどなど
常に便秘に悩まされていました。。。





トラブルはあり
ストレスを感じることも多かったのですが
仕事自体は楽しくて楽しくてたまらなかったのです。
重病疾患があるわけではないし
何の疑問も感じることなく、薬の力を借りて乗り切っていました。

 

 

関西や九州などへの出張もあり遠出も楽しみでした。


 


スタッフになってからも海外ツアーへ。
イタリアでメディチ家の末裔の方からお料理を習ったり、貴族の館めぐりやミタ・バルベリーニ王女からマナーを習ったり
ベルギー・オランダ(スタッフなのにベルギーでダウン。。)などの贅の限りを尽くした
最高級のものを体験できる豪華研修ツアーにも出かけました。

 

 

当時頭の大半はヨーロッパの食文化のことで埋め尽くされていた感じがいたします。

 

家には常に
バターが2カートン、卵1ケース以上、極上の精製された小麦粉、極微粒のグラニュー糖が常備されていました(^-^;


そんな時代にもピリオッドを迎える時期がきていしまいます。。。。。





30代後半になり
心身のバランスが崩れ始め
ブルーが通り過ぎ、
生きているのが辛くなることが多々。
(どうしたら周りに迷惑かけずに死ねるのかな~なんて考えたことも。これには別の理由もありましたがそれについては後述しま~す)

 

 

膵臓が悲鳴を上げ
(動物性脂肪とお砂糖とアルコールが苦手な臓器)

 



1年に3回腰を痛め入院を。。。
(当時は職業病と思いましたが、当時の食べ方と生活習慣、極度のストレスが原因だったのではないかと。。。)
検査と安静のため約2か月の入院ですっかりと体力も筋力もなくなりました。。。。


 


ライフワークとして取り組んでいた仕事でしたが
3回目に腰を痛めたときにさすがに退職を決意。
前述もいたしましたが
私の中で努力しても3回うまくいかなかっことはあきらめるというルールがありました。

 

意外と弱々しく見える私ですが
芯は男!と自負しておりました。
頑張れば大丈夫!!!何とかなるという頑張りがきかなくなっていました。。。



今でこそ振り返るとワクワク感の方が大きくて本当に充実していて、楽しい時代。
(どういうわけだかと辛かったことが思いだせないの。。。。)
が、当時は人生のどん底でした。。。

心身共に冷え切っていました!!!!

なのにスイーツは食べ続けていました。。。。
食欲がなく、ごはんの代わりにケーキをたべていることもしばしば(^-^;
(たべれるものを食べなさいと家族からの差し入れも~)

どん底まで落ちたら上を向いて生きていくしかありません!!!!



人生は必要必然でいろいろいな体験をしていく感じだけれど
まさしく人生、大切にしているものを思いきって手放すとさらに良いものが舞い込んでくるのは本当ですね!!!!

 

 この時代があったからこそ今の私があるのです!!!


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今田先生は
食を通じ
地球の平和と生きる喜びを世界の人々に伝える活動を心がけていらっしゃいました。
お言葉で心にのこる2つ
「夢や希望は口出しましょう!」(口に出さないと叶わない)
「サヴォアール・ヴィヴル」(人生を謳歌する生き方)


私はこれが根底になり生き続けている感じです(*^^*)

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それにしてもしみじみ
たべることは生きること!
あなたは食べたものからできている!
ですね。。。。



次回は腰と心身の絶不調からの復活したお話をお届けしたいと思います♪

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