昨夜のNHK・TV「プロジェクトX」にて、長大トンネル火災での救出劇を取り上げていました。最初の所は見られなかったものの、こうした災害への取り組みは、今も昔も無関係なのだと思わされました。
事件は遠く1972=昭和47年11月、福井県下の旧国鉄、現JR西日本の北陸トンネル内で深夜に起こりました。当時トンネルを通過中の夜行急行の食堂車から出火、有毒ガスの発生もあって、30名もの犠牲者を出してしまいました。
北陸トンネルの完成は、事件10年前の1962=昭和37年、しかしながら防災設備が不十分だった事が当初から消防関係者より指摘され、旧国鉄当局に対し、改善要望が強く出されていた矢先の惨劇でした。更に当時の列車運転規則に「火災発生時はいかなる場合も原則停車」が規定されていた事も不運でした。
この様なトンネル火災はそれから7年後、東名高速道路の日本坂トンネルを襲い、7名の犠牲者と、焼失車両百数十台を出した事故も記憶に残る所です。
旧国鉄は、北陸トンネルの完成当初、トンネル内火災を全く想定していなかったと言われ、又、こうした場合は列車、道路トンネルの場合は車両を停めずにトンネル外に出した方がより安全であるとの認識を高めるに至っています。
まだ十分とは言えない防災意識、こうした事例に学び、悲劇を繰り返さない事が、我々の務めだと思われます。*(注意)*
事件は遠く1972=昭和47年11月、福井県下の旧国鉄、現JR西日本の北陸トンネル内で深夜に起こりました。当時トンネルを通過中の夜行急行の食堂車から出火、有毒ガスの発生もあって、30名もの犠牲者を出してしまいました。
北陸トンネルの完成は、事件10年前の1962=昭和37年、しかしながら防災設備が不十分だった事が当初から消防関係者より指摘され、旧国鉄当局に対し、改善要望が強く出されていた矢先の惨劇でした。更に当時の列車運転規則に「火災発生時はいかなる場合も原則停車」が規定されていた事も不運でした。
この様なトンネル火災はそれから7年後、東名高速道路の日本坂トンネルを襲い、7名の犠牲者と、焼失車両百数十台を出した事故も記憶に残る所です。
旧国鉄は、北陸トンネルの完成当初、トンネル内火災を全く想定していなかったと言われ、又、こうした場合は列車、道路トンネルの場合は車両を停めずにトンネル外に出した方がより安全であるとの認識を高めるに至っています。
まだ十分とは言えない防災意識、こうした事例に学び、悲劇を繰り返さない事が、我々の務めだと思われます。*(注意)*