Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

やはり、凶悪事件公訴時効は見直されるべき

2009-06-06 01:40:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

一昨日、1990=平成2年に生じた幼女殺人事件、所謂「足利事件」の容疑者として逮捕され、一時は無期懲役が確定した元男性受刑者の証拠とされた、DNA鑑定が正確さを欠く事により冤罪である事が確実となり、この方は判決より約17年ぶりで釈放されました。再審開始前の異例の措置ではありますが、元々、真犯人ではなかっただけに、もっと早い決定がなされて然るべきでした。まずは身の潔白が証明された事を奉祝致し、弁護団各位共々、これまでの辛苦を心より労いたく思います。

事件当時、約20年前の初期のDNA鑑定は、現在とは比較にならない程精度が低く、約1/800の割合で型が一致とない事態もあったとか。現在は約1/4兆と言われますから、正に天地の差であった訳ですね。
その様な陥穽を顧みる事なくアバウトな捜査や審理を進めた警察、検察は勿論裁判所の事件に向き合う姿勢は糾されて良いと思います。
元受刑者の方が仰った様に、17年の歳月はもう取り戻す事はできません。この方は自白強要他警察よりの不当な圧力に屈しながら無期懲役囚のレッテルを貼られたまま、ご両親とも最期の別れを余儀なくされた由。又、真犯人を追跡しようにも2005=平成17年に公訴時効が成立してしまっており、この面よりも、元受刑者の名誉を回復する機会は事実上失われてしまったと言う事です。この事は元受刑者の方自身もご指摘になっており、現行の時効の不条理を強く憤っていらっしゃいました。

この釈放劇を拝見しても感じたのですが、凶悪事件の公訴時効が、犯罪被害者のみならず、加害者とされた方が冤罪であった時にも、心身に多大なダメージを及ぼす事がはっきりした事。つまり、時効を存置、と言うより放置していては、警察による捜査技術や気概と言った精神レベルを含め、事件を解決する決意に水を差し、罪責を曖昧にしてしまうだけの様に思われるのです。
一部の見解では、時効廃止は加害者側の証拠などの長期確保が難しく、冤罪を招くとして反対する向きもあるやに聞いておりますが、この一件で実態は逆である事がはっきりしました。結局は、警察当局の甘えとか、怠慢を庇うだけの言い訳ではないでしょうか。
時効制度は19世紀末の明治中期に、当時のフランス国の法制に倣って導入されたのが始まりとされ、凶悪事件については当初10年とされ、1908=明治41年に15年に延長されて以降何と一世紀近くも見直されず、申し訳程度に見直され、25年とされたのがつい4年前の2005=平成17年の事。これにはもう唖然としてしまい、言葉もありませんでした。
この事が警察の凶悪事件に向き合う姿勢や捜査技術の向上を妨げて来た事は想像に難くなく、又、被害者近親各位の憤りを無視した犯罪者天国を助長して来た側面は「あると思います」。

昨日は西日本にて、あろう事かひったくり行為を働いた現職警察官が、男子高校生2名により取り押さえられる不名誉な出来事も発生。若者達は「世も末ではないか」と声を揃えていたとの事。本当に恥ずかしいの一言であります。
人生の良き手本を示すべきはずの大人がこの有様では、子供達や若者達は、それは未来に希望を抱けるはずはありません。
不条理が証明された以上、凶悪事件公訴時効は、撤廃へ向け、大きな一歩を踏み出すべく、決意すべき時に来ていると強く思います。*(日本)*


コメント
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