Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

追悼・・・

2014-01-10 23:59:13 | 日記・エッセイ・コラム

事前の気象情報の通り、今冬も厳寒の日が多い様だ。そんな年初に、残念無念の訃報がもたらされた。数年前より、特に新潟磐越の写真撮影で世話になった、首都圏在住の一写真仲間が、病を得て逝去したのだ。

名をOさんと仰った。今から数年前、2007=平成19年の夏頃、新潟県下のJR磐越西線で知り合ったのが最初だったろうか。当時は本業の都合で、新潟市に単身居住。以後、この地区での撮影の多くで行動を共にし、良き撮影場所や手法のアドバイスを下さり、又何度か酒食の機会をも得て、有意義な時間を共にできたと思っている。

勿論、写真の対象とか手段などでは見解の相違もあったのは事実だが、目立った反感を表す事もなく、俺のスタンスを認めて下さる度量の大きな所が魅力の人物だった。

一番の思い出は、2009=平成21年暮れ、新潟・福島県境にて、蒸機列車の雪中走行を追っていた折、危うく投宿先の新潟へ戻れなくなりかかった事だろう。初めは、更に奥の福島県会津地区を目指すつもりだったのだが、雪で磐越西線の列車ダイヤは大きく乱れ、上下線共数時間の遅れが生じると言う。やむなく予定変更、まだ未着だった朝方の新潟方面行で戻ったのだが、もし乗り遅れていたら、最悪1日2日は、水も食糧もないまま孤立していたかも知れない。この時のOさんの機転と好判断には、今も敬意を表している次第である。

同氏との最後の行程は、これも一昨年春の磐越西線だった。首都圏にてご家族との同居叶った、この年の夏頃より体調が優れず、いつか又とも思ったものだが、同年暮れに至り、どうも癌と思われる腫瘍らしい事を伺って、落胆したのを今も覚えている。

昨年に入ると、高い頻度の放射線治療が必要になった事も聞き、何とか回復をと祈って参ったが、残念ながら叶わなかった様だ。これから更に、密度を深めた交流を望んでいたし、又、人間的にも高潔でバランスに優れた思考のできた人物だっただけに、惜しまれてならないのが素直な所だ。ただ、事実は受け入れなければならず、大変な状況下、知らせて下さったご家族には、心よりの感謝の意と共に、その勇気を称えなければならないのも事実だろう。

もうすぐ、昨秋より今年初の拙写真貼をまとめる時期だが、今回はOさんに捧げる一作となる事だろう。又、今夏の特集記事は、新潟磐越にての、Oさんの思い出に因む内容となる可能性も高い事を、この場を借りて申しておこうとも思います。

Oさん、貴生前はお世話になり、誠に有難うございました。我々は、これからも下手なりに画像の記録を残そうと思います。どうか、天界より見守って下されば幸いです。合掌・・・。

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コメント
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