コナサン、ミンバンワ!今月は、言わば「憲法月間」。よく言われる「憲法週間」は間もなく終わろうとしているが、特に大事とされる、立憲民主制を踏まえつつも、時代の趨勢との乖離(かいり)が益々広がる日本国憲法が、現状固定のままで良いとは到底思えない。今夜は、同憲法の抱える、言わば「自己矛盾」につき、少し考えてみたく思います。
先般、我国科学技術の頂点たる「日本学術会議」見解として、大学の科学研究の、防衛分野への踏込みを大きく牽制する方針が打ち出されたのは、よく知られる所だろう。従来路線に続く、特に、先の大戦 大東亜戦争こと太平洋戦争関与の反省からの方針の様だが、果たして「これまで通り」で正解と言えるのだろうか。
これもよく知られている様に、一般社会にも、防衛分野の技術の恩恵を受けた事共は多い。特に強調しておきたいのが、インター・ネットと、スマート・ホンやタブレットを初めとする携帯通信手段だ。これらは全て、第一、第二の両大戦を源流とし、最近の軍事通信技術の精度を高めた上で、民生用に転用されたもの。他に、航空機の機体を造る、軽合金の技術にしても、戦闘機の機体技術から発した事共も多くあるのである。身近な所で、日用品を多く扱うホーム・センターや、自動車向けグッズの多くを一手に引き受ける、オート・バックス7の様な専門店にも、そうした多くの品が、必ず見られるはずだ。
防衛分野と民生分野の技術の垣根は、近年とみに曖昧になって来ている印象を受ける。果たして、日本学術会議見解が、これで良いのか?又、その後ろ盾たる日本国憲法第9条の捉え方が、古い時代のままで良いのか?我々国民市民も、一度「一般人」視点で検証し、これからの為に、再検討を加える必要があるのではと愚考する次第である。
過日も指摘したが、大学の防衛関連研究は、自由であるべきだ。それは、日本国憲法第23条「学問の自由」の精神にも則ったものだ。第9条に拘泥する余り、我国の存立をも左右しかねない安保分野の研究は、できるだけ大きな規制を設けない方が良い。北鮮情勢の緊迫や、沖縄・尖閣近海への、品番な中国大陸公船出没を考えれば尚更だ。
海外の事例だと、欧米他などでは、防衛と民生の技術開発には、特に大きな垣根は設けない方向が一般的の由。各国とも、そうして平和、技術と経済との難しい折り合いを何とかつけているのである。一定数の大学が、防衛省の資金援助で防衛研究に及んだとて、それが我国周辺への大きな脅威となる訳ではない。すぐにその様に結び付ける思考は、妄想的短絡と言うものだろう。むしろ、その方が、将来へ向けての我国経済を委縮させ、芳しくない方向へと追い込んでしまうマイナスの方が大きい事だろう。
この一事に目を向けても、日本国憲法は、それ自体に自己矛盾を孕んだ法制と言える。無理もない。終戦・・と言うか、敗戦直後の制定の経緯は、日本人専門家が大きくは関与せず、連合国進駐軍GHQの、欧米人専門家がメインとなって制定されたのだから。戦後の混乱期と、復興の目途が立つまではやむを得なかったにせよ、日本及び日本人による、健全な検証さえろくに行われず、各条文も見直されないまま、現在まで突っ走って来てしまった、日本国憲法を頂く戦後レジームは、今、根底から見直すべき自己矛盾や、それによる弊害を曝け出し始めていると見るのは、拙者だけか。
今回画像は、岐阜・滋賀県境で捉えた、東海道・山陽新幹線の試験列車「ドクター・イエロー」の走り姿。200km/H台後半での高速走行をこなしながら、道床を含む軌道(レール)や架線と言われる高圧電線、各種通信ケーブル線などの異常を瞬時に把握する技術は、やはり民生分野だけでは不可能。先日のTV番組でも紹介された様だが、防衛分野の技も幾ばくかは導入されているはず。更に「事故や不具合は絶対生じない」との、固い決意と矜持が、高速鉄道の安全、正確と安定の礎(いしずえ)たる事を教えられる光景であります。