コナサン、ミンバンワ!OCN Cafe日記より読み進まれた各位は、改めまして。相次ぐ閣僚の失言問題で、激震続きの菅民主党政権だが、拙ブログにては、当地でも生じている、名古屋市長と名古屋市議会の対立問題に少し触れておこうかと思います。
事の起こりは昨2009=平成21年夏、河村たかし市長より、選挙公約たる市民税の10%恒久減税の提案が示され、教育福祉への悪影響や、財政悪化などを懸念した市議会が難色を示したのが主因の様で、何やら政権公約マニュフェストの実施にこだわる民主党と、それに異議を唱える中央政庁の関係に似ていなくもない。河村市長は、市議会の解散を目指す名古屋市民の署名を集める活動に打って出、法的に有効とされる署名数を集めたのは良いが、市選挙管理委員会は、書式に不備が見つかった事を理由に効力を保留、現在も審査中の由。これまでに、名古屋市民の複数回に亘る請願などを握りつぶした前科を持つ市議会の姿勢にも問題があるのは事実だが、自らの公約を無理をして通そうとする、市長の独裁に近い手法が決して好ましいものでないのも事実である。この問題につき、本日の地元紙C新聞に、政治学者 佐々木信夫さんのご見解が載ったので、ご紹介しましょう。
「危機に立つ『首長と議会』の関係」
国は議院内閣制、地方は首長制を政治制度とするが、制度の狙いは違う。議院内閣制は、議会で多数を得た政党が内閣を作り、政治主導で公約を実現する仕組みだが、首長制は一つの政治勢力の独裁化を防ぎ、首長と議会を対等とし、首長に執行機関、議会に議事機関と言う独自性を持たせ、相互が抑制均衡関係を保つ様求められている制度である。なぜ首長制かと言えば、住民に身近な地方自治は、公正な行政サービス提供の担保こそが大切とされるからだ。
名古屋市長が、自ら公約である10%恒久減税、議員定数及び報酬半減条例を議会に提案したが否決されたため、市民を巻き込み「減税日本」と言う地域政党を設立。自ら党首となり議会を解散させようと解職・リコール請求運動に走った。リコール請求が成立し、住民投票で過半数の支持で、議会の解散が決まったら、市議会選挙に支持派候補を積極的に立て、議会の多数派確保を狙うと言う。だが、このやり方は議院内閣制ならとも角、首長制で最も警戒している政治勢力の独裁化を防ぐと言う制度趣旨を市長自らが踏みにじってしまう行為となる。確かに、議会の存在はワンマン市政には邪魔であろう。しかし、それは超えてはならない一線である。今、地方議会の存在意義を問われている事は否定しないし、改革は必要だ。
だが、議会無視の意思をストレートに表す市長まで出始めた点は問題だ。鹿児島県 阿久根市長が、本来議会に諮るべき事案について議会を招集せず、専決処分と言う制度を乱用している。職員や議員のボーナス支給半減と言った、およそ緊急性のない事案まで専決処分に付した。専決処分は例外的な方法であり、後の議会で承認を得る事が要件となっている。
とも角、これら市長の暴走とも思える行為に対し、大臣や知事が法令違反ないし不当な行為だと認識しても、権力的な「是正」要求はできないとされる。従来の国・都道府県が上、市区町村が下と言う上下関係はなくなり、双方は対等だと見る地方分権の趣旨からだ。然らば、これを正すのは誰か。残るのは有権者の見識しかない。
これを読んで、俺は「詰まる所、民主主義とは自己責任ではないのか」との想いを新たにしている所だ。つまり、当地名古屋にて、今生じている色んな問題、首長と議会の見解の相違と対立、社会経済、教育福祉、治安防災、交通運輸などなど、それらは全て、当地名古屋に生き暮らす市民の人生に直に関わって来るのだ。最早、政治的無関心は通用しない。首長の独裁的行き様は、ご紹介の通り、当地名古屋以外の複数の地方にても生じている。国の政治組織や首都圏のそれが、いつ同様の事態に陥らないとも限らない。我々名古屋市民は、今回の市長対市議会対立をその解消の日まで注意して見守り、当然の事ながら、その事より多くを学ぶ責務を負っていると強く思う次第であります。